浮雲 | ナノ


 
 晩飯の調達に寄ったコンビニの外で、少し奇異な光景を目にした。

「失礼ですが、その子のご親族の方ですか」

 明かりを避けるように、コンビニ脇の暗がりに居た男子学生とサラリーマンらしき二人組。近付いて話し掛ければ、明らかな狼狽を見せたのはサラリーマンらしき中年親父。
 肩をビクつかせ、メタボリックだろう腹を揺らすオーバーリアクションで振り返った。

「何だ君はっ?!」

 耳に懐かしい台詞を言うもんだから、目の前の人物がお笑い芸人の類いに見えてきた。そういえば最近とんと聞かないな。

「その子の学校の教員を務めてます、神足という者ですが」

 お決まりの返しは胸で唱えて、律義に答える。男子生徒が着てるのは、うちの学校の制服だった。
 瞬時にメタボリックの福笑いのような顔が驚愕に染まった。顎が外れそうな程あんぐりと口を開け、目が泳ぎ、冷や汗が次々と流れ出る。
 一連として表れる反応は、コメディー映画を見ているようだった。

「いや、私は怪しい者ではなくて、ですね! 決して! その……あの……あっ、道を! そう、ちょっと彼に道を尋ねてただけなんですよ!」
「でしたら私が案内しましょうか」

 しどろもどろになりながら、それでも本人は必死に捻り出しただろう言い訳。それにすかさず申し出れば、メタボリックはとうとう目に涙を滲ませた。
 芸人なら完璧弄られポジションだろうけど、コロコロ変わる豊かな表情は、舞台役者なら重宝される表現力を秘めてるかもしれないな。

「いえ! いいえ! だだだ大丈夫です! もも、…もう解決ちましたかラっ!」

 メタボリックは上擦った声で叫びながら、腹をたわわに揺らして傍らに停めていた車に駆けていく。乗り込んだ重さに車体が深く沈んでからバウンドした。
 コントならここで車が有り得ない壊れ方をするのだが、……そこは現実か。

 何事もなかったように慌ただしく発進していく車を見送りながら、俺は考える。

『メタボな腹に日本も揺れる。震源地、ボリック宮前』

 キャッチコピーつきの芸名、如何ですか。
 宮前は近くのステーキ屋の店名から拝借しました。

 ……じゃなくて。

「お前何年だ、クラスは?」

 話し掛けた時から微動だにしない、制服姿の背中に問い掛ける。

「こんな時間に何をしていた」

 夕方七時の中年サラリーマンと男子学生の組み合わせ。特別異色なわけじゃない。
 だけど俺が見た時、ボリック宮前の腕は男子学生の腰に回されていた。

「おい、聞いてるのか」

 一向に反応を見せない奴に痺れをきらし肩を掴み振り向かせようと力を込めれば、その勢いを借りるように体が反転する。

「っな──」

 驚きに声をあげた時には、俺の首にそいつの腕が絡み付いていた。
 
「ねぇ、」

 聞こえた声は確かに男のそれなのに、奇妙な艶を帯びていた。
 混乱と暗がりに狭まった視野でその声は唯一の音となり、内側から絡み付くように頭の中に残響する。

「わかってるでしょう、僕が何をしようとしてたか」

 大方予想はつくが、それよりこの状態はなんなのだろう。
 無遠慮に絡み付く腕に驚きこそしたけど、不思議と不快感はなかった。多分、凭れる体重が控え目だった事に気を取られたのかもしれない。
 肩口に埋めた頭の高さが俺と大差なくて、そいつの華奢さを言外していた。

 無意識に許してしまっていたその体勢のまま、声が続けられる。

「折角これから楽しもうと思ってたのに、先生のせいでおじゃんだよ」

 だからさ、と凭れてた頭がゆらりと擡げられる。

「僕と、楽しまない?」

 耳元で熱っぽく囁かれた声に疑問符が浮かんで、俺はそいつの肩を掴み身体を引き剥がした。

「お前、何いってるんだ」

 発せられた自分の声は思ったより安定していて、予想より冷静な事に安堵する。

 暗がりの中に見据えたそいつは、かかる前髪の隙間から眠たげに目を開き、不自然な程自然に口元に笑みを作っていた。緩やかに身体をなぞる制服から出た顔や手が、月の光を浴びて青白く浮かんでいる。
 男と言うには儚げで、だけど女の温かな丸みはない。不気味とさえ感じる奇妙な色気を纏っていた。
 こういう奴を中性的と言うのだろうか。
 そいつは薄い唇をあげ、くすくす笑う。

「何って、言わせたいの? 先生そういうのが好き?」

 ならそういう遊びしよっか、と首を傾げる仕草まで洗練されたように自然で、疑問は明確に違和感になる。

「何のためにこんな事してるんだ」

 そいつは笑みを固定さたまま事も無げに言った。

「お金のために決まってるじゃない」
「売春は犯罪だ」

 俺の言葉にそいつは嘲るように笑う。

「だったら、警察にでも連れて行く?」
「そんなつもりはない」
「ならこれをネタに脅して僕を服従させる?」
「そんな事はしない、心配してるんだ」

 言えば僅にそいつの笑みが揺れ、消える。先程までの撫でるような愛らしい声とは違い、どこか投げやりにそいつは言った。

「心配? ……ああ、体裁ね。先生と会ったなんて言わないから安心してよ。もし僕に何かあっても、先生は関係ないから」

 だから放っといてと言い、そいつは踵を返し歩き出そうとした。俺は腕を掴み阻止する。

「お前の事を心配してるんだろ!」

 勝手に話を纏めるそいつにむかむかして、俺は語気を荒げた。


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