そのためこの日が初の顔合わせになるのだが、男は現れた花嫁に焦燥を隠せなかった。花嫁は声なしとなっていたのだ。声を失う前は村一番の美しい音色で歌を歌っていたらしいが、先日目が覚めると言葉をなくしていたらしい。 腫れた目は白粉でも隠せないようで、晴れの日であるというのに陰鬱とした空気が漂っていた。 暫く一人にしてくれと部屋に閉じ籠っていると、艶のある声が男の名を呼んだ。見れば、花嫁衣装で着飾った仙蔵が恍惚とした笑みで部屋の真ん中に立っている。確かその衣装も花嫁のものであった筈だ。 さあ、これから一生声なしと過ごす不便な日々と、あなたの期待に応えることのできる私との幸せな日々、どちらをお選びになりますか? わざとらしく尋ねる仙蔵に頭に血が上り、胸元を掴んで壁に押し付けた。 それから何かを喚いて叫んだが何を言ったのかろくに覚えておらず、その間も余裕そうに微笑む仙蔵にいつの間にか力が抜けその場にへたりこんでしまった。 仙蔵、とまるで童のような情けない声が出た。応える声は天女を思わせるように優しいものだ。 俺はお前を選ぶ。 その瞬間、仙蔵の笑みが消えつまらない虫けらでも見るような瞳が男を見下ろした。 「何だ、貴様も所詮その程度か」 それは今までの仙蔵の声ではなく、どちらかと言えば威圧感の塊のような、聞いただけで粟立つ声であった。優しく儚げだった雰囲気もどこへやら、威風堂々とそこに構える様はまったくの別人のようだ。 何か物を言おうとしても口を開閉させるだけで、言葉がでない。喉に封でもできたかのような息苦しさに、視界がにじんだ。 「これだから人間はつまらない。愛だのなんだのと宣いながら、最後は自身が可愛くて仕方ないんだ。人間の、特に男は醜く汚い」 「な……んなんだ、おまえは」 ようやっとそれだけを絞り出せば、嬉しそうに仙蔵の口角がつり上がった。少しきついと思っていた鋭い目も、同じように上がる。 「言ったじゃないか。私はあの森の主に拾われた人間だよ。もっとも、今は人間をやめてあいつと同じアヤカシになったのだが」 人間をやめただと? 仙蔵の言っている意味が、言わんとしていることがわからなくて眉をひそめる。 その間にも彼は玩具を自慢する子どものように話を続けた。 「どうやら『この世のものとは思えない、美しい容貌をした妖怪に気に入られた者は帰ってこない』なんて噂が回っているみたいだが、どうにも間違いがある。その妖怪とは私のことなんだが、人間など気に入るわけがないし、これはただのお遊びだ。長い時を生きる身としては暇で仕方がなくてな。遊び終わったら余計なことが広まっては迷惑だし、ちょいと死んでもらっているが」 「俺も……殺されるのか」 「ああ。お前は今まで一番つまらなかった。あの村のやつらと同じ最低な人間だ」 そう言って浮かべた笑みは嘲笑の種で、それに仙蔵へ哀れみを抱いたのは自分でも思っていないことだった。 仙蔵というその妖怪は、人間であった頃とある村の長の家に産まれた。しかし長の息子の実子ではなく、嫁が他の男により孕まされた子であった。 その一家は長として敬われている一方で、煩わしく思われていた。嫁はその反対派の男たちにより、腹いせにと集団で犯されたのだ。 そうして孕んだ子どもを、しかし嫁は産もうとした。例え望まれた子ではなくても、自分の中に宿った大切な命だ。自分達の勝手で摘むわけにはいかない。 だが、世は男尊女卑の時代。他の男と交わったことさえ許されないというのに、更に産もうというのか。あらゆるところから非難の声が飛び交い、愛していた長の息子にも泣きながら下ろしてくれと言われた。顔をぐしゃぐしゃにしながらすがり乞う息子に、嫁は呆然としながら頷いた。 その日、まるで嫁など存在しないかのような素振りで鬼灯を持ってきた義母の目には、軽蔑の色しかなかった。 鬼灯の根をすりつぶして、毎晩それを飲んだ。三日、五日、十日と飲み続けたが、しかし腹は大きくなる一方である。 嫁はこの子が産まれたがっているんだと泣きながら喜んだが、皆は嫁へ気味の悪いものに接する態度になっていく。あの嫁は本当に人間なのか。腹の中には鬼がいるんじゃないのか。 噂は少しずつ醜く歪み、いつの日か彼等の手には嫁を殺すための武器が握られていた。鬼の子を産む前に、人間の皮をきた化け物に制裁を! 夜中に忍び込んだ嫁の寝床に目当ての人物はなく、布団が一式敷かれているだけでもぬけの殻だった。 嫁を連れ出したのは息子だった。確かに子は下ろせと言ったが、愛する嫁を殺されてはたまらない。それに本当は、息子も子を産んでほしかった。 元々妊娠しにくい体質であったらしい嫁はなかなか自分達の子ができず、今回こんな形ではあるが子ができたと知って密かに喜んでいたのだ。 そうして二人で逃げ出した夫婦は名を変え、村から遠く離れたある小さな村で暮らすようになった。それなりに名のあった生活から一気に一農民一家に転落したのだが、それでも二人は幸せであった。慎ましく穏やかな暮らしは、あの村にいた頃には全く考えられない。 その内に元気な男子も産まれ、夫婦は抱き合って喜んだ。産まれる二月も三月も前から考えていた仙蔵というその名前を、赤ん坊に与えた。 仙人のように長く生きてほしい。蔵するから転じて、誰にも見つからずひっそりと暮らしてほしい。 村を離れて生活したからこその願いであった。 そのまま平凡な月日が流れると思っていたある日、村からの追っての者が小さな村を訪れた。 ただでさえ小さい村の上に、彼等の存在に気付くのが遅すぎ夫婦は呆気なく捕まってしまった。 嫁は荒縄で乱暴に縛られ、そのまま犯された。しかも息子の前でだ。 よく知る男たちに侮辱され姦されているその姿は痛々しく、早々に奪われた仙蔵の泣き声が響く部屋で、犯されながらも赤ん坊をあやそうと声をかける様は見るに耐えれなかった。 顔を逸らし涙を流しながらやめてくれと懇願した先には、義母――息子の実母の姿がある。 あまりにも必死にすがりつく息子に、彼を溺愛している母は一つ案を出した。 嫁を助けてやることはできない。しかし、お前と子どもは助けてやろう。お前はこのまま村に帰り、私が選んだ女と結婚するんだ。子どもはこの村の近くにあった森の前に捨て置く。運が良ければ助かろう。 他に選択肢がなかった息子は、その提案に頷いた。約束通り子どもは森に捨てられ、息子は村に帰ると気立てのいい美人な女と結婚した。嫁は犯されながら首をはねられた。 こうして一つの家族の話は終わる。しかし歯車はまだ動き出したばかりであった。 |