DOOM SPELL


昨日、千年公に削除リストを渡された。
――また多い…しかも…イタリア!――

ティキ・ミックはため息をついた。
彼は今、イタリア行きの列車の中にいる。
――どう行くかな…ジェノヴァ、ヴェネチア、フィレンツェ、最後にヴァチカン、ってとこか…――


たくさんの人々の願いと祈りが交錯する地――ヴァチカン。

ナマエ・ミョウジはそこにいた。彼女は26歳という最年少の枢機卿であり、その容姿は、いかにも慈愛に満ちた聖女と形容するに相応しい。

そんな彼女が最強級の攻撃力を持つエクソシストであるなどと、誰が想像できるだろう。


黄昏時。公務を終えたナマエは家への帰途にあった。他の枢機卿達とは違い、教皇庁の中には住んでいない。なぜなら、彼女はエクソシストであるが故にアクマと遭遇することも多い。そのとき、教皇に危害が及ぶようなことがあってはならないからだ。

市場に立ち寄り、食料品を買う。すると周りの人からたくさん声を掛けられる。いつものように。
「ナマエ様、おかえりなさい!」
「今日は少し早いな、枢機卿殿!」
「このトマトは今日1番の品だよ。とっておいたのさ。持っておかえりよ!」

みんな陽気で、優しい。ここを通ると心が和む。
ナマエは微笑み、答える。
「いつもありがとうございます。さっそくいただきますね。………!」

何か気配を感じた。――誰かに見られている?…ここで見回してはならない。もしアクマだったら、こんなところで襲われたら大勢の人を傷つけてしまう。

「じゃ、そろそろお暇しますね。ここで長いこと話をしていたらすぐ日が暮れてしまいますから。」
そう言って足早に市場を出ようとする。
――…近く…なったかしら?――
そう思っていると、誰かが角から急に飛び出してきた。

どんっ

まともにぶつかってしまった。落とした荷物を拾おうとして、ナマエははっとした。
さっきからの視線はこの男からのものだ。それにしてもこの男…まるで気配が無かった。
――でも、どうして?――
ナマエが眉をひそめていると、男が言った。

「いたた…どうもすいません…ちょっと考え事してたんで…あれっ?もしかしてナマエ・ミョウジ枢機卿じゃないですか?これはこれは…お会い出来て光栄だな。」

ここで男はナマエが不審そうに自分を見つめていることに気付いた。ナマエの手は荷物の方に伸ばしかけたまま止まっている。
「あ、すいません。俺はただの観光客で…荷物、これで全部スか?」
男はナマエの荷物を拾って手渡そうとした。ナマエは我にかえった。

「…え、ああ、ありがとうございます。」
「よければ家まで送りますよ。」
「そんな…悪いですわ。」
「いやいや。もう少しでレディーに怪我をさせるとこだったんですから。荷物も、持ちますよ。」

彼が荷物を返してくれないのだからしょうがない。ナマエは警戒しながらも送ってもらうことにした。

どうやら、アクマではないらしい。アクマなら荷物を拾ってくれたりしない。ぶつかった瞬間に攻撃してきたはずだ。
しかし、どうも油断ならない。ぶつかる前まで感じていた視線には、紛れも無い敵意――殺意と言ってもいいかもしれない――があったのだから。

「まだ名乗ってませんでしたよね?俺は、ティキ・ミック」
男――ティキ・ミックはナマエの目を覗き込んで言った。
微塵も殺意など宿していない。
――隠すのが上手いわね…――
ナマエは微笑んだ。微塵も警戒心など感じさせずに。


一緒に歩くうち、ナマエは、彼がとても――とても"素敵"だということに気付かないわけにはいかなかった。高貴な恰好をしているわけではないが、顔立ちや身のこなしには品を感じさせる。

――何を、私は…――

ナマエは急いでそんな考えを打ち消した。ナマエは聖職者。このような感情が許されるはずもない。そして彼女は、自分が見ず知らずの男性――しかも、敵かもしれない――に"素敵"だなどという感情を抱いたことに驚いていた。そもそも彼女は、教会に入ると決めた時にそんな感情は棄てたはずだった。


