“彼”に初めて会ったのは10にも満たない年齢の時だった。父が運営する施設へ連れてこられた彼は名前をヒロトと言った。彼自身の名前が本当にそうだったのか、父が名付けたのかは知らない。けれどその名前はわたしの兄のそれと同じだった。兄はわたしがずっと幼い頃に外国で死んだらしい。ほとんど顔も覚えていない彼の名前は父や姉の話でしか知らなかったが、二人にとってとても大切な人なんだったと子どもながらに理解していた。特に父にとっては本当にかけがえのない存在であることも。父は“彼”を兄と呼ぶように言った。施設の他の子どもたちのことは何と呼んでも良いけれど、“彼”のことは必ず兄と呼ぶようにと。疑問に思ったことはあったけれど、きっとそれは“彼”が兄に似ていたことと、わたしが兄というものを知らなかったからそう呼ばせることにしたんだろうと納得するようにした。だから特に反発することもなく、わたしは“彼”を兄と呼んだ。けれど、兄として慕うことはできなかった。





「お兄ちゃん」
「僕は君のお兄ちゃんじゃないよ」

わたしがお兄ちゃんと呼ぶたびに“彼”は笑ってやんわり否定した。どうして否定するのか分からなかったが、大方わたしのことが嫌いなんだろうと思っていた。血が繋がっていないからそう呼ばせないというのは違う気がした。なぜなら彼は同じく血の繋がっていない姉を“姉さん”と呼んでいたから。本当の兄はわたしや姉よりも年上だったから、姉は“彼”にそう呼ばれるたび、少し戸惑った色をその瞳に映していた。





「ヒロ兄」
「なにその呼び方」

父が逮捕されて、わたしを縛るものがなくなったその日から、わたしは“彼”の呼び方を変えた。“彼”は少しだけ驚いた顔をしたけれど、困ったように笑ってそう言った。その頃から、どうして“彼”がわたしにお兄ちゃんと呼ばせたがらなかったのかが、分かるようになってきていた。少なくとも、わたしのことが嫌いだからだとか、そんな理由ではなかった。“彼”がイナズマジャパンの選手候補に挙がり、雷門中学へと向かうことになった時、わたしもまた、そのマネージャーとしての招集を受け、一緒に向かった。“彼”は嫌な顔ひとつしなかった。





「ヒロト」
「なぁに」

わたしが“彼”を兄として慕うことのできなかった理由がやっと分かった頃、わたしたちの関係は義兄妹から恋人へと変わっていた。わたしたちの関係は驚くほどスムーズに進んだ。当たり前のように手を繋いで、当たり前のようにキスをして、当たり前のようにセックスして、お互いがお互いを慈しみ、愛していた。たとえ誰もわたしたちの関係を知らなくても、わたしたちは確かに、愛し合っていた。





「今日からあなたの名前は吉良ヒロトよ」

姉と共に三人で訪れた市役所で、正式に吉良家へ養子入りした“彼”の戸籍変更手続きを行った時、わたしははたりと何かに気付いた。あぁ……これは、駄目だ。これは、気付いてしまってはいけないことだ。いけないことだった。けれども、わたしは気付いてしまった。

「なまえ?」

“彼”が吉良ヒロトと名乗ったその瞬間から、わたしの中の“彼”は消えてしまった。真っ暗闇を駆け抜けては消えてゆく流星のように、ぽろぽろと零れては落ちてゆく“彼”の欠片を拾い集めることなどできなかった。床に散らばったその欠片たちが再び形を成した時、そこには兄がいた。基山ヒロトではなく、わたしの兄の、吉良ヒロトが。





「その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか」
「誓います」

例えわたしたちが義兄妹という関係だったとしても、わたしが彼の姓を名乗ってしまえば誰も文句を言えなくなると思っていた。けれど、基山では駄目だった。“彼”が行く行くは吉良財閥を背負って立つことなんて分かっていたことだった。そのためには基山という姓を捨て、名実共に吉良という立場を手に入れなければならないことも。戸籍上兄弟になってしまったわたしたちは血が繋がっていなくても結婚することなどできない。“彼”を戸籍離縁させてまで、“彼”の手に入れた幸せを奪ってまで、一緒になる勇気などわたしにはなかった。今“彼”の隣にいるのはわたしではない女性だ。本当なら、きっとわたしがあそこに立っていた。花嫁が投げたブーケを偶然にも手にしたわたしに、円堂くんが笑いかけた。幸せになれよ、なんて、笑ってしまう。わたしの幸せなんて、もう、どこにもない。こんなにも愛しているのに、愛し合っているのに、わたしたちはひとつになれない。






ヒロトにとってこれがハッピーエンドなのかバッドエンドなのかはご想像にお任せします

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -