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 私の家は二階建ての小さなアパートだ。205号室に住んでいる。
 雨がここのところ続くようになって家から一歩も出ていない、ジトジトして気持ち悪い。ヒロトが軍から食べ物をもらいに外に出て行って、おそらく二時間程経つ。傘も差さしていないから、きっと帰ってくる時にはびしょびしょになっているだろう。この頃、異国の人がこの辺りを行き来するようになった。銃声、人の叫び声が頻繁に聞こえるようになった。雨が強い音を出して地面を叩いている。
 いくらなんでも遅い、そろそろ心配になってきた。ここから港までそう遠くない筈だから、往復で一時間も掛からない。ヒロトと生活して一週間、私も少しだけヒロトに気を許し始めていた。銃を抱えて205号室を出て、階段の一番下に腰を下ろしヒロトを待った。空に戦闘機が一機、悠々と飛んでいる。爆弾でも落とされるんじゃないかと思ったら、身体の体温は一気に下がり始めた。
 ジャリジャリと砂と靴が擦れ合う音が近付いてきて、私は銃を握った、そしてうつ伏せになった。近頃寝ていない。外国人がこの辺りを行き来するようになってから、私は気を張ってしまい、眠気さえなくなってしまう状態。ここで疲労が出てきたのか、もう死んでもいいかもと思えてきた。握る力を弱めて、地面に生えている雑草を見つめた。
 ジャリジャリと誰かが私に近付いてくる。そりゃあこんな小さくておんぼろアパートだけど雨風を凌げる場所があるんだもん、誰かが近付いてくるのは仕方ない。戦う気がない、逃げる気もない人間はただ死ぬだけなんだ。
「風邪引いちゃうよ」
 痛い雨が体に当たらない、傘に雨が叩く音、「…ヒロト?」ヒロトはふんわり笑った。「傘、」「拾ったんだ」ヒロトの肩は雨で濡れている。私は立ち上がって傘をヒロトの方へ差してあげた。ヒロトは少しだけ驚いた表情をした後、すぐに微笑んで、私と肩を並べて階段を上がっていく。
「お迎えありがとう」
「ただちょっとだけ心配になっただけだから」
「嬉しいよ。」
 私もちょっと嬉しくなった。雨は相変わらず強く降り続いて、体が腐ってしまいそうだ。再び205号室、雨の天候で湿ったタオルを頭に被せると、ヒロトが私の頭をガシガシと拭いてくれる。痛いけど、我慢はできる。急に頭に腕が巻かれて、そのまま引き寄せられた。
「あったかいね、名前は。」
 ヒロトが後頭部に手を回して、雨で濡れた髪でヒロトの服が濡れていくのがわかる。
「今日は疲れただろう?ゆっくり休みなよ」
「でも、寝れないんだよね。」
「なんで?」
「銃声が気になって、というか、敵がいると思うと、寝れなくて。」
「大丈夫だよ、ここに敵は来ないよ、おれが言ってるんだよ?」
 ヒロトは私から離れて、同意を求める眼差しを向けてきた。
 信じられなかった。ヒロトが言ったって、信じられなかった。逆に不安になってきて、気持ち悪くなり昨日食べた物と朝食べた物を吐いてしまいそうになるくらい気持ち悪くなった。だけど同時にヒロトの優しさに気持ち良くなって、心が暖かくなる。我慢して目に溜めていた水が俯くと同時に流れると、ヒロトは私の肩を抱き、頭を抱いた。
 恐怖が取り除かれることはない。ヒロトが来ないと言ったって、やっぱりそうは思えない。どんなときだって、自分の気持ちが、意見が、一番なんだ。嗚咽が出そうになったので、嗚咽が漏れないように口を押さえると涙がどんどん流れてくる。一気に溜めていたものが出て行くような気がして、こんなに溜めていたのかとしみじみ思いながら泣いた。ヒロトが居てくれなかったら、私はただ一人でひたすら泣き、慰めるものさえない今の時代を恨んで、もしかしていたら自ら銃で頭をぶち抜いていたかもしれない。少しだけ、自分がどんなに幸せものなんだろう、と思った。私は、私は、私は。
「ヒロトは、不思議な人だね」
「…そう?」
 そうだよ、と言うと、ヒロトはふんわり笑った。「おれを家に連れてきてよかったと思う?」涙でぐちゃぐちゃの不細工な顔を上げて、「まあ、そうだね」と言うと、涙で視界がぼんやりしてヒロトの顔が見えなかったけど、細い笑い声はちゃんと聞こえていた。


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