浮雲 | ナノ


 
「……同情? 汚くて哀れとでも思った?」

 振り返らぬままにそいつは言う。
 さっきから、なんなんだこいつは。

「っ〜そうじゃない。こんな事を繰り返せば何時か大変な事件に巻き込まれる可能性もあるし、下手すれば変な病気も移される。お前がやってる事はお前が考えてる以上に危ない事なんだ」
「……別に、どうなったって構わないよ」

 捲し立てるように言った俺の言葉に、投げやりな返答。それはどこか予想通りではあったけれど、また違和感を覚えた。

「お前に何かあったら、親御さんが心配す……」
「いないよ」

 覇気のない声は、奇妙な重さを持って俺の言葉を遮った。

「親はもう、いない」

 俺に向けてというより、自らに確認させるように喋る。触れてはいけない事に触れた気がして、俺は口を噤んだ。

「だから誰も、僕を心配なんてしないんだ」

 嘲るように言って俺の手を振り払おうとする。見た目通り弱い力だ。俺は掴む力を強めて言った。

「失礼な奴だな。お前の事心配してるって言ったばかりなのに、無視かよ」

 誰も、の中に俺も含まれてるだろうから、文句。振り払おうとする力がぴたりと止まり、呟くようにそいつは言う。

「……慰めなんていらない。先生が心配するわけがない。理由がないもの」

 さっきから感じていたが、何でこいつはこんなにも否定して、絶望してるのだろう。

「心配するのに一々理由が必要なのか?」

 陳腐な言葉は本心だった。理由も義理も確かにない。だけど放っておけない。

「兎に角、送るからおとなしく帰れ。家はどこだ」
「家なんてない」
「は? 家がないなんて事は……」
「帰る家なんてない」
「………」

 複雑な事情があるのだろうか。
 この様子だと教えてくれそうもないだろうし。

「なら、俺の家にこい」

 一時的にでも保護のため。後は追々考える事にしよう。

「お前をこのまま放っては帰れそうにないが、あいにく腹が減ってきた。悪いが文句は聞かない。連れて帰る」

 とても教師の物言いではないが、こんな押し問答続ける気はない。少し強引とは思ったけど、予想外にそいつはおとなしく着いてきてくれた。





「そう言えば、名前は?」

 車窓の外では街の明かりがスライドショーのように流れていく。その様に目を向けている助手席の奴に聞いた。お前、と呼び続けるのは抵抗がある。
 流れる明かりのように俺の質問も流されるかとも思ったが、心配をよそにそいつは言った。

「ケイ。……高嶺、蛍」


 気付けば、俺達が車中で交わしたのはその二言だけだった。


 
「先生ってストイックで几帳面な人だと思ってた」
「……つまりそうじゃないと」
「眼鏡って理知的で潔癖ぽい印象与えるよね」
「……俺の存在感は眼鏡なのか」
「意外」
「……」

 少しも意外そうじゃない声で、背後の奴は噛み合わない返答ばかり言う。感性は人それぞれだとは思うが。
 言われても仕方ない自覚は、流石にある。

 来客の予定なんてなかったから、片付けなんてしてなくて。短い廊下の先に開いた部屋は、当たり前に雑誌やDVDが散らかっていた。
 勢いで連れて来るんじゃなかったな。
 そんな今更な後悔より、日頃から片付ける習慣をつけるべきだなと反省する。

 どちらも早急な現状の改善には、何の役にも立たないのだが。

「……今片付けるから、その辺りに座ってろ」

 俺は雑誌を拾い集めながら、廊下に佇む高嶺に言った。

「なら、先にシャワー借りるね」
「ん? ああ、そこの左のドア。タオルとかは適当にあるの使え」

 高嶺は部屋に入る事なく、逡巡なく言いのけてさっさと風呂場に消えて行った。
 マイペースな奴、なのかもしれない。
 まあいい。
 今のうちに片付けてしまおう。



 大して物があるわけじゃない。部屋は十分程で大方片付いた。取り掛かればそんなもの。わかってるつもりでも、取り掛かるまでが腰が重いんだよな。
 物臭な俺には今回の予定外の訪問は、調度良かったのかもしれない。

 久しく見る整頓された自分の部屋。ぐるりと見渡せば小さな達成感を胸に覚えながら、軽い疲労に嘆息した。それと重なり風呂場のドアが開けられ、ぺたぺたとフローリングを素足で歩いて来る音が近付いてくる。

 見計らったみたいだ。タイミングがいい。
 廊下と部屋を隔てるドアが開かれたのを背中に聞いて、俺は言った。

「今から何か作るが、食べたい物あるか?」

 と言っても大した物は作れないんだが。と頭の隅で思いながら振り返って、俺は手に持っていたリモコンを落とした。
 爆竹を鳴らしたような耳をつんざく派手な音と、直後に何かの転がる複数の音。コロコロと動く音の一つは、足に何かの触れれた感覚と共に消えた。
 多分、リモコンの電池だろう。

 戸口に見た彼は、制服のシャツだけを纏う格好で佇んでいた。下は何も履いてないのかもしれない。男のものとは思えない細い足が惜し気なく晒され、目を釘付けにする。

「するならさっさとしよう」

 まるで日常会話のようにさらりと言うと、彼は俺の方に近付いてきた。


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