tns | ナノ
※時期的なことは深く配慮していません
濁りがひどい、と言われた日から、もう1ヶ月以上も経つ。
「これ、指定のあった書類。ここに置くね」
「ああ、ありがとう」
こちらにちらりと視線を向け、またすぐにパソコンにカタカタと文字を入力し始める跡部。その表情も仕草も、何も変わらない。
夏休みの前と、何も。
「もうこんな時間か」
しばらく仕事を続け、腕時計に目を落とした跡部が呟く。言われて見渡せば、広い生徒会室には私たちしかいない。温かみのある茜色が、部屋を染めていた。
「いつの間にか結構経ってたね」
「そろそろ帰るか」
「あ、少し待ってて」
「ん?」
私は冷蔵庫の中から、お昼休みの間に作っておいたそれを出す。手頃なグラスに注いで机まで運びつつ、グラスの中で揺れるそれを見つめては、うん、我ながら良い出来栄えだなあと自画自賛した。
「はい、アイスティー」
「お前が淹れたのか」
「うん」
跡部はグラスを光に翳して、表情を変えぬまま口に含んだ。その喉がごくりと動く。私は緊張で、その様子から目が離せない。
「美味いな」
「!!ほんとう!?」
「嘘ついてどうする」
跡部は喉を鳴らして笑う。その表情に、私は心から安堵する。笑ってくれた。
「濁らずに、淹れられるようになったんだな」
「練習したからね」
「俺が前に文句言ったからか?」
「それもあるけど、紅茶は美味しい方が跡部だって嬉しいでしょう?」
跡部に会わなかった夏休み。彼が戦いの最中であることを、私は知っていた。
関東での敗退。
全国大会。
全部を、知っていた。
知っていたけれど、部員でもない私は跡部にかける言葉を持たないし、無神経なことを言って彼を傷付けたり怒らせたりしない自信もなかった。
だから、彼と会わない間。
私はアイスティーを美味しく濁らせずに淹れる練習をひたすらした。納得出来る味と出来栄えになるまで、来る日も来る日も紅茶を淹れてはアイスティーを作った。
”部長”である彼を支えることはできないけれど、”会長”である彼に美味しい紅茶を淹れることくらいなら、私にも出来ると思ったから。
「なんだ、お前俺のことが好きなのか」
「練習する内に紅茶のことは好きになったよ」
「ふざけてんのか」
「どっちが」
軽口を叩いて、笑いあう。
何気ないこんな日常でも、私にとってはかげがえがない日々なのだ。
彼は変わらない。でも、その笑顔の陰ではたくさんの思いが巡っているんだろう。でも跡部は、この部屋では苦悩も葛藤も漏らすことはない。
「でも、本当に美味かった。ありがとよ」
ぽんっと、頭に彼の手のひらの感覚。すぐに遠ざかっていくそれを名残惜しく思うけれど、それでも美味しいと言ってくれたことがたまらなく嬉しかった。
「さて、そろそろ帰るか」
立ち上がる跡部。
頷きながらその顔を見て、私は気づく。何も変わらないだなんて、本当はありえないってこと。
”部長”の彼、そして”会長”の彼両方に対して、胸にほんの少しの切なさを抱きながら、告げる。
「跡部、お疲れ様」
前よりもほんの少し日焼けした顔が、ああ、と優しく笑った。
曇りのない、
(美味しいと笑うあなたがみたかっただけ、だもの)
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