ティキはというと、彼もナマエに同じような感情を見出だしていた。これから、"削除"しなければならない人物だというのに――。今日一日、ナマエを監視していたが、いつの間にか、目が離せなくなっていた。彼女の美しさ、清らかさに。市場でさっさと殺してしまおうかと思っていたが、"黒いオレ"が出てくるやいなや、彼女はその視線に気付いてしまった。
そんなわけで、独りになったところを襲おうと考えて、わざわざぶつかったりしたのに…
ティキは、彼女を殺す意志を無くしてしまった。


「ありがとうございました。本当に…家まで送っていただいてしまって。」
「いえ、お気になさらず。じゃ、オレはこれで。」

ナマエは溜息をついた。本当は、適当な場所で別れるつもりだったのに、結局、家を知られてしまった。こんなはずではなかった。しかし、ナマエは、自身の心の中に『ある感情』が生まれつつあることに気付かないわけにはいかなかった。

「主よ、私をお導き下さい……」

ナマエは首から下げた十字架を握り、呟いた。


次の日、ナマエは公務に集中出来なかった。ティキのことが頭から離れなかったからだ。いつもと違うナマエの様子に、シスターや他の枢機卿達には、心配そうに声を掛けてくれる人もいた。その度にナマエは大丈夫、何でもないと答えていたが、「何でもない」が嘘だということは自分でよく分かっていた。

――皆が、私の悩みのことを知ったら、どうするかしら…考えたくもない。私は、全ての信者の手本となるべき存在なのに…!――


俺に、彼女を殺せるのか?

ティキは日も暮れかけたヴァチカンの街を歩きながら考えた。

ティキはナマエを知ってしまった。殺すのに必要な知識以上のものを。
それに、彼女のちょっとした身のこなしや、微塵も警戒を悟らせないその精神力からすると、戦うことになっても一筋縄ではいかないだろう。

ティキは足を止めた。そして思わず苦笑した。
行くあてもなく考え事をしながら歩いた結果がこれなのか。

それは教皇庁の前。つまり、ナマエがいる建物の前だった。
しかも、今の時間からすると、いつ、あの真紅の法衣に身を包んだナマエが出て来てもおかしくない。

ここにいてはいけないことぐらい、誰にでも解る。
だがティキは、その場から足を動かすことができなかった。

5時。公務終了の時間だ。

長かった。いや、短かったと言うべきなのか?
現に、集中して公務にあたった時間はいつもより少ない。

彼は敵だ。

ナマエの本能がそれを告げる。

なのに何故だろう。明らかにティキに逢いたがっている自分がいる。

このままではいけない。
振り切らなければ。

ナマエは拳を握りしめた。
しかし、すぐにため息と共にそれを緩める。

ナマエは荷物をまとめ、執務室を後にした。



夕陽が建物の前の広場を朱に染める。ナマエは薄暗い建物の中から、朱の中へと踏み出した。
しばし明るさに目を慣らすため、足を止める。

そして――、目を上げた先にティキを見出だし、息が詰まった。
心臓が跳ね上がる。


ティキは、自分が立っている広場がだんだんと朱色になってゆく様を眺めていた。
自分も朱色になっていると感じた。

ふと建物の入り口に目をやり、そのまま目を離せなくなった。
忘れもしない彼女の気配。
建物の薄闇の中から、想像していた通りの真紅の法衣の人物が出て来て、彼女も夕陽色に染まった。

