最初のうちは何でもない素振りを見せていたが、五日六日と日が経っていくうちに落ち着きなど消え失せていく。 二週間経った頃には食欲もなく何も行動を起こす気になれず、自分で以前より細くなったと痛感する腕は、白を通り越して青白くさえあった。骨ばった指先も荒れており、長らく火薬の調合をしてこなかったせいで焙烙火矢の予備も残りも少ない。夜は部屋の真ん中に布団を二つ敷き、その隅っこで丸まって眠った。しかし毎夜の眠りは浅く、目の下には立派な隈をこさえている。 方々からの心配に大丈夫だと笑って回る。大丈夫ではないことは自身が一番知っていた。 どんっ!と壁を殴る大きな音に顔をしかめる。耳元での騒々しい音は寝不足の頭に響くからやめてほしいというのが率直な感想だ。 しかし意にかかすことなく、私の目の前にいる後輩は顔いっぱいに不機嫌を表していた。 どうやら私を逃がすつもりはないらしく、背後の壁と顔の横にある腕で囲まれている。 「先輩」 腹の底からでも絞り出したような低い声に背筋が震える。 どうしたんだ鉢屋。私に何か用か?なるべく平常に聞こえるよう努めながら問えば、片方の手首を捕まれ壁に押し付けられた。ただでさえ背中と頭が壁にくっついていたというのに、力強く押さえつけられ、その衝撃が寝不足の頭に響く。 自然と鼻の頭に皺が寄り、少しだけ力が緩んだ。その隙に逃げようかと企んだが、今の私に鉢屋を振りきることができないのは火を見るより明らかだったから、この状態に甘んじることにする。 「何が、あんたをそんなに追いつめているんですか。あんたはいつだって人を馬鹿にするような態度とって、皆の先を余裕そうに歩いて……ッ、そういう人間だろう!」 くしゃくしゃに歪めた顔が目鼻の先に近付いた。鼻と鼻の先がくっつきそうでくっつかない、吐息がかかりそうでかからない、そんな距離。 あんまりにも真剣そうに言うものだから、ついついこぼれたのは自虐の笑みだった。 「私をどんな風に見ているのかは知らないが、そんなに崇高な人間ではないよ。お前が思っているよりもずっと臆病で、卑怯な男だ」 「……潮江先輩がそんなに心配ですか」 「ああ。私は恐らく……いや、あいつがいなければ生きていけないくらい惚れているんだ」 あいつが好きだ。違う、愛してるとか惚れてるとか、そんな言葉では足りないほど私は文次郎という男に依存している。 今まで自分にも他人にも言えなかった言葉が素直にあふれてくる。よりによって鉢屋に。 どうやら相当参ってるらしいと自虐の笑みを浮かべれば、すぐ目の前にある顔が歪んだ。 私を押さえていた力が弱くなり鉢屋の方が力なく地面に崩れ落ちていく。私に触れそうで触れない奇妙な位置ですがり付くような姿勢をとり、腹から絞り出すようにして小さく喘いだ。 「何で……そんなに傷付いてるのに、それでもあいつじゃなきゃダメなのかよ……っ」 ポツリと頬に雫が落ちてきた。ポツリ、ポツリ。その数は少しずつ増えていく。 空を見上げれば曇天から落ちてきているようで、雨足は私たちを痛いほど叩きつけるまで強くなった。 校舎のがわから屋根のしたに避難するようにの声だとか、生徒たちの突然の雨への非難の声だとかが聞こえてくる。しかし人目に隠れたこの空間だけは静かなものだった。 暫く呆っと雨のなか佇んでいると、のそのそと鉢屋が立ち上がった。顔を伏せたまま蚊ほど小さな声で行きましょうと声をかけられた。それに返事をせずに校舎に向かって歩く鉢屋の後ろについていく。 その二日後、文次郎が帰ってきた。聞けば案じたことにはならなかったらしい。 雨はその後も粛々と降り続けた。 |