NO.13 | ナノ



 今日だろうか。それとも明日。
 その明日が今日になって、明後日が明日に変われば、また考える。

 そんな堂々巡りの毎日だった。




「よう、イケメン」
「その呼び方はやめてくれませんか」
「だってイケメンだろ」

 追試に一人で残る、放課後の教室。
 開け放たれた後ろの戸口から現れた奴は、笑顔のまま少し眉を寄せた。

「好きでこんな顔に生まれたわけじゃないです」
「なにそれ、自慢?」
「そんなつもりは」
「自慢にしか聞えない」

 今度は眉間に深い皺が作られた。俺との会話が不快なのかもしれない。

 だから不思議だ。

「なんで俺の所に来んの?」

 ここ数日、同じクラスでもない奴が不自然な程近くにいた。
 ストレートに聞き過ぎたか。奴の口がへの字に歪む。そんな表情すら様になって、感心と嫉妬。感情を隠そうとしないのは性格なのか、はたまた気の緩みなのか。

 それを特定できる程、奴の情報は多くない。

「帰るのか?」

 踵を返し歩き出した背中に問い掛ける。

「僕が居ると迷惑みたいですし」
「誰が」
「君が」
「言ってねぇよ」
「迷惑じゃないとも言ってません」
「屁理屈」

 ギッ。と音を鳴らし椅子を引いた。

「座らせてやるよ」

 掴んだのは、名も知らない隣のヤツの椅子。背を向けたままだった奴は一度動きを止め、ぱっと振り返った。

「お言葉に甘えて」

 さっきまでとは一変。眉間の皺はなくなり、相好を崩した。にこにこと横に座る奴の息が、頬杖を突いた腕にかかる。

 近過ぎたか、と遅い後悔。

「聞きたい事が」
「問題の解き方?」

 机の上の真っ白なテスト用紙に視線が落とされた。

「嫌味かよ」
「そんなつもりは」
「ムカつく」
「すみません」
「お詫びに解き方教えろよ」
「お安いご用です」

 多くない情報で、頭の良い奴なのは知っていた。先日行われた期末テストでの奴の実力だ。
 その期末テストのせいで、俺は追試を受けさせられてるのだけど。


「今度は僕が聞く番ですね」

 奴がそう切り出したのは、テスト用紙が全て埋まった時。

「君の事を『きみ』としか呼べなくて困ってます」
「知ってるかと思ってた」
「君はどこにも存在を置きませんから」

 わからなかったです。と告げられたのが、なるほど。ここ数日の近さの真相か。
 テストのお礼に、と俺はシャーペンを空欄のそこに走らせた。

「い、うら……しょう」
「かける」
「井浦、翔」

 噛み締めるように言われ、感じた居心地の悪さ。

「っ、もう帰れよ」
「まだ聞きたい事があります」

 突き放す為に言ったのに、奴は引き下がらない。

「……まだあんのかよ」

 呆れて呟けば、奴は満面に笑顔を浮かべた。
 
「カケルは知らない事ばかりです」

 無邪気に向けられる興味に、沸きあがる、怖さ。それはいきなりの馴々しさすらどうだっていい程に、体中を蝕む。

「帰る」

 俺は荷物を手早くまとめ、テスト用紙を教卓に裏返しに置き、教室を出た。後ろから着いて来る足音が俺の足音より少くて、……悔しい。

「着いてくんなっ」
「今更です」

 返された不満に言葉が詰まる。
 コイツの存在を許した、俺の責任か。

「なにが知りたいんだ」

 仕方ない。足を止めて振り返った。追掛けてきた奴も足を止め、廊下のど真ん中で対峙する。

「取り敢えず携帯番号とメールアドレスと……」
「ナンパかよ」
「あと住所」
「いきなりだな」
「今度泊まりに行きたいです」
「……本当いきなりだな……」
「あ、僕の家に来たいですか?」
「言ってねぇよ」

 急速に縮めようとする仲に戸惑った。さっきから感じる居心地の悪さは、不慣れな状況への不安感。

「カケルと仲良くなりたいです」
「不毛だよ」
「見返りも結果もいりません」
「よくわからないな、秀才」
「その呼び方もやめてくれませんか」
「だって秀才だろ」

 彼の眉間に本日二度目の皺が寄せられた。
 不快ならば関わらなければ良いのに。ここ短期間で何度奴のこの表情を見たのだろう。
 頭の良い奴は、変り者なのだろうか。

「じゃ、俺帰んね」

 踵を返して、後ろ手にヒラヒラと手を振った。その手を掴まれ、進めた距離を戻される。

「まだ話が終わってません」

 俺は視線を強い物にして、奴を見上げた。

「俺、結構忙しい身なんデスが」
「バイトとかしてるんですか?」
「あんたにカンケーない」
「関係あります」
「なんでだよ」
「友達ですから」
「……いつの間に……」

