柳君の場合
切原君の場合の続き



「泣かせてしまったんだ」

 困ったように瞳が細められた。どうしたらよかったのかわからなくて、そう続けた精市は自身の伸びた髪をくしゃくしゃとかき混ぜる。赤也が放課後の部活中にふらりとコートを出て行ったのは8日前のことだ。以来どこかふさいだ様子で、弦一郎に散々どやされても全く堪(こた)えていないようだった。一人でここに来ていたとはな、そう独りごちると不意に精市がうつむく。
「何かをしたような覚えはないんだけど」
「……最近不安定だったように思う。精市に責はない」
「思う、か」

 息をつくようにこぼされた笑みは自嘲なのか、それとも。

「どうやら君にもわからないことはあるらしいね、参謀」
「それどころかこのところはわからないことだらけだ。参ったものだな」

 茶化すような言葉にしれっと乗っかれば彼は瞳に浮かべていた皮肉めいた色を引っ込めて笑った。俺もそれに応えるように笑って見せる。
 実際、わからないことばかりだ。耳をふさぐことすらできずに、鳴り響く不協和音を聞いているような、そんな思いをずっと抱いている。精市が俺達に向ける瞳はだんだん色を失っていく。体からはテニスの匂いがしなくなっていく。どうしたらいいのかさっぱりわからない。さっぱり、わからない。
 自分達が一介の中学生でしかないことを、こんな形で思い知らされるとは思わなかった。

「──皆の調子はどうだい?」

 ふと耳に入った言葉にぷつりと思考が断ち切られる。思ったより長く考え込んでしまっていたようだが、精市は気にするそぶりも見せず窓の外へ視線を移していた。
『君が考え事をしていると、たまに声をかけていいのか迷うよ』
 寝ているように見えないこともないし。冗談半分にそう揶揄された時は俺達は二人ともコートの中にいて、ベンチに座っていた。そんなことを思い出す。あれは、いつのことだったか。

 ……部誌とは別に部内全体の記録をつけているノートを取り出して、練習メニューや各員の様子を大まかに話していく。精市は遠くを見ながらうなずいていく。ほとんど日課のようになったこの行為の中で精市がこちらを見ることは少ない。本当に聞いているのか疑いたくなるような表情で窓の外へ視線をやりながら、それでもきちんと相槌だけは打って。
 精市、とよびかける。ゆるりとこちらへ向けられた瞳は霞んで見えた。捲ったページの先はもう白紙であることに、彼はまだ気がついていないらしい。
「今日の分は終わりだが」
「あぁ……すまないね、いつも」
「いや、大した手間でもない」
「そうじゃなくて」

 ──そうじゃなくて?
 問うように軽く首をかしげると曖昧に笑う。……報告をする時の様子は、最初はあんな風にぼんやりとしたものではなかった。どうしてかときおり表情を曇らせることはあれ、ノートを逐一見ながら時には質問し意見しながら俺の言う言葉を聞いていたのだ。きっと、自分がいない間にも皆が強くなりつづけるようにという意思を以て。それが、──……。
 そうじゃない、そうじゃないんだ、と繰り返した精市は眉を寄せて顔を伏せた。伸びた髪に手を伸ばすと呟くような謝罪が再び耳に届く。「すまない」。

「……聞いてると、どうしてここにいるんだろうと思って、焦ってしまって」

 なら聞くなって話なんだろうけど、と言った声は少し笑っていた。次に来るときは、ノートを忘れるべきだろうか。漠然と、それだけ頭に浮かんだ。

20120922/柳君の場合
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