08 祟り寺の仔・前編

入学式から1ヶ月が過ぎ、5月に入ろうとしていた。
燐を監視する日常にも慣れ始めていた鞠亜は、図書室に寄ってから祓魔塾へ向かうところだった。
雪男が燐の学力の低さを分かっているように、鞠亜も燐の頭の悪さをこの1ヶ月でよく理解した。図書室に寄ったのも、彼にわかりやすく勉強を教えるための教材を探していたからだ。
雪男は学業・祓魔塾講師・祓魔任務・兄の世話とやることが山積みである。
鞠亜は燐の監視がある為、あまり祓魔任務を任されることはない。だからこそ、雪男の代わりに燐の面倒くらいは見なくてはと思ったのだ。

「あっ、鞠亜ちゃ〜ん」

足早に中庭を歩いていた鞠亜は、軟派な声音に歩く速度を緩めた。
どこからだろうと思えば、校舎と校舎をつなぐ渡り廊下で志摩廉造がにこやかに手を振っている姿が見えた。彼の横には学友の三輪子猫丸と勝呂竜士がいる。
鞠亜は3人を無視することも出来ずに、方向転換し歩み寄った。

「こんにちは。3人ともこれから祓魔塾に行くの?」
「はい。家須先生もですか?」

勝呂は模範生のように訊いてきた。彼は頭頂部のみ金髪に染めていて、鶏を連想させる。その奇抜な見た目から不良の印象を受けるが、意外と彼はかなりの真面目な生徒だ。
受け答えもしっかりしているし、祓魔塾での小テストの点数もいい。燐にも見習ってほしいところだ。

「そうだよ。あ、せっかくだし一緒に行こうか?」
「ほんまですか? いや〜、たまには早く行くのもアリですわ〜」
「志摩さん、そういうのは口に出さんでください」

欲を隠そうともしない志摩が一番高校男児らしいとは思う。ピンク色の髪も高校に入る際に染めたそうだ。珍しくて地毛か聞いたときに本人が教えてくれたのだ。
そんな志摩を諫めるのが子猫丸である。丸坊主で一番身長が低い彼は正にお坊さんのようで、名前も相まって可愛らしい印象を受けた。

「先生は図書室に寄ってはったんですか?」
「うん、ついついいっぱい借りちゃった」
「えーと、初心者でもわかる英語、猿でもわかる数学入門、語呂合わせで学ぼう歴史……なんか先生っぽいわ〜」
「これどうしはるんですか」

怪訝そうに聞いてくる3人に鞠亜は苦笑しながら言葉を濁す。
流石に燐のために借りたとなれば、彼の小さなプライドに傷がつくというものだ。

「私も先生らしく、教え方の勉強をしようかなって思ってね」
「あ、もしかして奥村くんにですか? 確か、鞠亜ちゃん同じクラスやったっけ?」

うん、志摩くんは意外と鋭い。
だからあまり長いこと話したくはないのだ。
それに、周りをよく見ている。3人の中で一番にそれを気が付くのだから。

「……あの奥村言うやつは家須先生とお知り合いなんですか?」
「え? うん、小さいときによく遊んでたの。私が祓魔師になってからは疎遠になってたんだけど、燐が祓魔師を目指すことにしたみたいだからちょっと面倒を見てあげてて」
「その割にはあいつは授業中も寝てばかりで……ほんまにやる気あんのか」
「まあまあ、坊。俺かて詰まらんくて寝る時ありますさかい」
「寝なや!!」

ガツンと言われた一言に志摩は怯え声で「怖っ」と叫んだ。
どうやら真面目な勝呂からすれば、居眠りばかりしている燐が癪に障るらしい。
確かに、この前の対・悪魔薬学の授業でも、二人は口争いをしていた。

それは小テストの返却日のことだった。
相も変わらず燐は持ち前の頭の悪さを披露して、2点を取っていた。そんな彼に勝呂は悪態をついていた。

『2点とか狙ってもようとれんわ。女とチャラチャラしとるからや。ムナクソ悪い……!』

燐としてはしえみとチャラチャラした覚えなどないだろうが、勝呂から見れば関係ないことだ。見えたものは見えたのである。
そんな彼は燐に98点を見せつけていた。

『あ〜、二人合わせたら100点だね』

なんて鞠亜は小さな声でそんな感想を漏らしていたが、誰も聞いていなかったし、聞こえなくてよかっただろう。

『ばばばかな、お前みてーな見た目の奴が98点とれるはずが……常識的に考えてありえねーよ』
『なんやと!? 俺はな、祓魔師にの資格得るために“本気で”塾に勉強しに来たんや!! 塾におんのはみんな真面目に祓魔師目指してはる人だけや、お前みたいな意識の低い奴目障りやから早よ出ていけ!!』

勝呂の言うことはほぼほぼ正論だった。ただ、一応燐も真面目に目指してはいるのだが、日ごろの行いのせいでそんな風に受け止められていないだけだ。
勝呂の正論に燐は怯むがなんとか言い返した。

『な……何の権限でいってんだこのトサカ……! 俺だってこれでも一応目指してんだよ!』
『お前が授業まともに受け取るとこ見たことないし! いっつも寝とるやんか!!』
『うんうん、正論だ』
『お、俺は実戦派なんだ! 体動かさないで覚えんの苦手なんだよ!』
『……どんどん言ってやって下さいね』
『だあーーー! お前どっちの味方だ!』
『さて、どっちでしょうか……』

あの口論で二人の仲は決定的に悪くなった。
思い出せばなかなか面倒ごとではあるが、ふとその中の記憶に閃いた鞠亜。

「なるほど、体を動かしながら覚えるっていうのもありかも」
「何の話です?」
「ん? 燐だよ。ほら、この前俺は実戦派だから体動かさないで覚えるの苦手って言ってたでしょう?」

これはいい解決法が見つかったかもしれないと、鞠亜はにこやかになる。
が、燐のそれはどう考えても授業で寝ている時の咄嗟の言い訳なことは、聞いていた3人は承知していた。

「先生、それ鵜呑みにするんはよくないと思いますよ」
「そういうところもかわええわ〜」
「志摩さんは自重してください」

鞠亜の鍵を使い、祓魔塾の廊下に入った4人は分かれ道で立ち止まった。

「じゃあ私は講師室に行かなくちゃいけないから、また後でね。3人とも」
「またな〜鞠亜ちゃ〜ん」
「ヘラヘラすなや」

バシッと勝呂に頭を叩かれた志摩に苦笑しながら鞠亜は講師室へ向かう。
挨拶をしながら室内へ入ると、すでに教室に講師陣は二人しか残っていなかった。あと数分で授業が始まる為、遠い教室で授業を行う講師陣は早々に出ていったのだろう。
残っているうちの一人は雪男である。彼は次の時間、燐たちの授業の担当の予定だ。

「鞠亜さん、おはようございます。……その本は」
「燐に勉強教えようと思ってね? せっかく同じクラスだし、寮も同じだし、気合入れて教えてあげようかなって」
「兄にそこまでして頂かなくてもいいんですよ……? あなたの仕事は兄の監視ですし……」

雪男はとても疲れたような表情で言った。確かに、他の誰かが燐の監視をするとなれば、勉学の世話までするはずもない。
だが、それをしてあげたいと思うのは鞠亜にとって燐はかわいい弟であり、監視対象以上の情を持っているから故だ。
それを苦痛だと思うこともない。

「授業の復習にもなるし、私がしたくてしてるから気にしないで? 私のことより、雪男君はもっと自分のこと心配しないと。ね?」

そういえば、彼は眉間にしわを寄せてそうですね、とまた疲れた声音で言う。
雪男が抱えているファイルの一番上には先日行われた対・悪魔薬学の小テストがある。きっと、燐の点数が悪かったのだろうと予想できた。

「さ、私少し遅れていくから雪男君先に行ってて。もう授業始まっちゃうでしょう」
「わかりました」

講師室を出ていく雪男を笑顔で見送った鞠亜は鞄から携帯電話を取り出した。
画面には一件のメールが届いている。内容を見るためにボタンを押している時、室内に残っていたもう一人が声をかけてきた。

「メフィストからか」
「……秘密です、ネイガウス先生」

振り返って笑顔で返せば、ネイガウスは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
彼は祓魔塾で魔法円・印章術の授業を受け持つ手騎士テイマーである。
眼帯をし、威圧的な雰囲気を放っている男だ。初めは怖いという印象を持っていたが、今ではそんなものを感じることはない。
鞠亜はメールの内容に目を通すと、笑顔をしまい、授業へ向かう準備を始めた。

