A
間近に空気を感じる。誰かの息のようなものだ。
気持ち悪い、この感覚を刹希は知っている。知っているが随分と昔のものだ。
嫌だと思い、払おうとするもそれは空気のように意味をなさない。

『――……』

目を開けられないせいでそこに誰がいるのか、いや、そこに誰もいないのかいるのかさえ判断できない。
でも自分の名を言う声がどんどん近づいてきた。
刹希、刹希、と遠かった声は近づいてきて、耳元まで狭まった距離に悪寒を感じる。
刹希は知っている、この声を。若い声、男……少年の声だ。
その声は刹希の兄の声だった。
認識すれば刹希の体が身を固くする。

『……い、やだ』

口には出ていない、頭の中に響く己の声に恐怖が倍増してくる。
この先がどうなるのか分かっているからこそ怖い、想像したくもない。

『――刹希』

これは夢の中だ、いない、あいつはいないんだ。だから大丈夫、そう思うのに体の自由は利かなかった。
ねっとりするような、でもどこか震えた、憎悪する様な声が耳元で刹希の名を囁いてくる。

『やだ……嫌だ……っ』

刹希は自分の体を抱きしめた。
怖い、夢の中まで来ないでくれ、もうやめてくれ。そう声に出しているはずなのに、実際には出ていない。
耳を塞いでも声が聞こえてきて、泣きたくなった。

『――ざけるな……刹希、刹希おいッ』

冷静な彼にしては感情的なこの声が刹希は嫌いだった。
声と共に脳裏に昔の記憶がよみがえってくる。


暗い部屋に刹希と兄がいる。だが刹希は今よりも幼く、兄もまた幼い。
服を引っ掴んで顔を歪ませて迫ってくる兄が怖かった。
体を這いまわる手も気持ちが悪くて、どうしてこんなことをされているのかも刹希は分からない。
ただ何度も名を言われて、刹希を貶すようなことばかり言ってきた。
どれだけの年月が経とうとも忘れることが出来ない、あの歪んだ兄の顔も、声も、無理やり重ねられた身体も、怖くて気持ち悪くて吐き気が込み上げてくるばかりだ。

『――刹希』
『いやだ』
『刹希、起きろ』
『やめてっ』
『刹希!!』

「嫌ぁ!」

襲ってくる兄に思わず目を開ければ、目の前に飛び込んできた青い瞳に動きを止めた。
ゆらゆらと焦点も合わずに刹希はその青を見つめていた。
まるで時が止まったみたいに、動かない。

「――刹希?」

脳裏にある記憶と重なった姿が気持ち悪かった。
考えるよりも先に手が出ていた。覆いかぶさるように上に乗っていた人物を思いっきり突き飛ばしたのだ。
それは壁にぶつかり、派手に音が響く。

「い……ったいアル!!何するネ!刹希!!」
「!!」

ぶつけた箇所を擦りながら、神楽が刹希に怒鳴った。
乗っていたのは神楽だったのだ。神楽の張り上げた声に刹希はやっと正気を取り戻して目を瞬いた。

「ご、ごめ……」
「そんな子に育てた覚えないアルヨぉぉぉ!!」
「ブハっ……!!」

すぐに謝罪しようと思えば、神楽は間髪入れずに刹希をひっぱたいた。
いつもの銀時とのノリのおかげで力加減していないらしい。容赦のないビンタに刹希は瀕死状態である。画面が赤の状態である。
しかも一発に止まらず数発続けられる行為。た、助けてくれ、これ死んじゃう新八、と常識人に救いを求めた。
その時、襖が開いた。

「……ちょ、ちょっとオオオオオ!!?神楽ちゃん何してんの!?」
「お仕置きネ」
「イヤ意味わかんないんだけど!!ちょっ、刹希さん死にかけてるじゃないか!!」

駆け寄ってきた新八は刹希から神楽をようやく引き剥がした。
救世主よ、とぐったりしながら刹希は新八に心の中で手を合わせた。

「何があったの?神楽ちゃん。……ダメじゃないか、刹希さんの部屋に勝手に入っちゃ」
「刹希の手ぬぐい変えようと思っただけアル。そしたら刹希がうなされてたから起こそうと思っただけネ、最初にやってきたのは刹希アル!!」

神楽が部屋に居た経緯はわかったが、肝心のビンタを行うに至った原因が分からなかった。
何をやってきたのだろうか、首を傾げる新八。

「……新八、銀時は?」
「え、銀さんですか?買い物行かせてますけど……もうそろそろ帰って来ても良いと思うんですけどね」
「そう」

刹希はビンタされた両頬を抑えながらため息をついた。
新八はなぜ銀時の事を聞くのか、なぜため息をつくのか分からず、再度首を傾げていた。

「そう言えばさっき変な音が聞こえたけど……なんだったの?」
「刹希にいきなり突き飛ばされたネ」
「……はァァ?刹希さんが?まさかそんなこと……」
「私の言ってることが嘘だって言いたいアルか?良い度胸ネ」

ゆらりと立ち上がった神楽は新八に近づいて行く、きっと刹希と同じ目に合わせる気なのだろう。そう察した新八は後ずさって弁解した。

「イヤイヤ違うよ!嘘だなんて思ってないから!!刹希さんがそんなことするなんて、ちょっと意外だなァって思っただけだから!!」
「私びっくりしたアル、新八もやられてきたらいいヨ」

