新開隼人の話


2014/10/29 14:37



 10月29日は滝萩之介の15歳のお誕生日です、おめでとうございます。
 洗濯が終わったらケーキを食べに行きます! 一人で!! さみしすぎか? 暇つぶしに日記を書こうと思います。滝誕の小説はもう来年に持ち越そうかなってくらい進みません。ドンマイ。ほんとドンマイだよ!!! 私が!!!!

 さて。
 実はペダル全巻持ってるんです、というわけで新開隼人のトラウマに関する考察です。ならびにTwitterのごちゃごちゃしたあれやそれやを整理する作業です。アニメどこまで行ってるのかな。新開メインの話はもう終わってるはずですよね。

 まず、新開のトラウマというのは、ウサギを轢いたことそのものだけではなく、それをその時にはタイムロスとしか思わなかった自分なのだろうなと思っています。
 たとえば、母ウサギを巻き込んで落車した時、その場で彼女をどうにかしようとしたなら、そこまでは行かなくとも、その場で「大変なことをしてしまった」と感じていたなら、ああはならなかった。どうしてそう感じなかったのかというと、それよりも優先するべきものがあったから。勝利することしか見えていなかったから、ということになります。
 帰りに同じ道を通らなかったら、新開の中には落車したってことしか残らなかったし、そのこともすぐに忘れたんじゃないでしょうか。だから、「勝負するってことはいろんなもん捨てちまうってこと」「そこにはオレが闘いにこだわり勝利を追いかけるあまり忘れてきた何かがあった」という発言が出る。
 母ウサギの死骸とウサ吉を目の当たりにするまでは、新開にとっては、左側に飛び出してきたものは障害でしかなかった。でもそうじゃないことに気づいてしまったから、「左側にいたもの」は「取り返しのつかないもの」だったから、左を抜くことができなくなったんだろうと思います。

 それはたぶん、自分が信じてきたものすべてへの絶望に等しかった。誰よりも速く走ること、勝利すること、それにこだわること、付随する今までの努力。

 だから、新開がそれを克服するということは、以前の直線鬼に戻るということではない。
 荒北の言うところの「心を絡め取って動けなくさせる」ものにたとえるなら、荒北は福ちゃんの言う通りにそれをチギって忘れて捨ててひたすら前を見て走って行ったけど、新開はきっと一生、あのことを抱えたままで、でも、心を絡め取った蔦を心の一部にして走って行くのだと思っています。
 なんていうか、ジョジョでいうとジョニィなんですよね新開って(唐突にジョジョ脳を発動)
 新開はIHを通して「マイナスからゼロになった」だけ。三年はみんなそれぞれにIHを一つの決着地点にしたけど、新開隼人は、まだまだ、何もかもがこれからの選手なのだと思います。なんかそういう感じです。

・東堂尽八の高潔さについて
・真波山岳の絶望と委員長ちゃんについて
・御堂筋翔くんの悪意について
・手嶋純太、というかチーム二人について

 この辺また後日書きたいのですが、この需要のなさと言ったら。



[back]