そして…目を上げた彼女は、ティキに気付いて、目を見開いた。


朱色の光の中で、2つの視線が交錯する。


ティキの足は、知らず知らずのうちにナマエの方へと歩み寄っていた。
腕を伸ばせば触れられるくらいにまで近づく。

「また…会いましたね…。…いや、会いに来てしまった…」
ティキは、ナマエの澄んだ瞳を見て、呟いた。
「ティキ…さん…」

「今日も、お宅までお送りしても?」

「…ええ…」


それから毎日、5時ごろになると、ある男が広場に現れるようになった。

男の名は、ティキ・ミック。
彼はいつもある人を待っていた。その人の名は、ナマエ・ミョウジ。

2人は毎日夕陽に照らされて、共に歩いた。

ただそれだけだった。それ以上でも、それ以下でもなく、ただナマエを家まで送るのみだった。

2人共解っているのだ。これは、許されざるものだと。
しかし時折交わる2人の視線には、まぎれもなく愛しさと慈しみがこもっていた。

2人は愛を囁くことも一切しなかった。
それを口にしてしまえば、2人には身の破滅が待っている。

そして、これはいつかは終わってしまう物語なのだ。
その言葉は、言うなれば、滅びの呪文――



そしてとうとう、終わりの日はやってきた。

その日、昼過ぎにナマエの執務室に一通の手紙が届いた。
それは、黒の教団からのものだった。

『ナマエ・ミョウジ殿

貴女に手紙を出したのには、2つの理由があります。
まず1つ。
最近の、エクソシストの殺害の報せは貴女にも届いているでしょう。こちらの調べで、それは、『ノアの一族』なる者達によるものだと判りました――』

手紙には、ノアについての説明が細かく書いてあった。
ナマエは手元のランプを点けた。晴れていた空が、にわかに曇ってきたのだ。そして、続きを読む。

『――彼らは、世界各地のエクソシストを殺してまわっているようです。貴女も、十分に警戒しておいてください――』

そこまで読んで、ナマエは小さく震えた。ある考えが彼女の頭に浮かぶ。

――彼は……ノア…?――

そう考えれば全てのつじつまが合う。
彼がナマエの前に現れたのも、最初の日に感じた殺意も。
「……っ」
ナマエは苦しげに、哀しげに顔を歪めた。

『―もう1つの理由。貴女に任務を与えます。本来なら貴女が動くべきことではないのですが、先に述べた通り、エクソシストの数が激減しているので。
至急、教団本部までお越しください。至急、です。
教皇猊下の承認は既に得てあります。

それでは、お気をつけて。
敬具』

至急、教団本部まで来い

その文章は、終わりを意味していた。

ナマエはしばし、目を閉じた。
やがて意を決したように目を開き、部屋を出た。

窓の外では、ついに降り始めた雨が激しさを増しつつあった。


さっきまで晴れていたのに、急に曇ってきたかと思ったら、いきなり雨が降ってきた。
あっという間に勢いを増す。

「うっわ…いきなり降ってんじゃねえよ…俺、カサ持ってねんだよ。」
ティキは小声で悪態をついた。
急いで近くの店に駆け込む。
――これ、すぐに止まねえかな…――
空を見上げてティキは思ったが、天はどうにも聞き入れてくれそうな雰囲気ではない。
――しょうがねえな――

ティキは店を出て、軒づたいに歩きだした。


いきなり、ティキは凍り付いた。
耳に入るのは、激しい雨音と、そして――、電話のベル。
路地を1本入ったところにある公衆電話が鳴っている。

彼は、それが誰からの電話か知っている。


「…もしもし」
とうとうティキは電話に出た。
『ティキぽんVお仕事はどうなりましたカV?え?まだ終わってないんですカV?まあいいでしょウVお仕事を変更しまスVこっちのほうが優先ですヨVすぐに戻ってくださイV急ぐんですヨV』
「はいはい…」

