04 魔障の儀式
奥村雪男は藤本獅郎に誘われて
祓魔師を志した。
兄を守りたい、弱い自分でも役に立ちたいという幼心故に、雪男は立ち上がった。
そんな雪男を見て、鞠亜もまた祓魔師になろうと思い立った。
入塾は遅れたものの、彼女もまた、才能の塊であった。
「実はこの教室、普段は使われていません。
鬼族という悪魔の巣になっています」
「え!? だ……大丈夫なんですか……?」
「大丈夫です。ゴブリンの類は人のいる明るい場所には通常現れません」
7歳から祓魔師になるため勉強を始めた雪男は、歴代最年少で祓魔師の資格を得ている。
対・悪魔薬学の天才、などとメフィストは彼を評価している。
果たして、それは駒使いとしての評価なのか、純粋な祓魔師としての評価なのか。
ただ、雪男の知識と技量は確かである。
薬学に関しては、鞠亜でも敵わないだろう。
「ゴブリンはイタズラ程度の魔力しか持たない下級悪魔なので、人が扱い易い悪魔なんです」
雪男はトランクを開き、中にある牛乳と試験管を一本取り出して見せた。
「しかし、動物の腐った血の臭いを嗅ぐと興奮して狂暴化してしまう。今回はゴブリン族の好物の牛乳で血を割って、10分の1に薄めたものを一滴たらして数匹のゴブリンを誘き出し……儀式を手伝てもらいます。皆さんは僕が準備するまで少し待っていてください」
「……おい!」
痺れを切らしたように、燐が席を立って雪男に詰め寄った。
それでも雪男は平静を装い、燐を生徒としてなだめていた。
「ふざけんな!」
「……」
燐にとっては、自分の知らないうちに弟が違う世界で戦っていたことが怖かったのかもしれない。
自分は今までそれを知らずに暢気に暮らしていて、弟の立場と自分の不甲斐なさに現実を受け止めきれないのだ。
雪男は生まれた頃から魔障を受けていると以前聞いたことがある。
それはサタンの力を受け継いだ燐の存在があったからこその代償のようなものだ。
それでも、雪男が今その服を纏い、そこに立っているのは彼がそうしたいと願ったからであり、鞠亜はそんな雪男を見てきた。
「なんで俺に言わねーんだ!!!!」
「!」
燐は雪男のそんな葛藤を知らない。
しかし、雪男も燐の悲しみも苦しみも分からない。
鞠亜から見れば、彼らは似た存在だ。
「ぶわ、くっさ!? なんだこの臭い……! エっ!?」
燐が雪男に突っ掛るから、試験管が落ちて割れてしまったのだ。
腐った血が原液のまま、床に散らばる。
瞬間、教室の中央で天井から何かが落ちてきた。
ちらりと鞠亜はメフィストを見るが、彼はこちらを見ていなかった。
「悪魔!」
「え、どこ!?」
「そこ!!」
塾生が突然のことで慌てだす。
悪魔が見える者もいるが、見えない者もいる。
これでは厄介だ。
「
子鬼だ……! 教室の外に避難して!」
鞠亜は教室の扉を開けると非難してくる塾生の背中を押して外に追いやった。
「ザコだが数が多い上に完全に狂暴化させてしまいました。すみません、僕のミスです」
教室内ではゴブリンが唸り声を上げて威嚇してくる。
燐以外の塾生は避難できたため、大事にはならないだろう。
「申し訳りませんが……僕が駆除し終えるまで外で待機していてください。家須先生、皆さんをお願いします」
「うん。無理だったらすぐ言ってね」
茶化して言えば、雪男は苦笑していた。
少しはストレスを和らげられただろうか。
「奥村くんも早く……」
雪男が燐も外へ避難するように促すと、彼は力加減なく足で扉を閉めてしまった。
後ろにいた女子が小さく悲鳴を上げて怖がっている。
短髪の子は普通の女の子のようだが、髪の長い方の女の子は肝が据わっている。
魔障も受けているようだし、それなりに知識があるのだろう。
「では、ここは奥村先生に任せましょう。ゴブリン相手なら奥村先生一人でも十分大丈夫ですからね」
「ほ、本当ですか?」
「ええ。彼は銃の腕も長けてますから」
不安そうにする少女の頭に手を乗せて、大丈夫だと言い聞かせる。
室内から銃声音が幾度も響いてくる。
その中で、燐と雪男の会話が微かに聞こえるが、聞き取り辛い。
後でメフィストに聞けばいいだろう。
避難してから数分後、やっと室内が静かになったようだ。
「奥村先生ー! 大丈夫ですかー?」
「はい、大丈夫です」
鞠亜は扉を開けて室内の様子を窺った。
ゴブリンが暴れただけあり、室内は散々な散らかりようだ。
ちらりと視界に入った燐には、尻尾が生えていて、思わずそれに目を奪われた。
本当に悪魔の子なのだと実感する。
「すみませんでした皆さん。別の教室で授業再開します。奥村くんも!」
「……はーい先生!」
「燐、尻尾出てる」
不意に突かれた言葉に、燐は一瞬動きを止めてへんてこな声を上げた。