いやそれは、あの音を聞いた限り勘弁願いたい、と切実に思う新八。
本当にドンと大きく響いた音には何事かと思ったのである。
そんな二人を見ながら、寝ぼけるなんて余程陀絡に飲まされたあれが利いているのだろうか、と頭を抱えたくなる。
髪色も全く違うのに、兄と見間違うなんて、神楽にも悪いし自分に苛立った。

「……神楽、ごめん」
「……刹希」
「ごめん、なさい。ごめんなさい」
「別に良いアルヨ。銀ちゃんのに比べたら可愛いもんだったネ!刹希のは」

神楽はにかっと笑ってそういうが、刹希の声は震えていた。
顔を覆いながら何度か謝罪の言葉を述べる刹希に違和感を覚えた。
新八は怪訝そうに問いかけた。

「どうかしたんですか?……あ、もしかして悪い夢を見たとか?」
「怖い夢見たアルか?」

心配そうに顔を見てくる新八と神楽に申し訳なくなってきた。

「迷惑かけて……ごめん」


――ごめんなさい、ごめんなさい父上。もっとがんばります……だから捨てないでください。


嫌な過去がフラッシュバックする。無意識に、何度もごめんなさいを繰り返していた。
遠い昔に何度も口にしていた言葉。もうそんな事も無くなっていると思ったが、思い出したように連呼してしまう。この癖は変わらない。

「何してんのお前ら」
「!銀さん!」
「お帰りヨ、銀ちゃん」

冷めたような、その場にそぐわない声が聞こえてきて、刹希はびくりとする。
ああ、嫌なところを見られてしまった。刹希は口を閉ざして、神楽を頭を撫でた。

「新八、勝ったやつ冷蔵庫入れといたからなァ、夕飯宜しく。あと神楽、お前定春の散歩連れてけよォ!」
「ええ、私アルか?」
「自分で飼うっつったんだろーが!俺はもう仕事しましたからァ!お前は犬の散歩してきなさい!」

自分が何もしていないことが図星のようで、神楽は愚痴りながらも定春を連れて玄関へと向かい始めた。新八も部屋から退散して台所に向かったらしい。
思えばもう外は日が沈み始めていた。室内が赤く染まっている。
銀時は短く息を吐くと刹希の横に座ってきた。

「何々、怖い夢でも見ちゃったって?」
「……別に。昔の夢見ただけ」

子ども相手にからかうような口調が気に入らなくて、刹希はそっけなく答える。
何でも知ったような口ぶりがたまに癇に障るのだ。
大体いつから襖の向こう側にいたんだか、疑ってしまう。

「お前の昔のことって言ったら怖いのばっかだろ」
「…………」

本当の事だったから声が出なかった。

「……神楽の事、兄上と見間違えた。最悪だ」

やっと出た言葉がそれだった。一人でこの事を溜めこんでいるのは辛かったのだ。
バカだ何だと言ってくれれば気が少しくらいは楽になるかもしれない。

「え、何?お兄さん髪赤いの?」
「……違う。私と同じ」
「んじゃどこ一緒なんだよ」
「……目。眼の色」
「そんだけ?」
「そんだけだよ、悪いかコノヤロー」

ふーん、といつも通りやる気のない返答で苛々し始める刹希。
大体なぜ思い出したくもない昔をわざわざ思い出さなければならないのだ。
これだから銀時はデリカシーのない男だと言われるのである。

「良いんじゃねェの、謝ったんだし。あいつもめっちゃビンタしてたしよ。喧嘩両成敗でいいんじゃね?」
「……銀時いつからいたの?気持ち悪いんだけど……え、これは本当に引くレベルだよ」
「オイせっかく傷心者に偉大なる言葉を送ってやってんのによォ!それはないんじゃないの!?」
「どこが偉大なの。どっか近所のオッサンの言いそうな言葉じゃん」

何を言うかと思えば、くだらなすぎて逆に沈んでいた心も浮上してくる。
一方の銀時はオッサンなどと言われて逆にショックを受けているらしかった。
でもそんな銀時に思わず笑みが漏れて、彼が横にいてくれて良かったとも思うのだ。
何だかんだいって、刹希が精神的に追い込まれる時はいつも銀時が傍にいた。
今みたいに適当に声をかけてくれる時もあれば、慰めてくれる時もあった。懐かしい思い出である。
だからだろうか、刹希は甘えているのだ。無意識に、自覚などない。

「――ありがと銀時」
「……刹希のデレが見れるならお安い御用……」
「さっさと出てけ、白もじゃ」

何が良いものか、こんな脳内ピンクの男!
キリッと決めているつもりなのか、そんな表情が更にうざい。
誰がデレてるって、誰か。デレデレの顔はお前だろうが、と思いながら、銀時の思いっきり頬を抓って部屋から追い出した。
全く、あんな男に感謝なんてするとつけあがるからいけない。
刹希はため息をついて再度布団にもぐりこむのだった。





2013.12.27


(あとがき)
オリジナルの話でした。
看病されるのとヒロイン兄について書くのが目的でした。兄がいるんです、宜しくお願いします。
なんか書きたいものが頭に膨らみ過ぎて文章にまとまっていない感じです。涙


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