「不躾だとは思いますが、ネイガウス先生はあの夜、奥さんを亡くされたんですよね」
「だとしたらなんだ。それはお前も同じだろう。母も父も殺された、お前も」

その言葉に鞠亜は再度ネイガウスへ身体を向けた。
ああ、なんて可哀そうな人なんだろうと、そしてなんと無情なのだろう自分はと、思うのだ。

「ネイガウス先生は奥村燐が憎いですか?」
「聞いてどうする」
「いえ、興味本位です。私は物心つく前から両親がいませんから。どれほど辛いのかと思って」
「……確かに憎い、だが利用できるものはするし、お前にも隙など見せないぞ。私はな」
「……ええ、それでいいと思います」

鞠亜は笑顔で頷くと、一礼し教室へ向かうことにした。

ネイガウスは誰もいなくなった室内で一人息を吐き出した。
あの少女と話しているのは疲れる。
彼女が嫌いというわけではない。ただ、背後にあの何を考えているかわからないピエロがチラつくのだ。
昔からメフィストに会いに行けばあの少女が傍らにいたのを思い出す。悪魔が子供を引き取るなど、どういう悪巧みがあるのだろうとあの頃は常に考えていた。
結果的にその意図もわからず、彼女は意外にも純真に育ったのは不幸中の幸いだろう。
ただ、そうはいっても彼女は物心つく以前からあの悪魔に育てられている。彼女に油断も隙も見せてはいけないというのはそういう事なのである。

対・悪魔薬学の次は体育実技の授業である。
先ほどの授業はやはり燐が酷い点数を取ったせいか、また勝呂と燐の間でいざこざが起こってしまった。どうにも勝呂は燐の事が全面的に気に入らないらしい。

「あの勝呂とかいうやつ……なんなんだ? 頭いいのか?」

休み時間、中庭にある噴水で腰を下ろし休憩をしていた燐が唐突に聞いてきた。
鞠亜はしえみがグリモア学について分からないところがあるというので、隣で教えていた最中だった。燐の言葉に話すのをやめて双子に顔を向けた。

「秀才だよ。僕と同じで奨学金で入ってきてるしね」

雪男は燐の質問に堅実に答え始めた。
鞠亜も勝呂の情報はメフィスト経由で知っている。授業を後ろから見ている分、そう言った態度はよく分かるし、見えてくる。

「京都の由緒あるお寺の跡継ぎだって聞いたけど……成績優秀で身体能力も高く、授業態度もマジメ。少なくとも兄さんよりは努力家だ。いっそ兄さんは彼の体中の垢を煎じて飲んだ方がいい」

雪男はチクチクと日頃の鬱憤を燐に向けていた。
そして彼は「そんなことより」と兄の話をぶった切ってしえみに笑顔を見せるのだ。
ああ、可哀そうな燐。

「しえみさん、塾には慣れましたか?」
「えっ!? あ……ま……まだ、全然……」
「昔のしえみさんを知ってる僕から見たら今のしえみさんは見違えるみたいだ。……焦らず頑張ってください」
「勉強の分からないところも私が教えてあげるしね」
「うん! ありがとう、雪ちゃん、鞠亜さん……」

しえみは真面目に塾で勉強をしているし大丈夫だろう。あとは燐以外の塾生と少しずつ仲良くなっていくだけだ。
目下の悩みはやはり燐の赤点だ。どうしたものか。

「じゃあ僕は次の授業があるからここで。鞠亜さんは?」
「あー……そのまま燐たちについていくよ」
「わかりました。2人とも、次の体育実技の授業遅れないようにね」

雪男は二人、といっても主に燐に向けてだろう言葉を言い残して次の授業を行う教室へ向っていった。
雪男がいなくなり一瞬の沈黙が起こる。
先ほど中断した教科書の部分をしえみに教えようかと思ったが、彼女は何やら気分が落ち込んでいるように見えた。

「燐……」
「はっ?」
「私が塾にいるのってやっぱりおかしいよね」
「?……あー、お前祓魔師目指してるワケじゃないもんな」

どうやらしえみは、勝呂が燐に言っていた『塾にいるのは真面目に祓魔師を目指している人だけだ』という言葉が気にかかっているようだ。
ようやく外へ出て、前に進みだしたしえみにとって、悩みになるほどには特別な意味を持ったものだっただろう。
だが、彼女にとってその道が正しいのかよくないのか、気にし悩むことことは悪い事ではない。

