だん、と何かを荒々しく叩きつける音に、思わず縫物をしていた手を止めた。どうにもわたしの旦那さまは裾を色々なところへ引っかけてしまうようで(あんなにひらひらした召し物なら当たり前だろう)、その解れを直していた最中のことだった。あんなに大事にされている分厚い書物(一体何がおもしろいのか理解不能である)を机に叩きつけた隆景さまは、口元こそ笑んではいたが、目は全く笑っていない。一体どうしたのかと声をかけようとした刹那、「三週」と低い声で呟いた。

「三週…?」
「義姉上へ書状をお送りしてからの日数です」
「……あぁ、大はうさまですか?」

そういえば少し前、大はうさまの元へ書状を送っておられた気がする。大はうさまは元春お義兄さまの正室で、わたしの義姉にあたるお方だけれど、如何せん勝気なお方で、五龍お義姉さまとはとても仲が悪い。元春お義兄さまとはとても仲が良いし、広家殿の教育もしっかりなさっているから、決しては悪い人ではないと思うのだけれど……五龍お義姉さまは少し気位の高い方だから、少し、いや、割と険悪な雰囲気になっている。長男の隆元お義兄さまの正室である小侍従さまでさえ、頻繁に五龍お義姉さまへ書状を送っておられるのに。それを見かねた隆景さまがとても丁寧な書状を大はうさまへ送られたのだけれど、

「無視ですね」

普段から温厚な隆景さまが怒るだなんて珍しい。余程腹が立ったのだろうか。まぁ確かに自分の姉と義姉が仲違いしているなんて嬉しくないだろうし、ましてや余所者(言い方は悪いけれど)である大はうさまへ書状を送ったのに無視されたときたから、さすがの隆景さまもお怒りになったのだろうか。怒った時の隆景さまは、怖い。叱りつける時には折檻すら厭わないお方だ。ゆらりと幽霊のように立ち上がった隆景さまが、剣を片手に襖を開ける。

「た、隆景さま!?そんな、剣など持ってどこへ…!」
「心配いりません、庭へ出るだけです。あぁ、そういえばそろそろ駄目になる牡丹がありましたね」
「は?…えっ?隆景さま!?」

にこっ、と微笑んだ後、足袋のまま縁側から庭へ降りると(その足袋を洗うのは誰だと思っているのだろうか)、徐に庭に咲く牡丹の花をその手に握った剣で切り落とした。通りかかった侍女が情けない悲鳴をあげて「お方さま、旦那さまは一体何を…」と、傍に寄ってくる。これは非常にまずい。今まで物に当たるような真似なんてしたことのない隆景さまが、牡丹の花に当たり散らしている。庭師の嘆く顔が目に浮かぶようだ。

「お初、」
「はいっ」
「今すぐここに、筆と紙を」

侍女はこんな時に何を、とでも言いたげな顔をしていたが、慌てて筆と墨を取りに行った。そうしている内にも地に落ちる牡丹の花が増えていく。取りあえず隆景さまが落ち着くまではそっとしておかなければ。今日は一日、庭の掃除で終わるだろうと思うと、溜息が止まらなかった。

「お持ちいたしましたっ」
「ありがとう」








結局隆景さまがいつものように(そう、穏やかで優しいあの隆景さまに)戻られたのは、一刻程経ってからだった。気が済むまで花を切り落としたのち、何食わぬ顔で「お茶をください」なんてのたまった隆景さまをじとりと睨んでやったら、それはそれは爽やかな笑顔を返してくださった。汚れた隆景さまの足袋を洗ったのもわたし、散らかった牡丹を片付けたのもわたし。勿論隆景さまは手伝ってくれなかった。「だってそれが妻の務めでしょう?」とにこにこ笑いながら。あれから三日後。

「あぁ、そういえばお義父さまから文が届いてましたよ」
「父上から?」

「またいつもの冗長な文でしょうか」なんて言いながら文を広げる隆景さまを見ていると、お義父さまに同情を禁じ得ない。確かにあの方の書かれる文は、書状なのか日記なのかはたまた本にしたいのか分からなくなってしまうけれど。割とわたしに宛てても文を送ってくださるけれど、読んでいる内に寝てしまう。おかげで返事を書くのに一苦労だ。そんなことを考えている内に、隆景さまは文を読み終わったようだ。

「お義父さま、一体何て送ってこられたんですか?」
「簡潔に纏めるなら、『あまり怒らないように』ということですね」
「簡潔に、って…」
「長すぎて面倒です。掻い摘んで言うならば、『彼女の書く文は三下り程のものでどこかの偉い武将からの文のようだ』と父上は仰せなのですよ」
「えぇ……お義父さまにもそんな文を…」

何というか、思った以上に強烈な方だ。お義父さまにすら三下り程度の文なのだから、そりゃあ隆景さまの文に返事などしないだろう。肝が据わっているというか何というか。けれどまぁ、隆景さまの機嫌もすっかり良くなったようで何よりだ。これでわたしの負担も減る。

「しかしなまえ、上手く根回しをしましたね」
「えっ?な、何のことでしょう」
「惚けるな」

ぴしっ、と額を指先で弾かれ、思わず仰け反ってしまう。細身とは言え、隆景さまとて男なのだから、たとえ指先の力だけでもなかなか痛い。それにしても何でばれたのだろうか。わたしが『隆景さまの怒りをなだめてほしい』とお義父さまへ書状を出したのは、わたしとお初しか知らないというのに。額をさすりながら恐る恐る隆景さまを見遣ると、にっこりと笑っておられた。

「ならば読み上げてさしあげましょう。『追伸、あまりなまえに気を遣わせないように』…」
「お義父さま…!!」

余計な事を書くな!と言いたいが相手は旦那の父上、しかも智将と名高い毛利元就さまだ。こんなこと恐れ多くて言えやしない。この怒り、どこへぶつけるべきか…。またもや俯いていれば、ふと目の前が陰る。顔を上げれば、隆景さまがわたしを見下ろしておられた。

「隆景さま…?」
「あなたのおかげで怒りも和ぎました。お礼をさせてください」
「え、お礼って……あの、どうして襖を閉めるんですか?」
「言わせないでください。声が漏れるでしょう」
「ちょ、ちょっと!隆景さま!?」

一瞬で視界が反転し、目に映るのはやけに機嫌の良さそうな隆景さまのお顔と木目の天井。やられた。何とかして抜け出そうともがくも、無駄なあがきだ。掴まれた手首はびくともしない。

「あの、この三日間、碌に眠れていないんですけれど…」
「すみません、苛々していたもので。ついなまえで紛らわせてしまいました」
「今更謝られても遅いです!機嫌が直ったのなら休ませてください!」
「おやおや、遠慮しなくてもいいんですよ?さぁ、私に身を委ねて」

「大丈夫、今日は優しくします」。そんなこと言われたって安心できやしない。これも全部大はうさまのせいだ。降ってくる柔らかな口づけに、もうどうにでもなれ、と目を閉じた。


贅沢な不幸だね




史実ネタ。大殿は三兄弟のお嫁さん同士の仲で苦労していたようですね。

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