電話が切られても、しばらく動けなかった。

すぐに戻れ

その言葉は、終わりを意味していた。


ティキは土砂降りの雨の中、濡れるのもかまわず広場と反対方向へ歩きだした。


もうすぐ5時がくる。
しかし雨は止む気配などなく、とうてい夕焼けは見えそうにない。



ナマエは定刻通り5時に教皇庁を辞した。
建物内は雨のせいでいつもより一層暗い。

彼女は手紙を受け取ってから様々な対応や準備に追われたが、ともすればこぼれそうになる涙を、必死に堪えていた。

いつもなら出迎えてくれる朱い光は、今日は厚い雲に遮られている。
そして、いつも夕陽の中に立っていたティキも、今日はいなかった。

ナマエはコートの中で震えた。1人でこの道を歩くのは何日ぶりだろう。今、傘をさしている右手の横には、いつも彼がいた。

ナマエの目頭は熱くなり、視界が霞んだ。


降り続く雨の中、ナマエは視界の隅にとらえた自宅の前に、人影を見た。
それは、冷え切った彼女の心の中に、一滴の熱い雫となって響いた。

「ティキ………」


ティキの体は冷え切っていた。無理もない。ついさっきまで、この雨の中、身一つでここまで歩いて来たのだ。
黒い髪からは雫が落ち、濡れて肌に張り付いた服は、彼の体温を奪った。

「ティキ………」

微かに自分を呼ぶ声が聞こえた。

「ナマエ……?」

そこにいたのは、ナマエその人だった。


「ティキ…どうして…」
「ナマエ、迎えに行けなくてごめん。…話が、あるんだ…」
「私も、貴方に話があるの…だけど、まず部屋に入って、身体を乾かして…」
「でも…」
――いいのか…?――

「お願い、入って……」

ナマエは、今にも泣きそうな顔をしていた。
「ナマエ…」

ティキはナマエの頬に触ろうとして、やめた。
越えてはならない。
目を逸らして、家に入った。

ティキは、ナマエに渡されたタオルで頭や服を拭いた。
タオルを渡された時、一瞬2人の手が触れた。
ナマエはコートを脱ぐこともしなかった。

2人は無言で、目を合わせることもなかった。
互いの思いが痛いほどにわかっていたからだ。

向き合ってしまったら最後、理性もなにもかもが切れてしまいそうだった。


「…ナマエ」
ティキが、遂に沈黙を破った。

「ナマエ、俺は、ノアだ。」
ナマエは、目を瞑った。

「知って…たのか?」
「そうじゃなければいいと、どんなに祈ったか…」
「じゃあ、俺の目的も…?」
ナマエは悲しげに微笑んだ。

「今の俺に、貴女を殺すことなどできるはずがない…だが俺は、もうこの地を離れなければならない……っ」
「私も同じよ、ティキ…今の私に、貴方を殺すことなんてできない……そして私も、しばらくここを離れることになったわ…」

「終わりに、しましょう。もうこれからは、敵としてしか私達は出会えない……」

「ナマエ…」

とうとうティキは、ナマエの頬に触れた。
彼女の美しい顔は、悲しみに支配されていた。


「…ナマエっ……あい…」
………

ナマエはティキの唇に自分の唇を押し当て、その言葉を封じ込めた。


その言葉を、紡いではいけない。


囚われてしまう…
逃れられなくなってしまう…


ティキも、ナマエに応える。
声に出すことを許されない言葉をキスに変えて――


涙が、ナマエの頬を滑り落ちた。


「次に会う時は敵同士ね…」
――どうか、それまでは、生きていて――

「…ああ。次に会ったら、容赦しない。」
――それまでは、美しい貴女のままで――


――次に会う時までは、どうか無事で――

――どうか――


2人はじっと見つめ合った。
涙に濡れた瞳と、悲しみを映し出す瞳。


「さよなら」

ティキは踵を返し、出て行った。
振り返らずに。


ドアが閉まる音がやけに大きく響く。

ナマエは崩れ落ちるように座りこんだ。
とめどなく流れ落ちる涙は深紅の法衣を濡らした。

暗く、孤独な部屋で、ナマエは呟いた。
「ティキ…」


土砂降りの雨の中、天を仰いでティキは呟いた。
「ナマエ…」


「「…愛してる…」」


End.


私はシリアスな話が性に合ってるらしいです。
単に私が甘いのがあんまり書けないだけですが…


このお話は連載も考えいたので、ヒロイン設定もたくさんあります。イノセンスのこととか、過去とか。
次のページに書いておくので見たい方がいらっしゃれば見ちゃってください。

2010.12.13:修正
2013.9.15:修正

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