プレゼント | ナノ


「え…」
 俺は上司の言葉に少なからず恐れをなした。実戦なんてしたことがなかったし、するものでないと思っていたからだ。「これは上からの命令だ、断れないぞ?」それはわかっているけれど、俺みたいな新人が実際の戦場に行くなんて、想像もつかないものだ。
「はい…いや、そう、ですね…」まいったな。明後日か。

 食堂にはいつものメンバーが居座っていた。相変わらず彼女はひとりで食事をとっている。部屋も同じだし一緒に食べてやろうかと思って足を向けると、向こうから自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。これはどうも彼女の方にいける雰囲気ではないし、行ったら行ったで迷惑をかけてしまうだろう。どうせすぐに食べ終わるんだろうし、食べたらすぐに部屋に戻ればそれでいい。「遅くなったな。」
 いつものようにメニューを選んで源田の隣に座る。戦場に行くことを言おうかと迷ったが、なぜだかその事を言う勇気が口から出なかった。携帯をいじる彼女は、独り。俺も、独り。
 俺はこの世界で生きていないような気がして堪らなかった。

 食事も終わって俺と彼女の部屋に戻ってきた。彼女は机にうつ伏せになって寝ていて、何かを掻いている様子だった。覗いてみれば、なにやら手紙を書いているようだ。おそらく友達か両親に向けての手紙だろう、俺は目を逸らしてシャワーを浴びようと上着を脱ぐ。俺は唇を噛んだ。
 彼女、名前は別にそこまで強い人間ではない。狙撃だって並々といった腕前で、基地にくることも週に二、三回といったところだ。特に目立つ要素を持っているわけではないが、俺からすればなにかを持っている気がした。言葉では言い表せないような、何かを、持っている、そう断言できるほどの彼女の何かについて確信していた。
 名前は見る限りまだシャワーを浴びていないようだ。さっさと入ってしまおう。


 戦場での佐久間次郎は一人の軍人として兵士として敵として扱われるだろう、今までのおこちゃまとしての扱いは受けないだろう。銃を持って、自らの死を悟る戦いを、自らの生の為の戦いをするだけだ。軍人になるといい条件付きがあるから、なんて甘い考えで軍人なんかになるんじゃなかったと今更になって後悔しても遅い。覚悟というものを決めなければならない時が今きただけだ、どうせこんな事がいつか自分に降りかかるんではないかと思っていた。
 怖い。当然だが、怖い。
「…佐久間」
「あっ…お、おはよう。」
 自分が寝ていた事に驚いているのか、目を大きく開けて俺をじっと見つめている。辺りをキョロキョロ見渡して、寝てた?と問いかけてきた。寝てたよ、視線を読んでいた本に戻すと椅子から人が立ち上がる音が耳に籠った。
「俺…」
「え?」
「俺、明後日戦場で実戦なんだって。」
 自分でも思ってもみなかった、まさか名前に初めに言うとは予想も何もしていなかった。名前はまた驚いた様子で俺を見ていて、口を小さく開けていた。「実戦?佐久間が?」読みかけていた本にしおりも挟まず閉じて、小さく頷いた。「佐久間、狙撃うまいし頭もいいし…なんとなく納得できる。」「えっ」名前の視線は本にあった。
「納得、できるのか?」
「あんまり実感はできないけどさ、佐久間ならそうかなって納得いくんだ。」
 名前の発言に、俺まで納得してしまうことになった。別に自分を称賛しているわけではない。名前に言われたからだ。
「…そうか。」




 「佐久間、第二部隊と一緒にいけ。」「はい、」まさかの戦場でまさかの死を目の当たりにしまさかの敵と対峙した。どれもこれも教科書で読んだことのようで、自分が小説や漫画の登場人物になって気分だ。初めはビクビクとしたが、慣れてしまえばそうでもなかった。訓練のように狙いを定めて、撃つ、ただそれだけの事だと先程気づいた。「佐久間っ」
「!」
「佐久間、朝だよ、訓練遅刻するよ!」
「……名前?…なんで…あ…」
 夢、だったようだ。太陽の光が窓の隙間から差し込んでいて、鳥の声が聞こえた。「私先行くけど。」「ああ、起こしてくれたありがとう。」「どういたしましてっ」名前は駆け足で部屋を出た。夢、だったのだ。夢だとしてもすごくリアルな夢だった、手を見下ろせば微かに震えていて、部屋の風景も幽かに歪んでいた。涙を流しているのだろうかと目に手を添えたが、涙は出ていないようだった。ついに明日に迫った実戦、初めての出動、きっと俺の他にも明日が実戦になる奴らは数人いるだろう。
 とりあえず源田には言っておこうと思い、思い体をベッドから退かして上着を着た。完璧な遅刻だ。
 人を殺すのはすごく容易いことである事と、今までにない罪悪感を背負う事ことになる事は、十分にわかった。きっと皆初めて体験する時、この罪悪感が重すぎて辛いだろう。俺は夢でこの罪悪感を知れた。

「源田!」
「佐久間、お前遅いじゃないか。」
「訓練…始まってるか?」
「とっくにな。俺は終わったけど…」
「話があるんだ、時間あるか?」
「?…ああ、あるが…」
 長い通路長い階段を上がって食道に移動した。俺はコーヒーを両手に持って源田の向かいに座り、左手にあるコーヒーを源田の側にそっと置いた。「…お前左利きだったか?」「は?」「いつも右手でなんでも作業するのに、今日は左手でするから。」「ああ…なんとなくだよ。」源田はコーヒーを半分まで一気に飲んだ。
「で、話って?」
「…俺明日」
 今日見た夢が鮮明に脳に映像化される。戦場はグロいものだぞ、と言えば、源田は眉を顰めて「はあ?」と首を傾げて、どうしたんだお前、と心配するような眉の形をして俺の顔を覗いた。まあそうだろう、俺はそんな性格ではないのだから源田がそういう反応をするのも仕方ない。俺はコーヒーを一口飲んだ。
「俺明日、行くんだ。」
 主語がないぞ、源田は本当に心配しているような口調になってきた。ここまできたら、もう言うしか選択肢がなくなっていて、誤魔化す言い訳もすでに思いつかない。明日死ぬかもしれないし、死なないかもしれない。確率は二分の一といったところだ、大まかにすると。
「どこにだ?」
 コーヒーを一口飲んだ。源田に握られている紙コップは形が変形していた。

「ちょっと戦場に。」


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