07 旧男子寮

「古いね」
「旧男子寮ですからね」

廃れた外観の建物を目の前にした鞠亜は若干気分が下がってしまう。
別に住む場所など気にしてはいないと本人は思っているが、これでも鞠亜はメフィストの元で暮らしていたこともあり、一般水準よりも高い水準で日常を謳歌していた。
バチカンでもその生活水位は格段に落ちるわけでもなく、そこそこ綺麗な寮に入って一年を過ごしてきた。
鞠亜の本心としては、この見た目がおんぼろな寮に多少の不満を持っていることは確かなのである。

「なんで建て替えとかしないの? メフィストなら簡単にできるでしょう?」
「学校といえば怪談! そこに旧校舎や旧学生寮などあるのが良いんですよ! せっかくここまでボロボロになったのに取り壊すのは勿体ない! 生徒たちが夜な夜な勝手に忍び込んで肝試しをするのも良いもので――」

目をキラキラさせて語り始めるメフィストを横目にため息を一つ。
彼に話を振った自分がバカだった、と若干の後悔だ。
メフィストはこういう人……悪魔なのだ。こういった事柄に深い理由なんてないのはそこそこ長い付き合いから承知している。

もちろん鞠亜は今まで学園の生徒ではなかったため知らないが、生徒手帳には学園の門限も記されている。故にそんな肝試しが出来るはずもない。
横ではさらにヒートアップしていくメフィストを、もう置いて行ってしまおうかと思っていたところで、旧男子寮の正面玄関の扉が開いた。

「あ、雪男くん」

黒縁眼鏡にその穏やかな優しい笑顔をしているのは見間違うはずもない、奥村雪男である。
タイミングよく出てきた雪男に鞠亜は手を振り、メフィストを置いて駆け寄った。

「おはよう、雪男くん。朝からごめんね?」
「おはようございます。僕は朝早いのは慣れてますから。兄さんはさっき起きたばかりですけど」

雪男は疲れた様子で笑みを浮かべていた。
こんな休日の朝から疲れているとは、高校生になって学業に祓魔塾の講師に祓魔師の仕事とかなり詰め詰めなスケジュールなだけあるのだろう。
真面目な彼のことだ、手を抜いて良いところでも真面目に取り組んでいるに違いない。

「ちゃんと寝てる?」
「えぇ……寝てますよ」

寝ていなさそうだ。鞠亜は何となくそう思ったが、ツッコむのはやめておいた。
今度よく眠れる薬か、安眠グッズでも送ってあげようと決めたのだった。

「話はもう良いですかね?」

怪談話が終わったらしく、メフィストが鞠亜と雪男の間に立ち声をかけてくる。
若干の笑顔に怖さを感じるものの、雪男は笑顔で受け流し寮内へと案内を始めていた。
彼もメフィストの扱いに慣れてきているようで、鞠亜は内心くすくすと笑ってしまった。

寮内に入るとメフィストが先頭に立ち勝手知ったるように歩き始め、鞠亜と雪男はその後ろについて行く形となった。
メフィストに付いて階を上がっていくが、外見と同様、内部も相当古びれている。
貼られていた注意紙は腐食してボロボロになっていたり敗れていたり、壁の塗装も剥がれてそれは逆に雰囲気がかなり出ている。

「鞠亜の部屋は507号室です」
「雪男くんと燐は何号室なの?」
「僕と兄さんは602号室ですよ。一つ下の階ですね」

そうだね、とにこやかに話しながら階段を上がっていくが、考えると可笑しいじゃないかと鞠亜は自分の思考にストップをかけた。

「監視を目的にするなら燐たちと同じ階の方がいいんじゃないの?」
「何を言っているんですか、男は全員狼ですよ? もしものことがあったらどうするんですか」

それじゃあ元々寮で一緒に監視とかする必要はないだろうと、鞠亜と雪男の心のツッコミが入るが声には出さない。
第一、メフィストの発言で呆れているのは雪男の方だ。鞠亜が隣の部屋に住むことになったとしても彼女を襲ったりするわけもないし、燐がそんなことをしようものなら自分が止めるのは当然だ。

「なんかごめんね? メフィストの我が儘のせいで」

隣に居た鞠亜がメフィストに聞こえないくらいの声でそう言ってくる。
彼女も彼女でこの状況には呆れているのだと、雪男は気が付く。
てっきり、彼の指示だから素直に従っているものだと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。

「げっ、メフィスト!? 鞠亜も! なんでいんだよ」

起きたばかりの燐が階段を下りてきたようで、驚きつつも珍客である鞠亜たちを見降ろしてくる。
メフィストはともかく、鞠亜は女子であって、ここは旧男子寮だ。
鞠亜がいることに違和感しかないのだろう。

「寮内の視察ですよ、奥村君」
「今日からここに住むんだよ、よろしくね」
「え、誰が?」
「私が」
「……」

やっと内容を理解したらしい燐が大声を上げ、3人は指で耳栓をして静かになるのを待った。
ようやく冷静さを取り戻した燐とともに、4人は507号室へと向かった。
みしみしと嫌な音を立てる廊下を行き、同じ扉が続く中で、その扉だけは異様な存在感を放っていた。