 駄目だ。ちょっと疲れてきた。

「デートが、……あるんだ」

 嘘をついた。早く解放されたくて。

「なら僕も行きます」

 だけど、予想外の展開。

「何でだよ!」
「カケルの彼女に挨拶しなきゃいけませんから」
「どうしてお前が挨拶する必要があるんだ」
「カケルの彼女なら僕の彼女も同然です」

 どんな理屈だよ。と言う疑問は声にはしなかった。この押し問答に本気で疲れてきた。

「……彼女なんて、居ない」

 素直に白状すれば、奴は口端を薄く上げた。

「嘘、吐いたんですか」

 傷付いたと言いたげなニュアンスの言葉が、小さくのし掛かる。心でうっ、と呻いた。
 元はと言えば、嘘を吐かせるコイツが悪いのに。

「あんたがしつこいからだ」
「しつこくさせるのはカケルです」
「俺が悪いと?」
「僕に悪意はありません」
「……」

 駄目だ。口で勝てる気がしない。
 
 ヤケクソ、と言うか……降参。

「わかった、ケー番もメアドも住所も教える」

 待ってましたとばかりに、奴は笑顔で肩に掛けた鞄から携帯電話を取り出した。
 何でコイツがこんなにしつこいのは知らないが、本気で疲れた。もう付き合ってられないから、素直に要求を呑む事にした。

「家、逆方向なんですね」

 住所を教えた途端、奴は残念ですと肩を落とした。
 何が残念なのか聞くのも煩わしいからスルー。その内心で、俺はほっと安堵していた。もし同じ方向だったら、一緒に帰りましょうとか言い出しそう。
 ああ、想像しただけで悪寒が走る。

 そんな事を考えながら教えられた奴のケー番やアドレスを仕方なく、そう、仕方なく登録中、名前の入力で手が止まる。

「あ、僕の名前は……」
「榎本だろ」

 別に名前がわからないわけじゃない。だけどさらりと言えば、奴は目を輝かせて両手を大きく広げた。
 何だ? と思ってるのも束の間。

「嬉しいです!」
「ぎゃっ」

 あろうことに奴は俺の背中に腕を回し、遠慮なく抱き締めてきた。見た目の柔さから考えられない半端ない力に、背骨が軋み肺が圧迫された。

「えのっ……榎本! くるしっ……!」

 俺の悲痛な叫びが、夕焼け色の廊下に虚しく響いた。榎本の力はなお強く俺を締めて来る。

 苦しい、苦しい! 背骨が砕ける!

 生命の危機に思わず手を出しそうになれば、途端に身体を潰す圧迫感が消えた。

「今日早速メールします! カケルもメール下さいね」

 抱擁から解放されフラフラしてる俺の両肩を掴み、奴は笑顔で、女子が見たら卒倒モノの満面の笑顔で言う。奴のバックに、瑞々しい花まで見えてくる始末。
 ……俺、本気で疲れてきたんだろうな。
 返信しなきゃ後が怖そうだから、俺は素直に頷いた。


 それから上機嫌の奴に拐われるように、校門まで一緒に歩いた。これ以上疲労を蓄積したくなくて、文句は言わず奴の好きにさせた。それが一番賢明な選択に思えたんだ。

 これも校門までの辛抱。
 そう思えば堪えられる。


「人との別れはこんなに名残惜しいものなのですね」

 奴は一人感傷に浸り、暮れなずむ空を見上げていた。そんな奴を尻目に、俺は歩き出す。
 さっさと帰りたい。

「カケル」

 けど、また腕を掴まれて歩いた距離を引き戻され、

「──っ」



 頬っぺたに、キスされた。


「それじゃ、また明日」

 放心してる俺に相変わらずの笑顔で言うと、奴は颯爽と歩き出した。その背中を見送りながら、思い出す、編集途中のアドレス帳の存在。

 携帯を取り出し、開いて、名前の入力。
 今度は迷わず打ち込んだ。


『変態』


 登録完了。



prev / next

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -