09 祟り寺の仔・後編

「家須先生、副担任の仕事は慣れてきましたかな?」

塾生から離れた場所に立っていた鞠亜に声をかけてきたのは体育実技担当の椿だ。
もみあげが濃いことと、剃った口周りの青髭がすごく目につくダンディな男である。

「そうですね、1ヶ月も経つとさすがに。でも授業に特別関与しているわけではないので、奥村先生の方が大変そうですけど」
「彼は真面目ですからね、でも要領も良いですから大丈夫でしょう……そうだ、よかったら今日は私の助手をしてくれますかね?」
「助手ですか?」

ちなみに、椿は鞠亜よりも一回り年が上だが、階級の差から彼は敬語を使用している。当初は必要ないと言ったが、育ての親がメフィストという点でもそこは譲れないと言われた。
あまり燐の監視以外で授業に関与したくないのが本音だが、こう頼まれてしまうと無下には断れない。

「ええ。今日は蝦蟇リーバーを使って悪魔の動きになれる訓練を行います。もちろん手綱は私が取りますが、万が一、生徒に危険な事態が起こった場合は先生のお力を貸してほしいんです」
「あぁ、なるほど。それなら大丈夫ですよ。お任せください」

「助かります」という椿と一緒に、鞠亜は笑った。全然大丈夫ではないが、そんなこと一切言うはずもない。
授業開始を知らせる鐘が鳴り、塾生の所へ椿は移動する。今回の実技の内容と注意点を簡潔に説明すると、早々に塾生2人を呼び、5メートル程落窪んだサークル内に招いた。

「そういえば、あと1ヶ月で合同合宿ですね」
「ええ。今回は1週間を想定しているようですね」

鎖に繋がれた蝦蟇に追われながら、子猫丸と志摩がサークル内を走っている。
その光景を見ながら、鞠亜と椿は祓魔塾のこれからのスケジュールについて話が進んでいった。

「入塾したと思ったらもう合宿について考えなくちゃいけないなんて、大変ですよね」
「スケジュール的に早め早めに段取らないといけませんからね」

椿は蝦蟇の鎖を引っ張り、動きを止めたところで次の2人が呼び出される。
呼ばれたのは燐と勝呂だった。大丈夫だろうか、あの2人。

「ずっとこのクラスの子たちを見てますけど、奥村くんと勝呂くんは特に仲が悪いんですよねぇ」
「優秀な勝呂クンと彼ならば、折り合いも悪いでしょうナ。気になるんですか?」
「……祓魔師は一人では戦えませんからね。特に候補生エクスワイアにもなっていない彼らなら、大切なことですし」

心配そうに、だが険しい表情で、サークル内を全力疾走する燐と勝呂を見遣る鞠亜。そんな彼女の横顔を見て、椿は少し驚いてしまった。
鞠亜が塾生であった時を知っている椿にとって、今までの彼女は明るく品のあるお嬢様だった。メフィストの下で育ったためか、上品な雰囲気がありつつも行動が突拍子ないことも多々あった。
しかし、隣にいる彼女はそうしたお転婆な部分が削ぎ落されたような、そんな落ち着きが垣間見えた。やはり、本部へ1年も身を削ると変わるのだろうか。

「でもきっと、本当の意味で仲間になるのは大変なんだろうな……」
「? どういう意味ですかナ?」
「……いえ。男の子の友情って私にはわからないなーって思いまして」

軽く笑い飛ばして鞠亜は話を切り上げる。
そろそろ2人のかけっこがおふざけでは済まなそうなレベルになってきていた。飛び蹴りを食らわす勝呂とコケる燐に、椿がレバーを引き、蝦蟇の鎖綱を引き寄せた。

「コラァーーッ、何やってんだキミタチはァ! 死ぬ気かネ!!」

鎖があったから良かったものの、飛び蹴りをして体制を崩した勝呂は実践であれば悪魔に襲われていただろう。
それ程までに勝呂は燐に負けたくなかったのかもしれないが、あの行動は許されるべきものでは無い。
鞠亜は先が思いやられるなぁ、と柵に頬杖をつく始末だった。

「この訓練は徒競走じゃない! 悪魔の動きに体を慣らす訓練だと言ったでショウ! ーーて、コラコラコラ聞きタマエ!!!!」

椿の説教など届いていないようで、燐と勝呂は殴り合い蹴り合いを始める始末だった。
椿はサークル内に降りて燐を引き剥がし、サークル外から見ていた子猫丸と志摩が勝呂を抑えていた。
どうやら椿は勝呂を呼んだようで、サークル内の隅に移動して話をしているようだった。
2人はちらと燐を見遣り、また話を始めていたが勝呂の表情を見れば何も納得していないのは見てとれた。
さしずめ、成績優秀な勝呂に燐とあまり関わらないよう言っているのだろう。勝呂は教師が燐に注意しない事を納得していない様子だった。
燐達の方を見ると何やら男子3人で話をしているようで、少し内容が気になったがさすがに鞠亜のいる場所から声は聞こえない。

「授業再開するゾ〜! ん?」

椿はポケットから携帯電話を取り出し、誰かと話をしていたが、すぐに通話を切ると片手を上げて「注ゥ目ゥー!」と声を張り上げた。

「しばらく休憩にする! いいかネ! 基本的に蝦蟇は大人しい悪魔だが、人の心を読んで襲いかかる面倒な悪魔ナノダ! 私が戻るまで競技場には降りず、蝦蟇の鎖の届く範囲には決して入らないこと! いいネ!」

椿は「家須先生しばらくの間よろしくお願いしますネ!」と言いたげな視線とウインクを飛ばし、子猫ちゃん! と叫びながら訓練場を走り去って行った。
鞠亜は視線だけ燐達に向ける。彼らは椿の行動に困惑し、同時に燐と勝呂を注視しており、鞠亜のことなど誰も気にしている様子はなかった。
その事を確認し、鞠亜は塾生たちに気取られないよう訓練場から姿を消した。

「さてと……大丈夫かなぁ燐…」

訓練場に繋がる通路の影に隠れながら、燐の様子を伺う鞠亜。この位置だと彼らの話は全く聞こえてこないが、燐の行動が見えれば問題は無いだろう。
何やら揉めているようだ。先生が誰もいない状態になった今、彼らがどう動くのかは大体予想出来ていた。だからこそ、こうして隠れているのだが悪いことをしているみたいで少し嫌になるなぁと、ため息が零れそうになる。

「そんなに睨まれると怖いよ。雪男くん」

ふふ、と軽く笑いながら視線を向けることなく言う。背後に立つ気配を感じ取ってようやく彼を見た。
奥村雪男が疑うような目でこちらを見ていた。

「ここで何をしてるんですか?」
「……見ての通り?」

変に言い訳をしてもどうしようも無いのは分かっていた。だが、素直に全てを話す道理も鞠亜にはない。

「ふざけないでくださいっ!」
「シッ、ここにいるのバレちゃうよ?」
「っ……、鞠亜さん、貴女はフェレス卿に言われて兄さんの力を試してるんですか?」

常々考えていたことだった。最初の対・悪魔薬学の授業で鞠亜が血の入った小瓶を持っているのは知っていた。最初は彼女が手騎士テイマーの資格を持っているからだと深くは考えなかったが、今思うと血を使って小鬼を呼び寄せ燐の力を図ろうとしたのでは、そう結びつけてしまった。
フツマヤでも休日に彼女は燐の前に現れ、結果的に燐は炎の力を使っている。たまたまなのかもしれないが、彼女は燐の力が見られないよう女将が来ないようにしていたのは手際がいいという話だ。
今もあの場にいれば勝呂が燐を挑発する事はないだろうし、危ない橋を渡る可能性はない筈だ。それなのに彼女は隠れて成り行きを見守っている。
ちらりと訓練場を見れば、勝呂が窪みに入っていくのが見える。度胸試しをしようとしているのは歴然だ。鞠亜がいればあんな事をしようとは勝呂も思わないだろう。
けれど、鞠亜には雪男のその問いに答える義務
も義理も道理も何もない。彼の考えはまさにその通りだったが、彼にその情報を与える必要などなかった。

「もし兄さんが剣を抜いたらどうするんですか」
「燐はそこまで馬鹿じゃないよ。ここでは抜かない」
「なんでそう言いきれるんですか」
「燐にはまだ恐怖心があると思うの。小さい頃周りを自分の力で傷付けた記憶、周囲から遠巻きにされて燐はちゃんと身に染みて分かってる……ここで抜いたら皆にどう思われるのか」

まだ全員と距離を縮めていないけれど、青焔神サタンの血を受け継いでいる自分が炎を使えばどうなるか燐は想像出来るはずだ。
恐怖や怒りの感情が自分に向けられることは彼にとって苦痛そのものではないだろうか。そんな状況になれば燐が祓魔師エクソシストになるという宣言が真に樹立するのかは疑わしい。
だからこそ、燐は剣を抜かないし抜かずにどうやってきり抜けるか考えているはずだ。

「それに、あの燐の性格だといつかは周りにバレるし……」
「そうならないように鞠亜さんがいるんじゃないんですか」
「私は隠蔽する為にいるわけじゃないよ? あくまで監視要員。燐の突拍子ない行動に対応出来るのなんて限られるもの」

雪男はため息をつきたくなった。もっと色々なことを含めて彼女は燐を監視しているのかと思ったが、本当に行動監視と力を見る為だけの静観が主だと言うのか。
本当に周囲に燐の事が知られそうになった時、鞠亜は手を貸してくれないかもしれないということ。
結局自分がどうにかするしかないということだ。頭が痛くなってくる。

「でも、さすがに命に関わりそうな事になったらちゃんと助けるから大丈夫だよ」

そう言った矢先に蝦蟇に襲われそうになった勝呂を燐が助けに入る姿が見えた。胴体を噛みつかれ、周囲から叫び声が上がったが、数秒すると蝦蟇は燐を離した。

「燐は度胸があるよね。普通あそこで体張りには行けないよ」

行けば自分が食われかねない。だから普通の人間ならばあそこで飛び出したりはしない、出来ない。
けれど、燐は飛び出して自分が勝呂の盾になった。彼は自分なら食われないと思ったのだろうか。それとも自分の前で誰かが死ぬところを見たくないからか。鞠亜には分からない。

「あぁいうのは無謀って言うんですよ」
「そうだね。でも、燐のおかげで勝呂君は怪我をせずに済んだのも事実だよ」
「ものは言いようです」

雪男はあくまで燐の行動がどのようなものでも認めないようだ。

「さて、そろそろ戻ろうかな」

雪男を見遣ると、彼はまだ何か言いたそうだったが結局言葉を向けられることは無かった。
彼はいつも悩んでばかりいる。その悩みを聞くことは出来るだろうが、彼は話さないだろう。
だから聞かないし、聞けたとしてもそれを鞠亜は解決することは出来ないのだ。
鞠亜は立ち尽くす雪男を置いて、燐達のもとに行ってしまった。

何事も無かったように違和感なく、燐や他の塾生との話に混ざっている姿を、雪男は見ることしか出来ない。
言いたいとこは山ほどあるのにそれを言っても彼女ははぐらかすだろうと思うと、自分が問いかける内容が馬鹿馬鹿しく感じてしまった。
昔の彼女ならどんな質問も笑って答えただろうし、分からないことは分からないと言っていた筈だ。そこに嘘偽りなどなかった。
だがどうだ、今の彼女に質問を投げかければ嘘偽りない回答が返ってくるだろうか。答えは否だ。
鞠亜は瞬時に熟考するだろう。どこまで話すべきかを、自身とメフィスト、その他の祓魔師を天秤にかけて言葉を紡いでいる。
いつからそんな人になったのだろうか。
雪男は記憶を遡ってみると、やはり彼女が祓魔師を志してからだったように思える。



2022.7.19


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