「まーいーんじゃねーの? 色んな奴がいたって……」
「……」

鞠亜はただ静かに二人の様子を伺っていた。
自らが何かを促すより、外へ出るきっかけを与えた燐と話している方がしえみのためになるだろうと思ったからだ。
しえみは噴水の台座に正座で上りじりじりと燐に近づいていく。

「……燐、お友達いる?」
「はあ?」
「あ、あのね! り……燐……私と……」
「おーおーおー、イチャコライチャコラ……!!」

燐に身を乗り出して何か言おうとするしえみ。
その言葉をさえぎるように、勝呂の声が噴水広場に響いた。
ああ、なんとタイミングの悪い事かと、鞠亜は苦笑した。何より、またひと悶着起きる気配する感じ取れる。

「だっ、だだだだだだだだだだだだれがだゴル゛ア゛ァ゛!?」
「燐、どもりすぎだよ」

あれだけしえみと一緒にいることをからかわれているのだ、燐としてはまたいじられるのはたまったものではないだろう。
勝呂もたちが悪い。

「プクク、なんやその娘、お前の女か? 世界有数の祓魔塾に女連れとは、よゆーですなあ〜?」
「だから……そーゆーんじゃねーって、関係ねーんだよ!」
「じゃあなんや、お友達か? え?」
「……と……友達……じゃ……ねえ!」

鞠亜は掌を額に当てて一人うなだれた。
はたから見てしえみは燐と友達になりたいのだろうことは分かる。そして燐は多少なりともしえみを異性として意識している。
そのせいであらぬ誤解がこの瞬間生まれてしまった。
二人を昔から知る鞠亜にとって、二人が仲良くなる事がとても嬉しい。そして、可愛らしい二人だからこそ、意思疎通がうまく言っていないととても歯がゆかった。

「〜〜くっそ……テメーだって……!いっつも取り巻き連れやがって!! 身内ばっかで固まってんな! カッコ悪ィーんだよ!!」
「ブフォ!?」
「!? 笑うな!!」
「いや〜、そうやなぁ思て……!」
「なに納得してんのや!」

とりあえず、現状この二人はすこぶる相性が悪いようだ。
馬鹿と秀才の正反対な印象ではあるが、実際、気質は似ている気がするのだ。
早く和解してくれればいいのだけれど。

「さぁ、燐、しえみちゃん。2人とも授業そろそろだから着替えしてきた方がいいよ?」
「あっ、そ、そっか。うん」

鞠亜は急かすように二人を更衣室へ行くように促した。
燐は最後まで気に食わなそうに勝呂を睨んでいるが、そんな事してないで着替えてきなさいと言うところだ。
2人の姿が見えなくなったところで、ようやく鞠亜は3人に笑顔を向けた。

「勝呂君」
「はい」
「奥村先生も塾生時代は私とずっと一緒だったなぁ。でも、勝呂君から言わせれば雪男君も女連れでいつもイチャコラしてたってことだよね。今後は気を付けないと〜」
「……」
「ブフフッ!」
「家須先生、もしかして怒ってはります?」

固まる勝呂の代わりに子猫丸が恐る恐る訪ねてきてくれた。

「怒ってないよ?」
「絶対怒らはってますよ」

志摩が囁いている。
同級生と喧嘩しようが、嫌みを言われようが気にはしないのだろうが、仮にも教師である鞠亜にそんなことを言われては上手い文句も出てこないのだろう。
何より、あんなふうに言われては、自分の言ったことの小ささを突き付けられている気分になるはずだ。

「す、すみませんでした」

少し意地悪をしすぎたと、彼の様子を見て鞠亜は多少の反省をした。多少。

「日々の燐の様子を見て怒りたくなる気持ちは分かるから、謝る必要はないよ勝呂君。でも私は勝呂君たちの付き合いの長さと同じように、燐との長い付き合いがあるの。だから、彼の本当の中身を知ってからでも、遅くないと思うな」

勉強はからっきしで、居眠りばかりしてしまうが、彼はもしかしたら誰よりも悪魔を祓うことを真摯に受け止めているかもしれない。
彼は昔から他人をとても思いやれる素敵な男の子なのだから。
勝呂にもそれを知ってほしかった。

「それは、分かりませんけど、先生がそこまで言うんやったら努力してみます」
「はい。ありがとうございます。……さ、あと3分だから移動しようか」

腕時計で時間を確認すると鞠亜は噴水から立ち上がり、勝呂達を先導するように歩き始めたのだった。



2020.8.4


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