切原君の場合
 うすぐらい/血注意




 俺にとって幸村部長は、いつだって厳しくて強くてカッコいい、いつか越えるべき目標だった。部長の弱いところなんて正直想像もつかなかったし、夢の中でだって部長に勝てたことはなかったし、言うならば確固たる存在とかいうヤツだったんだと思う。

 ……だからあの、部長が倒れた日、病院に行って待っていた時、俺は何も考えられなかった。現実味がまったく感じられなくて、全部に違和感があって。大病とかテニス出来ないとか何ソレどういうこと? って感じだったし、その後のベッドで困ったように笑ってる部長とか、その時だけひどく小さく見えた副部長の姿とか、何も変わってないように見えてほんの少しノートを持つ手が震えていた柳先輩とか、俺には何一つ受け入れられないことだった。ありえない、こんなこと、って、何度も何度も思った。こんなの、あっちゃいけないことなんじゃないのかって。


 真っ白い部屋で、真っ白いベッドの上に横たわって、点滴につながれている部長の肌もまた白い。ちゃんと呼吸をしているのか一瞬不安になり、薬臭い掛け布団が静かに上下したのを見て思わず息をついた。今日も、生きてる。
 今まではそんなの、意識すらしなかったことなのに。
 寝てるのか、とつぶやいて、ベッドの脇の椅子を引いて座った。起こすといけないし本当は帰った方がいいのかもしれないのだけれど、なんとなく離れがたく感じて投げ出されている左手を緩く握る。触れた体温の冷たさと指の細さに、ぞっとした。この人はいつからこんなに弱々しくなってしまったのだろう。ちゃんとモトに、戻るのだろうか。
 ──そもそも元の部長なんてどこにいるというのだろう?

「……赤也?」
 びくりと、大げさなまでに肩が跳ねたのが自分でもわかった。

 どうしよう、どうしよう、今顔を上げたらきっと何かまずいことを言ってしまう。
 赤也、とまた部長が俺を呼んだ。その声は、全然変わってないのに。

「………、すんません、起こしちゃいました? 邪魔しないようにしてようと思ってたんスけど」
「……いや、大丈夫だよ」

 部長の目を見ないまま空っぽに笑ってみても、それが咎められることはない。サイアクだなぁ俺、とぼんやり思う。わかってやってんだから。マジ、病人に気ぃ遣わせるとかひでーだろ。
 もう起きてしまったのに手を離すことが出来ない。幸村部長は何も言わず俺に握られた左手を見つめていた。しばらくして、血の気の薄い口が開く。

「赤也は、暖かいな」

 決壊、したと思った。俺は今世界一情けない顔をしているに違いない。部長は力の緩んだ俺の手から左手を抜いて、枕元のボタンに手を伸ばす。目を上げると点滴の管に血が逆流しているのが見えた。俺の表情を見た幸村部長は不思議そうに俺を見つめる。(なんで、こんな、)
 こらえきれずに視界が歪み、俺は言えない言葉の代わりに汚い水を零した。ごめんなさい、何も出来なくて、ごめんなさい。




20110629/切原君の場合(あとがき





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