スタンド・バイ 2


 一ヶ月ほど前のことだっただろうか、イギリスへ戻って来た母から一枚の写真を手渡された。日本にいたころ住んでいた屋敷の一室に落ちていたのだというそれは、特に工夫も芸術性もない、どちらかと言えばスナップ写真かオフショットのようなものだった。
 学生時代の自分と、恋人だった男。目にした瞬間ふっとあの頃の風が薫った感覚がして、同時にこれを撮った生意気な後輩、交わした言葉、仲間の顔、なんてものを自然と思い出した。小さく礼を言った俺に、母は満足そうに微笑んだ。
 ……テニス部のチームメイトだった男と付き合っていたのはもう5年も前の話だ。どういう勘違いかお互いに『そういう』感情を持って、4年近く学生らしい恋人ごっこをしていた。愛しいなんていう気持ちがわかるとは今でも断言出来そうにない。しかしあのころの自分たちは本気だったのだろうと、写真を見てそう思う。どんな話をしていたのかは覚えていないが、このとき正面から見ていた忍足の穏やかな笑顔だけ、なんとなく思い出して笑いがこみ上げた。『穏やか』か、と自分で自分に苦笑する。出会ったばかりのころはうさん臭いとしか思わなかったというのに。
 変わったのはあいつか、俺自身か、それとも両方だったか。今となっては何にもならないことだけれど。
 どんなにあいつのことを好きだったのだとしても、あのころの自分はもう俺の中のどこにもいないのだから。


 それでも、と、ペンをとったのは誰のためだったのだろうか。

 真っ白な封筒を見つめて考える。覚えにある通りの曲がり方をして、しかし記憶にあったよりはずっと大人びている『忍足侑士』の字。まさか返事が来るとは思っていなかったから、仕事の書簡に混じって名前が見えたときには正直ぎょっとした。写真の裏に書いた文には気がついたのだろうか。少し迷った後に、一呼吸ついて封を開く。
 やはり少しだけ斜めに曲がった字で「跡部へ」と初めに書かれた、白い便箋。こちらから送った手紙と同じように、近況報告やかつての仲間の消息が綴られていた。ほとんどが近場にいてたまに顔を合わせては互いの話をしているらしく、行方の知れない奴と言えば跡部くらいやで、などと皮肉混じりの言葉も書かれている。そして、皆跡部に会いたがっているからたまにはこちらに帰って来いというような文に、漠然と感動を覚えた。こいつら──かつての氷帝の仲間にとっては、日本が俺の帰る場所なのだ、と。
 ……全体を流し読みしてからふと、一番下に目を留める。便箋の端に走り書きされた一言。

「『追伸』──」


『風の噂に聞きました。
 婚約おめでとう。』


 気づいたのだと確信した。
 写真の裏のメッセージ。正直に言えば今でも少し後悔しているくらいには衝動的に書いたものだった。祈るような──いや、なかば悼むような気分で。幼く拙い恋をした、あの写真を捨てなかった5年前の自分を。
 手紙を書いたのももしかしたらそのためだったのかもしれない、と思った。同時に、きっともう俺のことなんて忘れているであろう、しかしかつては確かに俺を愛した幼いあいつのために。
 俺もあいつも、ずっとだとかいつまでもだとか一生だとか、そういう言葉は一度として使ったことがなかったのだ。そう思い出した。そして、それは当然のことだった。幸か不幸かはわからないけれど、俺達は現実を知っていたから。俺は『跡部景吾』で、忍足侑士は男だった。あいつだってそれを承知していた。きっとはじめから。だから──、引き出しの奥から探り出した小さな箱の埃を払って、呟く。

 「だから」、と。



もうちょっとだけ続くんじゃ
20120320/まほろば





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