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「……は、……なに……」
疑問の声が震えて滑るように上擦った。
何だよ俺、……動揺してるのか。
高嶺は目の前に辿り着くと、俺の首筋を指先で薄く撫でながら、首の線をなぞるように腕を絡ませる。
まるで赤子に触れる母親のよう。
その手付きに抵抗を忘れ固まってる俺に、高嶺は最初に見せた洗練されたような綺麗な笑みを浮かべた。
「何って、セックス」
「セ……」
「その為に僕を連れてきたんでしょ」
上目に俺を見ながら、くすくすと笑う。
首に回された高嶺のしっとりと湿った肌が、俺の肌に吸い付く。間近に愛用してるシャンプーが香るのだけど、全く嗅ぎ慣れない匂いに変わり、クラクラと頭を麻痺させるよう。
まるで毒牙だ。
「っ、……は、なれろ」
俺は高嶺の両肩を掴み、力任せに距離を取った。勢いに首に回された腕も離れ、高嶺は狐に摘ままれたと言うように、眠たげだった目を少し見開く。
俺は一度深呼吸してから言った。
「誤解があったなら……すまない。高嶺が考えてるような事はするつもりはない」
高嶺の目から逃れるように背を向けた。落とした視線の先に転がる電池が映って、誤魔化すように背を屈め拾った。
口下手な自覚はある。
言葉が足りなくて、誤解を招き意図せず相手を怒らせたり泣かせたりを何度かした事がある。
またそうなのだろうと思ったのだけど。
「なら」
背後の呟きに首だけで振り返れば、高嶺は焦点の定まらない目で言った。
「僕はなんの為に連れて来られたの」
◇
野菜を切れば、包丁とまな板が不規則にぶつかる。フライパンを取り、ガステーブルに置き、火をつけて、野菜と鶏肉を炒めた。
音だけで全ての情景が見えるよう。
調理する音だけが、部屋に存在していた。
俺は横をチラリと伺う。
開けっ放しのリビングと廊下を隔てるドアの向こう。
何か気に障る事を言ってしまったのか。テーブルの前で膝を抱える高嶺は、全く喋らなくて。
「何か飲むか?」
出来上がったオムライスをローテーブルに置きながら聞いてみるが、答えはない。予想通りの反応に、無難なお茶をコップに注いで皿の横に置いてやる。
飲みたきゃ飲むだろう。
(……しかし)
部屋全体がどんよりした空気で淀み、自分の部屋だというのに居心地が悪い。……気分の問題なのだろうが。
それなら、まぎらわそう。
俺は傍らにあったテレビのリモコンを取り、ボタンを押した。だけど向けたテレビは全く反応しない。落とした衝撃で壊れたのだろうか。
「あ」
電池カバーを外して見れば、反応しないわけだ。電池が逆に入っている。
俺は電池を入れ直し、改めてテレビに向けてリモコンを操作した。
反応した画面からは賑やかな笑い声が声が聞こえてくる。どうやらランキング番組のようだ。
お笑い芸人が進行する番組はトークも軽快で内容も合わさりウケるのはわかるが、古典的な漫才芸やコントの好きな俺はどうにも昨今の芸人の在り方に疑問を抱いてしまう。良く言えば昔気質。悪く言えば頭が堅い。昔言われたっけ。
そんな事を考えて、俺はいつの間にかテレビに見入っていたようで。カチャ、と控え目に響く無機質な音に我に帰った。
何だ、と音の聞こえた方を見れば、高嶺が体育座りのままスプーンを手にしていた。
正直、手をつけてくれないと思っていた。だから、俺は目の前の光景が夢でも見てるようで、思わず高嶺を見入ってしまっていた。
だけど、手をつけただけ。
高嶺は膝に顎を載せたままスプーンを持ち、皿に盛り付けられたオムライスの玉子を訝しげにつついている。
まあ、……確かに、皿に乗るソレはお世辞にも綺麗と言える出来じゃない。所々破けた玉子の生地が、歪にご飯を包んでいる。
「腹は下さないと、……思う」
ほら、と自分の皿からオムライスをスプーンで取って、食べて見せた。
「………」
二度の咀嚼で固まる。
味が、薄い。寧ろ無いに等しい。
素材と微かな油の味しかしない。
「ケチャップ」
俺の様子を窺っていた高嶺が、変わらぬ体勢で呟いた。
「オムライスはケチャップかけるんだよ」
子供の時に食べた記憶を呼び起こして、何か足りないとは思っていた。言われてみれば色見が淋しい。
絶妙なタイミングでテレビから笑い声が聞こえてきて、自分が笑われてる感覚に陥った。
「ちょっと、……忘れただけだ」
ぶっきらぼうに言いながら簡易キッチンに向かいケチャップ持ってくる。それを高嶺に差し出すと、素直に手が伸びてきた。
「ご飯に塩コショウも振ってない」
受け取り様に一言。
……然り気によく見てるなヤツだ。
底を天に口を地に。高嶺はケチャップ容器を両手で持ち、時計回りでグルリと何かを描き始めた。そんな子供じみた事をするタイプには見えなかったから、意外な光景に俺は高嶺を見いった。
よく考えれば十六、七。
雰囲気が大人びてても、まだまだ子供なんだよな。
パチリ、と小気味の良いキャップを閉める音で完成を知らせたソレは、よく見掛けるスマイルマークだった。
「はい」
描かれた表情とは相応しくない、仏頂面でケチャップを渡された。受け取りながら、俺は高嶺のオムライスから目を離せずにいた。
あまりにも不釣り合いだ。
俺の視線に気付いてか、高嶺が一度自分のオムライスに視線を落として、ああ、と肩を竦ませバツが悪そうに顔を歪めた。
「……昔の習慣」
高嶺がポツリと呟く。
「食べれば書いた願いが叶うんだって」
消し去るように、ケチャップをスプーンで潰し伸ばした。
ニュアンスから、誰かに聞いた話なのだと窺い知れた。けれど眉間に皺を寄せ顔を顰める高嶺を見て、“誰に”とは聞くべきじゃないような気がして、俺は口を噤んだ。
要するに、子供の頃やってた願掛けという所か。それが癖で出た。
無意識の行動にこそ本音が出るものだ。
だとしたら高嶺の願いは。
既に形をなくしたスマイルマークには、一体どんな願いが込められていたのだろう。
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