同級生 3 ──思い出してみると、高峰君はよくあの本を持っていたような気がする。一度、お気に入りなの? とかそういうことをたずねてみた記憶もある。困ったように笑って、わからないと言われただけだったけれど。今思うとごまかされていた感じが、するような。 「……高峰君さ」 「うん」 「こころ好きだったよね。夏目漱石の」 「あー……そうだったかな」 どっちつかずに首をかしげた高峰君に、つられるように首をかしげてしまう。何でそんな反応? うーん、と高峰君が唸った。 「……透子さん、の旦那さんがさ、大学の研究室に務めてて」 「はぁ」 「夏目漱石の研究してたんだよな……透子さんも大学でその辺の勉強してたとかで、俺、知ってる本あれしかなかったから。鳴海さんに教えてもらったりで色々知ったけど」 無意識に追ってたのかもなぁ、と、高峰君は呟いた。そのあとで、でもこころは確かに好きだよ、とも付け足す。 「なんかたまに、何もないのに思い出しちゃうところがあってさ」 「…へぇ、どこ?」 「『恋は罪悪ですよ』ってやつ。本当に、ふっとね」 「──……、変なの」 なんか似合わない、と私が笑った時、ぱたぱたと軽い足音がして、目の前をばさりと黒髪が舞った。 高峰君に飛びついた莉子ちゃんは、「清隆」と不機嫌そうに言って、高峰君のお腹にぐりっと頭を押しつける。……あ、忘れてた、かも。高峰君が困ったように笑った。ごめんごめん、もう帰ろうね、となだめるように頭を撫でて、すまなそうに私に視線を移した。「ごめん、鳴海さん」 「ううん、私こそ」 「俺は高校の頃の友達と話すの久々だったし楽しかったよ。鳴海さんどこか行く途中だっただろ?」 「え……あ、忘れてた!」 同窓会、始まってる。行かなくちゃ、と腰かけていたブランコから立ち上がり、あわてて小走りに歩き出す。公園から出たところで振り向くと、高峰君は莉子ちゃんの手を握り、空いている手を私に向けて振っていた。手を振り返そうとして、不意に気づく。莉子ちゃんが高峰君の手に抱きつくようにしながら私をじっと見ていた。高峰君は中途半端に手を上げたまま動かない私の視線を追うようにして目を落とし、莉子ちゃんになかば反射のようにほほえみかける。あぁ、父親の顔だ。 ……そういえば、高峰君、来ないんだ。それどころか、どこか行く途中だっただろ、というさっきの言葉からすると今日が同窓会だということすら知らない。高校の友達と話すのも久しぶりだと言っていた。 あんなに、仲の良いひとがたくさんいたのに。世捨て人みたいだ。たった一人、好きだったひとの娘と生きていくつもりなのだろうか。このままずっと、何回同窓会があっても、みんなの知る『ツー君』が来ることはないのか。 変なの、と、思う。どうして私だけ、今日、会えたというのだろう。知らないうちにお父さんになっていた、元同級生の、ずっと好きだった、みんなから人気だった、男の子。……変、なの。──高峰君、慣れた呼び名を口に乗せれば見慣れた笑顔が返ってくる。 「知ってた?」 「私、高峰君のことあだ名で呼べたらいいのにってずっと思ってたんだよね。……覚えてる? 高峰君の、変なあだ名」 バッグを持つ手に、どうしてか力が入る。──しかし君、恋は罪悪ですよ。解っていますか。私はにっこりと笑ってみせた。笑っていたと、思う。高峰君は困った時いつもするように首の後ろに手をやって、私の知るように目を閉じた。私を見はしないんだな、と思った。 「……俺は、鳴海さんに高峰君って呼ばれるの好きだったなぁ」 しばらくして何の気も無さそうにそう言った高峰君は、そうして懐かしむように笑みをこぼした。 × 人は、特別に、弱いのだ。 恋は罪悪ですよと、有名な小説の有名な一節がまどろみの中で安っぽく胸に突き刺さる。『とにかく恋は罪悪ですよ、よござんすか。そうして神聖なものですよ』。 何笑ってんの、と不意に彼が言った。いつの間に口元が緩んでいたのか、頬へ触れる指に応えることはしないまま、薄く開いていた目を閉じる。 神聖なものか、と思った。 20120913/同級生 ←[back]→ |