「扉は普通でもよかったんじゃない?」
「不慣れな場所での生活ですからね、我が家と同じ空気をと思いまして」
「ゴーカだな。なんつーか浮いてね?」

まさにその通りだ。
古びた木の扉ばかりの中に、白く塗装のされた木版に細部まで装飾が施されている。
確かに、一見してみればメフィスト邸と遜色ないのだが、ここはメフィスト邸ではなく旧男子寮だ。住んでいるのが奥村兄弟だけだからいいものを、一般生徒が他にもいたら笑いものだろう。
さすがに鞠亜もこの扉に不安しか感じない。室内は一体どうなっていることやら。

「中も快適に過ごせるように改装してありますよ」

そういってメフィストは扉を開ける。
優雅な仕草で鞠亜を入り口に立たせ、奥村兄弟は扉の端から室内を覗き込んだ。
室内は奥村兄弟の部屋のような古びた木造のつくりではなかった。白の壁紙が四方に貼られ、フローリングの床には絨毯が敷かれている。
窓際に設置された小綺麗な勉強机とは別に、絨毯の上にはテーブルが置かれ、ベッドは天蓋付きときている。
この室内の力の入れ具合に、3人は愕然とした。

「なんじゃこりゃーーー!? ぶざけんなクソピエロ! 俺たちの部屋もこれくらいキレイにしろよ!」
「ムサイ男どもの部屋を綺麗にしても私には何の得もありません」
「依怙贔屓じゃねーか!!」
「娘の寮生活ですからね、不都合があってはいけません」

メフィストは何も間違っていないと信じて疑わない口調で言ってのけた。
2人のやり取りを見ていた雪男も口には出さないが、さすがにこの格差には若干の不満があった。
そんな雪男の表情をちらりと見遣った鞠亜は小さくため息をこぼした。
やはり碌なことにはならなかった。

「メフィスト? こんなに素敵な部屋だと思わなかった、ありがとう」
「でしょう? エアコンも完備してありますよ」
「はぁ!? こっちにもつけろ!」
「電気代がかかるじゃありませんか」

燐がその言葉にさらに怒り始めるが、どうやらメフィストはこの兄弟の寮生活を快適にする気は毛頭ないようだった。
可愛そうに。でも、メフィストがここまで折れないということは鞠亜が言っても無意味ということだ。それはこれまでの経験でわかっている。
それからメフィストは室内についてこれでもかというほど説明してきた。その度に燐は怒っていたが、メフィストは意に介すことなく得意げにしゃべり続けた。

「――おっと、もうこんな時間ですか。私はこれから仕事がありますから、この辺でお暇しましょう」
「おーおー、とっとと帰れ帰れ」

懐中時計で時間を確認するメフィストに、燐はぶっきら棒に手をひらひらさせる。
そんな燐を相変わらず無視して、メフィストは鞠亜へ向き直り、そっと頭に手をのせた。

「ではしばらくの間寮生活を楽しんでみてください。何かあればいつでも連絡を」
「うん。任せて」
「寂しいときは鍵を使っても良いですからね」

耳元で囁かれる言葉に、鞠亜は胸が高鳴るのを感じた。
二度ほど髪の毛を梳かれて、彼の手が離れていく。それが狂おしいほど胸を締め付けてくる。もっとと強請りたくなる。
けれどその衝動を心の奥底に押し込んだ。

「うん、ありがとう」

メフィストは鞠亜の笑顔を確かめると、ポンとその場から消えてしまった。
いつでも会えるのに、彼が去っていったことが名残惜しくて鞠亜は梳かれた髪を再度なぞった。
そんな彼女たちのやり取りを見ていた燐はぽつりと言う。

「お前らいつもあんなことしてんのか?」
「ん? あんなことって?」
「いや、だから……」
「意外とスキンシップが多いんですね」

恥ずかしそうに言い淀む兄の代わりに、雪男が代弁した。
慈しむようなあの言葉と手の動き、親子の間でそれが行われようとさして気にも止まらないはずだ。それでも気になったのは、その光景を見た時に、親子とは違う単語が頭をかすめたから。
鞠亜は双子にどう思われているのかなど気にも留めずに、「それかぁ」と呑気に納得している。

「んー、そんないつもじゃないけど、たまにならするよ?」
「ふーん……」

何が言いたいのだろうか。燐は何か言いたそうだったが、結局何も言ってくれなかった。
もしかして何か変だっただろうかと、鞠亜は少し考えるが自分ではよくわからなかった。これが日常となっているせいだろう。
ただただ、なんとなく燐の言いたいことも、鞠亜がよく分かっていないこともわかった雪男は一人渋い顔をしていた。
彼女がメフィストの養子として育ったのは知っているし、親としてあの悪魔を慕っているのもメフィストが鞠亜を愛娘として育てていることも雪男は理解する。
そこにあり得ない感情が挟まっていようと、とりあえず今は気づかないふりをした。

「そうだ、どうせメフィストは燐たちの部屋にクーラー設置しないだろうし、夏は私の部屋に涼みに来ていいよ?」
「マジか!! 鞠亜はやっぱりいい奴だよなー!」
「ちょっと兄さん、女子の部屋なんだから安易に涼みにいくなよ」
「別にそんなに気にしなくてもいいんだよ?」
「そーそー、鞠亜の厚意には甘えてもいいんだぜ」

そういう問題じゃないんだよ、と雪男はうなだれる。
ひょいひょい鞠亜の部屋に行けば後が怖い。燐はともかく、自分は絶対行かないようにしようと雪男は誓った。
そしてもう少し女性としての自覚を鞠亜には持ってほしい雪男なのであった。



2018.9.7


後書
メフィストが鞠亜のことをちゃん“娘”というのは今後どれだけあるのだろうとふと思いました。




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