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学校から二分ほど歩いた場所にある小さな公園。そこに着いて、僕は石柱に挟まれた入口から中を伺った。
時は既に七時過ぎ。
遊ぶ子供を失ったブランコが、風に揺られ悲しげな声をあげている。その傍らに、電灯をスポットライトのように浴びて暗闇に浮かぶ木製のベンチ。
そこに座る人影を見付け、僕は声を張り上げた。
「智昭ー」
上空を仰いでいた人影は、声に気付いて顔ごと視線を僕に向ける。下半身の痛みは無いように、足取り軽く距離を一気に縮めた。
「待った?」
弾む息に掬われる事なく問い掛ける。智昭は右腕にはめた時計に視線を移した。
「待ったよ、凄く」
非難するように不平を含む声に、僕は笑ってしまう。
「……なにを笑ってる?」
「いや、いいなぁって」
気持ちを隠そうとしない。
とても素直に表れる感情。
だから見たくなる。
「さっき三年の喜多川って奴とヤってきたんだけど、」
しつこくてさ。と繋ぐ前に智昭の表情は見る見る険しく歪み、黒縁の眼鏡の下で眉間に皺が作られた。
「セックスは下手だわ早漏だわで、最悪。しかも相性良いから付き合って、てお目出たい事言ってくんの」
智昭の眉が小さく跳ねた。
「……付き合うのか?」
それまで押し黙っていた智昭が、ぼそりと呟く。気を抜けば聞き逃しそうな声は、低く不機嫌に揺れていた。
気になる? と返せば智昭の眉間の皺が深くなり、電灯の灯りで影を作る。
だから僕の声が高く弾んでしまうのは仕方ないんだ。
「まさか」
あり得ないというニュアンスを込め大袈裟なジェスチャー付きで言えば、小さな溜め息と共に智昭の眉間の皺は消えていった。
やっぱり声は抑えられても頬の緩みは抑えられそうにない。隠す気もないから、感情に素直な表情をする。
そんな僕の様子に訝しげな顔をしながら、智昭は腕時計を再び見た。
「もう遅い、帰ろう」
中指で眼鏡を直しながら、ベンチから立ち上がり進路を出口に歩き出す。僕はその後ろを小走りに追い掛けながら聞いた。
「怒ってる?」
「怒らせる事をしたのか?」
手厳しい返しに思わず苦笑い。ごめんと謝れば、智昭はそれ以上何も言ってこなかった
。
公園の外は一定間隔で電柱がある。それは存在を主張する程度の弱々しい光を放つだけで、辺りは真っ暗に近い。距離を置けば闇に溶け込んでしまいそうなグレーの背中に、僕は話し掛けた。
「晩御飯カレーにしようか」
人参なしのと付け足せば、反応するように返事は間を置いた。
「……好き嫌いは駄目なんじゃなかったか?」
「人参切らしてるんだよ、だから今日は特別」
「なら今日は甘口だな」
「!」
カレーは智昭の好物。人参は智昭の嫌いな食材。だけど甘口は、僕の好みだった。
僕の嘘はバレてるのかもしれない。出掛けに野菜室を見たのだろうか。そんな考えを巡らせていれば、所で、と暗がりから声がかかる。
「その呼び方なんとかならないか」
また来たか、と心の中で溜め息。
「学校では気を付けるよ」
「習慣付けば無意識に出るんだぞ」
ふて腐れ気味の返答に、間髪入れずに返される。容赦ないのは心配の表れだろうか。
メトロノームのように単調に動く背中に、僕は少し声を張上げた。
「はいはいわかりましたよ、智昭せーんせっ」
当て付けに最後を強調したら、前を進む背中が止まった。それからゆったりと、表裏の位置を変える。
僕も慌てて歩みを止めるが、反応が遅かったのか距離が縮まってしまう。
その距離のまま自分より少し身長の高い智昭を見上げた。
「……本当にわかってるのかよ」
眼鏡の下、呆れたように目を細め口元を微かに緩ませた顔が、役立たずな電柱の下にうっすらと浮かんでいた。
もったいない。
もっと、もっともっと、どうせならうんと明るい所で見たかった。
踵を返し消えてしまった表情は、暗がりに目が慣れても闇が霞め覆っていたから、そんな欲が沸く。
それでも束の間目を奪われた智昭の表情は確かに存在して、僕の胸に残り、今日感じた嫌悪や苛立ちをちっぽけな物へと昇華するように身体中に暖かく浸透した。
相変わらず単調に動く背中は、先程よりも緩慢に見える。その後ろを歩きながら、僕の脳裏には鼻につく媚びた声が蘇っていた。
勝ち誇ったように響くそれに苛立ちを覚えたけど、明日の朝再び聞くのも悪くないと思った。
当てにならない占いに一喜一憂して、保証のない希望を小さく願うんだ。
それでも僕は、あのキャスターを好きになる事はないだろうけど。
『星占いに願いを』...end
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