真冬の夜の夢
「嗚呼、ナマエ嬢、貴女は何と罪深き女性か。我が心をここまで焦がす女性は貴女以外におりません。この我が心の熱は、今宵降り積もる雪も一瞬のうちに解かしてしまうでしょう…
まさに貴女は純白の雪原に美しく咲き誇る孤高の百合…」
ロジェル子爵はここまで言い終えるとナマエの手の甲に口づけをした。
「まあ、ロジェル子爵様、そのようなお言葉、わたくしにはもったいのうございますわ。…でも申し訳ございません、わたくし、今夜は気分がすぐれませんの。」
ナマエはそう言うと素早く子爵の手から自分の手を引き抜き、気分が悪い『フリ』をして広間を後にした。
ここミョウジ公爵の館では、最近毎日のように宴が開かれており、真冬だというのに館中まるで春が訪れたかのように騒がしく、熱気でむせ返るほどだった。
広間を出た途端、ナマエの足どりは今までの弱々しいものから、優雅ではあるがしっかりとしたものになった。
ナマエはいい加減にうんざりしていた。毎日催される宴にも、1日に何人も言い寄ってくる若い貴族の男達にも。
実は、あのような歯の浮くような台詞とともにナマエの手の甲に口づけをしていったのは、ロジェル子爵で今日5人目だった。
ある者は彼女を白薔薇に例え、ある者は百合、またある者は忘れな草に例えた。
――まったく、百合が雪原に咲いているはずがないでしょうに。常識はずれもいいところ。――
"可哀相な"ロジェル子爵は、ナマエにこのようにこき下ろされていることも知らず、また別の女性を口説いているのだろう。他の4人も然り。
階段を上がり切り、廊下をつきあたりまで歩くと、そこがナマエの部屋だった。
貴族の令嬢にしては珍しく、過剰な装飾を嫌うナマエの部屋は、暖炉から漏れる落ち着いた柔らかに光に照らされていた。
この部屋はいつも変わらず暖かくナマエを迎えてくれる――筈だった。
「!!」
ナマエはたった今閉めたばかりの扉に後ずさった。
暖炉の前の椅子に座って暖まっていたのは、見知らぬ男。
男はナマエに気付いて少し驚いた様子を見せた後、椅子から立ち上がり、ナマエに近づいて来て――完璧な礼をした。
「驚かせてしまって申し訳ありません。あまりの寒さにこの暖炉に引き寄せられてしまって。」
艶のある、美しい声だった。内容は、紳士的とは言えなかったが。
――寒い?ということは外部の人かしら――
ナマエは冷静に分析していた。もともと館の中にいる者ならば寒いと感じることはないはずだ。
――…いえ、問題はそこではないわ――
「あ…貴方、誰…?」
扉に張り付いたまま、ナマエは聞いた。
「申し遅れました、俺は、ティキ・ミックと申します。」
丁寧で優雅な振る舞いや口調をしているくせに、一人称は"俺"だし、言っていることも、妙に庶民的だ。
「素敵。」
「…は?」
「だってわたくし、今まで貴方のような方にお会いしたことがなかったんですもの。貴方は町のお方?」
「まあ。この町ではありませんが。……貴女はミョウジ公爵令嬢のナマエ姫かとお見受けしますが?」
「そうです。わたくしはナマエ・ミョウジ。それが何か?」
ティキは目をしばたいた。「ナマエ嬢」といえばどんな男にも媚びず、どんな男の誘いも断ってしまう孤高の令嬢として名高かったはずだ。
あまりに違う。
「いえ…想像していたのと違うので…」
「それはそうでしょうね。普段、見せているのは噂通りの方の私ですもの。父だって気付いてはおりませんわ。」
「俺には、見せてくれるのですね?」
「貴方は女の気を引くことにしか脳を働かせない貴族の男達とは違いますもの。」
「何故、違うと?」
「あら、普通の貴族なら、わたくしを見たらまず大袈裟に溜息をつくでしょうね。そしてあの歯の浮くような言葉を並べ立てますわ。それに普通の人は主人のいない間に無断で部屋に入って暖を取ることも無いでしょうし?」
皮肉たっぷりにそう言ったナマエに、ティキは苦笑するしかなかった。
「俺はそろそろお暇しますよ。体も暖まったし。」
ナマエの本質に気後れしてしまったのか、ティキは言った。
「まあ!お待ちになって。わたくしにこの屋敷の外のお話をお聞かせ願えませんこと?」
扉ではなくバルコニーへ足を踏み出そうとしていたティキは立ち止まって振り返った。
「外?」
「はい、わたくし、ずっと憧れておりましたの。外の世界に。」
「……いいですよ。」
2人は膝を突き合わせて語った。といっても、喋るのはほとんどティキで、ナマエは合いの手を入れたり質問をしたりするだけだった。
市場のこと、祭のこと、音楽、生活、人々――………
それらは新鮮な色と刺激でもってナマエを誘った。
「気がすんだ?」
いつの間にか、敬語をやめていたティキは、そう締め括った。
「ありがとうございます…ああ、すっかり熱くなってしまいましたわ。」
そう言うとナマエは、バルコニーへ通じる窓を開けた。
部屋の中の暖かい空気とは対象的な、真冬の冷たい空気が流れ込んでくる。
そして階下からは、夜風に乗ってワルツの演奏が聞こえる。
ナマエが振り返ると、そこにティキが立っていた。
「俺と、踊っていただけますか、お嬢さん?」
そのとき、ナマエは部屋の空気が窓を開けたのと同時に変わったのだと、気付いた。
ティキは、"男の人"であり、自分は、"女"だと。
今まで膝を突き合わせて語り合っていた"友"という関係は、凛として冷たく、清澄な空気により、その形を変えたのだ。
「喜んで。」
ティキは返事を聞くとナマエの手の甲に軽く口づけた。
その口づけは、今までナマエが幾人もの男達から受け取ったものとは全く違い、とても甘美なものに思われた。
少し頬を染めて、ナマエはティキの肩に手を置いた。
スローテンポな曲に合わせて、2人は暖炉の光と月の光が照らす光の中で円を描く。
互いの顔が、だんだんと近づいていくのは、音の魔法か、月の導きか――
曲が終わった時、2人の唇は、まるでそれが定めだったかのように合わさった。
どんなに高級なチョコレートよりも甘く濃密で、
どんなに高価な宝石よりも煌めき、
どんなに小さな星よりも秘めやかな、2人の空間――
朝、目が覚めた時、ナマエは部屋に1人だった。
辺りを見回しても、ティキが居る気配は――"居た"気配さえも――無い。
あの夢のような一時は、夢だったのだろうか。
ナマエは窓辺に―あの時、全てを変えた窓―に歩み寄った。
――鍵が、開いている。
そして、ガラスに映った自分の姿を見て、ナマエは確信した。
首筋に残る、赤い小さな印。
ティキがいなければ、付くことのない、その夢の証。
ナマエは窓を開け放ち、朝日に向かってにっこりと微笑んだ。
End.
この話はブラームスの交響曲第3番の第3楽章を聞いてて思い付きました。とっても短調な曲ですが、すごく優雅で綺麗な曲です!タイトルのほうは、かの有名なシェイクスピアの『真夏の夜の夢』からとりました。
てかこれどう見ても19世紀じゃなくね…
ティキさんは、何と言うか、どんなことを言っても絵になる(現代人は無理だよね、という意味で)ので、心置きなく書けます。
2010.12.12:修正
2013.9.15:修正
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