ガール 1



 『なつめ』の小さな背中を見るたび、僕は背筋がぞくりとするような奇妙な感覚を覚えた。丸い肩のラインや猫背に乗っかったような細い首、そして緩やかな巻き毛の隙間に見える真っ白な肌が僕に連想させるのは、かつての少女が顔をうつむかせたときによく黒髪の隙間からのぞいていたあのうなじとそして、それよりも白かった、絶望みたいに白すぎた、彼女の手首の包帯であったからだ。

「──何を読んでるの」

 藤吉棗という子は、退屈そうに本を読むかぼうっと宙を見つめるかくらいの動作しか見せない、笑ったところなどそれこそ誰も見たことがないような、しかし大層綺麗な顔立ちをした生徒だった。僕が授業中に生徒を当てようと黒板へ背を向けてクラスを見回すと、眠りこけている男子やらくがきに興じている女子の中で文庫本を片手にぼんやりと窓の外を見つめるなつめの整った横顔はひたすらに異色で、僕はたまらずそうっと目を逸らして、机に伏せた男子の刈り上げられた頭を叩くために教壇から足を踏み出したものだった。起こされた生徒が渋い顔で答えを探そうと教科書をめくる間に再び目をやるとき、なつめはごくたまに顔を上げ一瞬僕と視線を合わせて、けれど興味なさげな色を隠そうともせずすぐにそれを本へと戻した。

「いつも読んでるから、気になってたんだ」
 授業を聞いているそぶりのない割に不思議と考査の点は頭一つ抜き出ているなつめは、かといって特別成績がいいわけでもなかったらしい。それは僕の担当していた地学でも同様だったのだが、課題を遅れて出しに研究室へ来たなつめを横目に、渡されたノートを開いて各教科の課題提出の最終ラインと思われる日時が細い字で書き付けてあるメモが挟まっているのを見つけたときはなんだか呆れてしまった。苦笑でも浮かべるべきかと迷いながら黙ってメモを差し出すと、なつめは半ばどうでもよさそうに受け取ってどうもと小さく呟き、やはり手にしていた文庫本にそれを挟む。その手の本を指して、僕は訊ねたのだった。
 なつめの目は無音で僕を捉えた。
 まつげの長い猫のような目、少し赤みがかった茶色い瞳。ナツメ色だ、そう気づいたと同時になつめは幾度か目をしばたたいて口を開く。僕はその動きを眼で追う。
「──星の王子さま」
 です。なめらかな発音で言ったあと、そう付け加える。
「……サン=テグジュペリ?」思わず聞いた。意外だった。
 ご存じですか。そうなつめが問い返す。頷いて、読んだことのある書名を挙げた。『夜間飛行』、あれは読んだな、と。珍しくいつもよりは興味を持っていそうな顔をしているのがなんとなく楽しかった。なつめが、これは、と訊ねるように左手の本を示す。渋く淡い、抹茶のような色をしたブックカバーが、いつものようにかけられていた。首を横に振れば少し思案するようにデスクの上の天体模型を見つめ、やがて僕に本を差し出す。「どうぞ」とやはり表情なく言葉を付け足して。
 ためらいながら手を伸ばしたとき、白線が入った紺の袖がずり下がってなつめの生白い手首がのぞいているのが目に入った。奥は暗くて定かでないけれど、青い血管がうっすらと透けているのが見えた。左手首。瞬間、腹の底ですぅっと何かが引かれるような感触を覚える。いいの、と訊ねた声がかすれた。なつめは黙ってうなずいた。ブックカバーは布製らしい手触りがした。



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