02 春の慈雨

今日は雨が降る。

鞠亜が窓の外を眺めていると、雫が点々と窓硝子に後を残し始めた。
空を覆う曇天が更に心を沈ませる。

「ヴァチカン本部より帰還しました、上二級祓魔師の家須鞠亜です」

扉の向こう側からメフィストの声が聞こえて、鞠亜は室内に足を踏み入れた。
入った真正面には、いつもの様にメフィストがデスクの前に座ってこちらを見てくる。
昨日は藤本のことでパニックになっていたが、改めて彼の顔を見ると心が安らぐのを感じる。
やっと帰ってこれた。

「報告書は夜までに出せばいい?」
「ええ」

部屋の置かれているテーブルとソファーも変わらない。
ソファーの横にキャリーケースを置いて、鞠亜が鞄からファイルを出してメフィストに見せる。

「昇級おめでとうございます。いやはや、私も鼻が高い!」
「もう、メフィストったら……」

昇級証明書を机上に置き、メフィストは嬉しそうに笑った。
やはりこういう時でも通常通りなのが彼らしい。
沈む心も、なぜだか馬鹿らしさを多少は感じられるのは、メフィストがいるせいだ。

「あちらでは異常はありましたか?」
「……ううん、いつも通りだよ。もう聖騎士の選定は始まってるけど」

昨日までは普通に仕事をして、大した事件もなかった。
上層部も通常通りだった。
昨日までは、だが。
聖騎士がいなくなったとなれば、新たな聖騎士を決めなければならない。
それには時間もかかるし、大事だ。

「……メフィストも行くんだよね?」
「もちろん、私これでも日本支部支部長ですからね」
「そーだね」

自慢げな笑顔で身振りを大きくするメフィストに、鞠亜は呆れつつも笑った。
テーブルの上に置いてあったマフィンを手に取ると、勝手に口に頬張った。
フカッとしたしっとりめな表面に、中のクリームは甘さ控えめで中々美味しい。

「何より、今日は奥村燐と会わねばなりませんからね」
「……あ、そっか」

鞠亜はメフィストの言葉をゆっくり理解したうえで、メフィストの前に戻ってくる。

「燐はどうするの? まさか殺さないとは思うけど」
「ええもちろん、奥村燐には正十字騎士團の武器となってもらわければならないのでね」

一応上辺のやりとりはしますがと、メフィストは言ってのける。
1年以上も会っていない燐が今はどうなっているのか、鞠亜は少し気になった。
昔のままの彼なのか、それとも。
どちらにせよ、メフィストは上手くやってくれるはずだ。

「さて、では行きましょうか。南十字男子修道院へ」

雨が降り続けている。

南十字男子修道院は奥村燐と雪男の育った場所だ。
両親のいなかった彼らは、そこで藤本獅郎が養父となり今まで生きてきた。
鞠亜も昔は顔を出すこともあった、懐かしい場所だ。

「帰る時は連絡します」
「わかった」

メフィストは部下を従えて先に車を降りて行ってしまった。
鞠亜も傘を差して修道院の出入り口に向かい、見上げた。
遠い昔の、これでの思い出が泡のように溢れてきそうで、また涙が零れそうだ。
やはり、漠然とした死しか考えられない。

「鞠亜、さん?」
「っ」

聞きなれたその声音に、鞠亜はすぐに顔を正面に向けた。
喪服を着て、以前見たときよりもさらに身長が伸びていた雪男は、会釈をして鞠亜に近づいてきた。

「あ……雪男君……お久しぶりだね」
「そうですね、いつ帰って来たんですか?」
「……今朝、だよ」

なんと言っていいのか。
祓魔師などという職業柄、仲間が死ぬことも少なからずあるが、いつだって掛ける言葉が出てこない。

「藤本先生が亡くなったの、メフィストから聞いたよ」
「兄さんの力も降魔剣じゃ抑えられなくなってきてる。だから……」
「……大丈夫だよ」

鞠亜は微笑を浮かべて、墓地に佇む燐に目をくばせた。
意外な反応に、雪男は目を丸くして鞠亜を見遣る。

「先生が亡くなってしまったことはとても悲しいけれど、きっと大丈夫。大丈夫だよ、雪男君」

どれだけこの先、苦しい事、悲しい事、辛い事があろうと、きっと大丈夫。
二人なら乗り越えていける。
鞠亜はそれを見守ることしかできないけれど、大変な時は隣に居てあげるくらいはできるかもしれないから。

「そうだ。私、上二級になったから、これからは雪男君の先輩だよ?」
「昇級おめでとうございます。僕も負けてられませんね」
「……お互い頑張ろう」

メフィストの高笑いが聞こえてくる。
きっとろくな事になってないだろうなぁと、鞠亜は苦笑した。

「せんせい」

どうかどうか安らかに。
どうかどうかこの兄弟を見守ってあげてください。

血だまりのこの世界をあなたの涙で洗い流してください。



2013.9.8
改変:2017.1.18


解説
夢主が「藤本先生が亡くなったの、メフィストから聞いたよ」という台詞は、藤本が、燐が力に目覚めて云々の経緯があって死んだということをメフィストから聞いたよという意味。色々伏せながらしゃべっているので全く本質が伝わらない台詞になってしまった。反省。





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