tns | ナノ
蛍を見に行こう。
彼女からの、珍しい誘いだった。


他愛のない話をしながら歩く山道。
傾いた夕日は、じきに沈むことだろう。

「それにしても暑いねえ」
「夏だからな。だが街中にいるよりは涼しい」
「でも歩いてたら暑いよー」
「誘ったのはお前だろう」

そういうと、変わらぬ笑顔で夏らしいことがしたかったと呟く。


思えば、今年は彼女とどこかに出かける機会がなかった。中学最後ということもあって、俺は部活中心の生活を送っていたし、彼女と毎年赴いていた夏祭りにも今年は部の連中と行ってしまった。

寂しい思いをさせてしまったかもしれない。そんな懸念をするも、たまに顔を合わせれば、いつも通りに笑う彼女がいて、俺はこいつの気持ちがわからない。


「あ、見えてきたね」


数歩前を歩いていた彼女が、俺を振り返って前方を指さしている。
淡い青色のワンピースが、微かな風にひらひらと揺れ、その向こうには確かに小さな光がちらちらと見え隠れしていた。

彼女に導かれて着いた場所は、静かに流れる川のほとりだった。すっかり暗くなった辺りを、仄かな光を放ちながら無数の蛍が飛んでいた。

「わあ、やっぱり綺麗だね」
「ああ」

目にした蛍にわかりやすくはしゃぐ彼女は、川のすぐそばの岩場を軽い足取りで渡る。

「もう足元も暗い、あまりはしゃぐんじゃない」
「大丈夫だよ、川に近づくだけ」

そう言って川へ川へと近づく彼女。
気が気じゃない俺は、昔から変わらず好奇心旺盛な彼女に呆れながらも、その後を追う。

「あれ、手塚も来たんだ、危ないんじゃなかったの?」
「お前は、転ぶからな」
「ふふ、もう子どもじゃないよ」

笑いながら、彼女は手頃な岩に腰を下ろす。気がつけば、もう川は足元にあった。先ほどよりも周りを飛び交う蛍の数も多い。

「動いたらやっぱり暑いや」

そう言って髪を耳にかけた彼女を見て、はっとする。

ちらりと見える首元に目をやれば、僅かに汗が滲んでいる。青いワンピースから覗く細い肩、仄かな光に照らされる肌も透けるように白い。
途端に見慣れているはずの彼女の姿がいつになく扇情的に見え、思わず息を飲む。


彼女は、こんな風だっただろうか。
いつの間に、こんな風になったのだろう。


「……確かに、子どもではないな」
「ん?何か言った」


変わっていないように思えていた俺達も、緩慢な時の流れに沿って少しずつその姿を変えていた。

「いいや、何でもない」

少しだけ緊張しながらも、平静を装って彼女の隣に腰を下ろす。

「ねえ、手塚。来年も見に来れるかなあ」

蛍の明かりをその目に映しながら、彼女は呟く。
ちくりと胸を刺す痛み。


「……、さあな」


いつものように、何でもないように、何も悟られないようにそう返せば、更に痛む胸。
これは、嘘をついた罪悪感と後ろめたさが原因だと、自覚があった。

来年はきっと、一緒には来られない。

わかりきっている未来。
俺が、選んだ道。

それなのに俺は、彼女に本当のことを告げられずにいる。自分がこんなにも臆病だったことに、嫌気がさす。

「ねえ、」

すると、彼女は突然俺の顔を覗き込むようにして視線を合わせてきた。その眼差しは、気づけば俺なんかよりもずっと強い光を宿していて。今ばかりは直視するのが憚られてしまう。

「、なんだ」
「ちゃんと、蛍見よう?」

せっかく来たんだから、と。
柔らかな微笑みが告げる。

その微笑みはまるで、全てを見透かしているようだった。
俺の心も、決意も。

「こんなにも一生懸命、ここにいるよって伝えてくれてるんだもん。私たちだけは、この子たちの光を覚えていてあげようね」

「…ああ、そうだな」


俺はまた、彼女を泣かせるだろうか。

それとも、子どもではないと言った彼女は、もう泣かないだろうか。いつものように笑うだろうか。

わからない。
俺は、彼女がわからない。

幼い頃から隣にいたはずだった。
泣き虫で、よく転んで、俺の後ろをついて回った彼女。

けれど今俺の隣にいるのは、よく笑い、俺の前を軽やかに歩き、強い瞳を携えた彼女だ。

俺は、知らない。

こんなにも美しい彼女を、俺は知らない。


「みょうじ」

「なあに?」

「綺麗、だな」


一瞬ぽかんとした彼女だったが、すぐにふわりと笑い、来て良かったでしょう?と自慢げに呟く。

そうじゃない。
そうじゃ、ないんだ。


「違う、」

「違うって…なにが?」

「お前の、その、」


俺の言葉の続きを待つ沈黙。
伝えたいことは決まっているのに、俺の口は一つも言う事を聞いてはくれない。


「あ、気付いてくれた?」

「ん?」


そう言って彼女は立ち上がる。
そしてワンピースの裾を持ち、ひらひらと揺らした。


「ワンピース、新しく買ったの」

「いや、俺は、」


服を褒められたと勘違いして上機嫌な彼女は、岩の上でくるりと回ってみせる。

しかし、不安定な岩は彼女の足を取り、その体を傾けた。

「わっ」
「危ない!」

俺は咄嗟に彼女の腕を掴み、その腰を引き寄せた。途端にふわりと鼻腔を掠める石鹸のような香り。

変わらない、彼女の香り。


「あまりはしゃぐなと言ったはずだが」
「ご、ごめんなさい」
「落ちるのではないかと、寿命が縮まる」
「だって、」

「新しい、服なんだろう。汚れたらどうする」


抱き締めるようにしていた彼女の体から、俺はそっと手を離す。これ以上彼女に触れていてはいけないと、俺の全理性が警鐘を鳴らしていた。


「ありがとう、」


背を向けた俺の耳に、囁くような声が届く。

彼女は強くなった。
けれど何故か、その強さに反して存在は脆く儚げになっていく。

それでも俺は、彼女を残していく決断をした。


「…、そろそろ帰るぞ」


離してしまった温もり。
もしかしたら、それに触れるのは、最後だったかもしれない。

だが俺はもう、振り返ることはできない。
その手を握って引いてやることは、もう、できない。


だから、彼女の言う通り。
せめてこの、精一杯に輝く蛍の明かりを、目に焼き付けておこう。

決して、忘れないように。


(それなのに、瞼に浮かぶのはいつだって笑顔のお前だなんて。身勝手な俺を彼女は叱るだろうか)
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