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※夫婦設定



「よし、こんなところか」


夜ご飯の準備を大方済まし時計を見ると、もうすぐあなたが帰る時間だった。結婚して何年も経つと、さすがに1日のサイクルが身に染み付いているようだ。


食後に洗う物が少ないようにと、調理に使ったお鍋やボウルを洗う。



「帰ったぞ」

「わっ…」



突然の、背後からの抱擁。

ふわりと掠める、爽やかさの中に色っぽさを含んだ香りはあなた愛用の香水のものだった。


「ごめん、水使ってて帰ってたの気付かなかった」

「ああ」


布越しに伝わる、あなたの鼓動。極めて穏やかに規則的なリズムを刻むそれは、いつだって私を満ち足りた気持ちにさせてくれる。

私を抱きしめながら、あなたが一つ深呼吸。
一連の流れが終わるのを待ち、一呼吸置いてから尋ねる。


「どうかした?」

「いや、どうもしねえよ。ただ、」


そこで言葉が途切れたかと思えば、耳の下辺りに、柔らかな感触。


「っ、ちょっと」

「晩飯の前につまみ食いを目論んでただけだ」


唇は私の首筋をすっとなぞるように下へ降りていく。


「待って、てばっ」

「聞こえねえな」


あなたが仕事終わりに甘えてくることは珍しくない。きっと疲れているのだろう。嫌なことがあったのかもしれない。

でもそれを家庭に持ち込むことを良しとしないあなたは、ただこうやって私に甘えて元気をチャージしている、の、だと思う。多分。

確証はなくとも確信に値するその予想に基づき、こういう日はあなたの好きなようにさせるのが私なりの愛情だ。



吸い付くような感覚に、思わず声が漏れそうになり。



「ママー!!おなかへったー!!!」



リビングから聞こえた幼い声に、私たちの動きが止まる。



「………え、っと」

「ちっ」



耳元で、あなたの舌打ちの音。


そして、ゆっくりと離れる身体。



「赤ん坊の時の方が手間がかからなかったな」



言葉とは裏腹に、振り向いて見たあなたの表情は、どこまでも優しい。その表情に、私の胸は柔らかな気持ちでいっぱいになる。


「そう言わないで。あなたが帰ってくるの楽しみに待ってたんだから、遊んであげてね」

「疲れてるってのにいい迷惑だな」

「ふふ」

「何笑ってやがる」


文句を言いながらネクタイを緩める仕草。仕方ないといった口調の割に、嬉しそうな笑み。



何もかもが、ただ愛おしかった。



「何でもないよ。ほら、早く行ってあげて。私ご飯運ぶから」

「ああ」


だが、その前に。


そう聞こえてすぐ、唇に触れる感触。しっとりとしたその感触は、一瞬で離れていく。


「ただいま、なまえ」


そう告げてリビングへ向かう背中。

リビングからは、楽しそうにはしゃぐ声。



私は確信する。

ここが、世界で一番幸せな場所だと。



「おかえりなさい、景吾」



何でもない毎日でいい。
辛いことがあってもいいし涙を流してもいい。傷ついたっていい。

ただ、愛する家族に囲まれる日々。それだけで世界はこんなにも綺麗で優しいのだから。そんな未来を想像するだけで、私は明日へ歩いていける。


(明かりの灯る家の窓。愛しい子どもの声。ドアを開ければ香る夕飯の匂い。キッチンには華奢な後ろ姿。それ以上に価値のある宝物なんて、きっとこの世にはないと思った)
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