すでに雪男が塾生を連れて行っているおかげで覗きに来る者はいないが、何とも危ない。
「鞠亜! い、いやこれは! 違うんだ! 飾り! 飾り? 飾りって言うか……」
「ふふ、誤魔化さなくても私知ってるから大丈夫だよ」
「へ?」
「燐がサタンの子だって知ってるから、私は燐の味方だからね」
鞠亜は燐の手を握ってそう言う。
少し顔を赤らめている燐に笑いかけると、すぐに廊下に引っ張る。
「さ、未来の祓魔師さん、授業に戻りましょう」
久しぶりの我が家の風呂は、やはり疲れが良く取れる気がする。
寝間着に着替えた鞠亜はメフィストのいる執務室に向かった。
声もかけずに入ってみると、浴衣姿の彼は誰かと電話をしているようだった。
「まあカタかったですが、初授業にしては上出来でしたよ」
どうやら相手は雪男のようだ。
鞠亜はメフィストの元まで行くと、彼が食べようとしていた桜餅を一つ失敬した。
「ふむ、あの炎は悪魔に有効でした、使えます。不安定でまだ感情に振り回されているようですが、センスはいいようだ」
本当なら、燐の実力を試すために、鞠亜がゴブリンを呼び出す手筈だった。
けれど、事態は良いのか悪いのか、結局はメフィストの想う通りになった。
自身が所有していた腐った血を使わずにすんだことは結果オーライととっていいだろう。
「自在に扱えるようになれば我々正十字騎士團にとって、最高にユニークで最強の兵器になるでしょう」
近くにあったソファーに腰を下ろして鞠亜は二個目の桜餅を頬張る。
一瞬メフィストが怒ったような悲しいような表情をするけれど、一人分しか用意しないのがいけない。
「ただし、監視は必要です。使い物になる前に騎士團上層にバレたくないですからね。まあ、時間の問題でしょうが……さあ、それはどうでしょう」
メフィストはそう含んだように言う。
雪男に何を言われたのだろうか。
「やれやれ、肩に力が入りすぎですよ先生……もっと人生味わわねば」
「……私はどうだった? 横にいただけだけど」
ふふふと笑みを深くしてメフィストに問いかける。
「さすが本部で扱かれただけあって慣れてましたね、とりあえず桜餅返してください」
「また買えばいいでしょう? 私の分用意してないメフィストが悪いよ」
そういうと、メフィストは悔しそうに顔をしかめる。
そういう、子どもっぽいところも好きだったりするのだ。
「桜餅はまた買うとして、学校の方はどうでした?」
「何とかなりそうかなとは思うけど、燐と同じクラスだとは思わなかったよ。さすがに違和感ある気がするけど……」
数か月前は中学生だった子供たちと比べると、さすがに浮いている気がするのだ。
今でも高校1年生のような輝きがあるのだろうか。
鞠亜は自分でも、どこか達観したところがあると思っているため、同級生として振る舞えるか若干の不安があった。
「大人びた高校1年生でも十分通用しますから、堂々としていればいいんですよ」
「うーん……分かった」
「あと、鞠亜には来週から奥村兄弟のいる寮に入って生活してもらいます」
さらりと言われた言葉に、鞠亜は飲んでいた紅茶を吹きだしそうになる。
桜餅を食べた仕返しだろうか?
なんて意地悪なのだろう。こういう意地悪なところは昔から変わらない。
「そこまでする必要あるかな……」
「その方が後々都合が良いんですよ。それに、監視は一人より二人の方が安全だ」
メフィストは最後の桜餅を櫛で刺してじっと見遣る。
長いこと、メフィストの傍にいるが、彼の考えはよくわからない。
楽しいことが好きなのは知っているけれど、彼がどこまで考えて動いているのか、鞠亜にはわからないのだ。
「メフィストは良いの? 私、寮に行っちゃうんだよ? 毎日会えないのよ? 私、不良娘になるかも」
「大丈夫ですよ。寮は今は使われていない旧寮ですし、寮には奥村兄弟しかいない」
襲われる心配はありません、とメフィストは得意げに言う。
つまり奥村兄弟は襲って来ないと思っているのだと、鞠亜は苦笑するが、実際のところは襲ってきても鞠亜が返り討ちできるとメフィストは高をくくっている。
どの道、四面楚歌には変わりない。
「そんなに寂しいならいつでも鍵を使えばいい」
「……職権乱用」
ぼそりと厭味ったらしくいうと、メフィストは鞠亜を見遣り笑みを深くする。
その表情が堪らなく好きで、鞠亜は手近にあったクッションに顔を埋めた。
ああ、ずるい。
そんな顔で見られたら、受け入れる以外ないのに。
「メフィストのばか」
「はいはい。今日は久しぶりに一緒に寝ますか?」
「……うん」
桜舞う夜は更けてゆくのだった。
2017.3.4
余談
ボロ旧寮の鞠亜の部屋のみ改築するために時間がかかっているとかいないとか。至れり尽くせりです。でも奥村兄弟の部屋は改善してくれないフェレス卿なのでした。