なまえは決して高貴な家の出ではなかった。むしろ出自も全き不明で、白雄という後ろ盾がなければ焼け野原となった村でただ一人、孤独に死んでいく身であった。卑しい身分の出なのか、それともどこかの貴族の出なのか、それすらも分からない存在。白雄に拾われた当時は名前もなく、衣類もボロボロの幼子だったなまえが、宮内で無下に扱われなかったのは、そのずば抜けた魔導の才能であった。然しながら、彼女の武芸の腕は武官に遠く及ばず、家事も猫の手を借りた方がましと言える有様。逆に言えば、なまえをなまえたらしめる要素はそれしかなかったと言っても過言ではない。そんなところも、紅玉が親近感を抱いた理由の一つだった。

前帝である白徳が敗残兵の手で命を絶たれ、後を追うかのように皇太子であった白雄、白蓮の二人が大火で命を落とし、紅徳が皇帝の座についたのと同時に、紅玉は陽の目を拝むことと相成った。遊女の子と散々罵られ、蔑まれた過去から滅多に自室より出ようとしなかった彼女を、夏黄文は励まし、立派な皇女として養育した。また、長兄である紅炎や神官でありマギでもあるジュダルによって武芸の才を見出された紅玉は、やっと己の居場所を見つけた気がした。

皇太子二人が死去した年から七年が経とうとしたある日、紅玉から見て次兄にあたる紅明が結婚するという話を耳にした。紅玉が13歳、紅明が21歳になろうという年であった。一体誰が嫁ぐのだろうかと紅玉は夏黄文に問うた。その問いに苦い顔をして彼は答えたのだ。「なまえ殿であります」と。それが初めてなまえを知った日であった。

話でしか聞いたことのなかったなまえを初めて目にしたのは、紅玉が15歳になった日であった。ひとつ年を重ねたその目出度い日に、紅明は妹へ反物を送った。淡い桃色に鮮やかな牡丹の花が散らされた柄であった。物臭な次兄がこのような反物を選ぶのが俄かには信じられず、部屋を飛び出し竹簡を抱えては猫背気味に歩く兄を呼び止めた。兄の隣には、一人の少女がいた。彼女がなまえであった。紅覇に似ている、と紅玉は思った。如何したのかと問いかける紅明に、紅玉は当初の目的を思い出し、反物の礼を述べたが、当の本人はがり、と頭を掻いて隣のなまえへちらりと視線をよこした。「それは、妻が選んだのですよ」とやや所在無げにのたまった紅明に、ぱちくりと瞳を瞬かせてから、紅玉はなまえへ視線を移した。己と三つしか変わらぬ彼女は、ゆるりと笑みを浮かべ、「お気に召しますれば幸いです」と拱手してみせた。剣を取る自分とは違う、美しい手だった。

数度の会遇を繰り返すうちに、二人は実の姉妹のように仲睦まじくなっていった。当初は紅玉を一人の姫として扱い、謙った態度を取っていたなまえだが、姉妹として接してほしいという紅玉の願いに、徐々に態度が柔らかくなっていった。二度季節が巡る頃には、なまえは紅玉を呼び捨てていたし、紅玉も彼女を「お義姉さま」と呼ぶようになっていた。己の実姉は誰も彼もが高圧的で、遊女の腹より産み落とされた自分を嘲笑う者ばかりであったからか、紅玉は義姉に対し絶対的な安心感と親近感を抱いていた。



「紅玉が結婚するのだとか」
「えぇ、バルバッドの第一皇子と」

別段大したことではないとでも言いたげに、紅明は返した。もう二日ほど寝ておらず、どろりと濁った瞳が、なまえに向かう。女性として生まれたならば、余程の事が無い限り他家に嫁ぎ、自家との橋渡しを務める。乱世では当たり前の事だ。なのになぜなまえはこんなに悲しげなのか。

「憂いているのですか。あなたも辿って来た道なのに」

あえて突き放すような言い草に、なまえは困ったように微笑んだ。紅明の言うとおり、なまえも辿って来た道だ。事情が少々特殊であったとはいえ、白徳の親族と紅徳の親族を繋ぐ橋。それになまえはなったのである。――なれているのだろうか、と思うことはあるが。

「お互い婚儀の日までは顔も合わせられませんからね。あとは運次第でしょう」
「素敵な方ならば……紅玉を大切にしてくれる、優しい殿方であれば良いのに。紅明さまのような」
「……やれやれ。何なんですかあなたは。私の邪魔したいのですか?」

仕事が手につきません。
そう文句を垂れつつも、なまえの髪を撫でるその手は優しい。少し冷えた指先の温度を心地よく感じながら、なまえは目を閉じた。義妹は女性としての幸せを手にできるのだろうか。相手を心から愛することが出来るのだろうか。大切にしてもらえるのだろうか。かつて最も敬愛していたその人と終ぞ結ばれることのなかった自分と、同じ目には遭ってほしくないと。

あんなにも見慣れていたのに。明日嫁いでいく義妹の笑顔が、思い出せない。

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