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その声が教室に響いたのはホームルームが終わって程なくだった。
「樹ー、藤森から呼び出しー」
帰宅組を筆頭に、塾やデートといった私用に向かう生徒達が去った後でも半数近い生徒が残り、思い思いに放課後を過ごしている時間。
教室の隅々まで行き渡るボリュームと何より内容に、教室中の視線は窓際から二列目一番後ろの席に集結された。
「……ああ」
焦点の的になった当人はどこかうんざりした面持で、休めた帰り仕度の手を再び動かし始めた。呼出しの一言で声が掛かる理由を理解したのだろう。
それは教室内の生徒達も同じ。見慣れた光景だった。
「校舎裏だってー」
呼出しに来た男子生徒は待合場所を告げると、背中ごしにふらふらと手を振り去って行った。
「聞いた? 藤森さんだって」
ざわざわと教室内が騒がしくなり始める中、俺に意気揚々と話し掛けてきたのは、友達の名屋すぐる。前の席から俺よりも一回り大きな身体を捩り、本人自慢の緩い癖っ気を揺らしながら喋る。
仕方ないと言えば仕方ない反応だ。
いまどきの高校生なら、この手の話題は見過ごせないほど魅力的に見えるのが自然な感覚。
特に今回の相手が、その魅力を一層眩く輝かせているんだろう。
「藤森さんなら、弟君も付き合っちゃうんじゃない?」
二年B組藤森美優。
胸元まで伸びた黒い髪が綺麗で、透通る程の白い肌を引き立たせる。いつも良い香りを漂わせ、黒目の大きな瞳が印象強く『見詰められて恋に落ちない男はいない』と唱われる校内一の美少女だ。
俺は授業表で明日の教科を確認しながら、持って帰る教科書をフェイクレザーのショルダーバッグに詰める手を止め、溜め息混じりに呟いた。
「……俺に聞くなよ」
すぐるは首を傾げる。
「でも、やっぱ兄としては弟の行く末とか気になるもんじゃない?」
「んな事いちいち干渉しないって」
「……そんなもんなの?」
意外と言いたげな問いに、そんなもんと返して授業表に再び目を移した。
俺には双子の弟がいる。
双子と言っても二卵性で、母親似と父親似にハッキリ分かれた俺たちは面白いほど似ていない。
可愛らしい顔立ちの母に似てしまった俺は歳より幼く見られ、小柄な体格まで似てしまったのか、身長は平均以下。毎度俺の方が弟に間違われ兄の面目丸潰れな容姿は、少しコンプレックスだった。
そんな俺とは対照的に、男前と持てはやされた父親に似た弟は、生写しのようにその端正な顔立ちを受継いで、身長も平均を上回る長身に成長。
兄の目から見ても、正直かなりかっこ良く育っていた。
恵まれた容姿は黙っていても女子生徒達の目を惹き、呼び出しや手紙攻撃は日常茶飯事。それもこれも、樹はモテるくせに彼女になる存在が居ないのが最大の原因なのだろう。
『並の女じゃ樹とは付き合えない』なんて噂が都市伝説と化していたが、それでもフリーだと希望を持ってしまうのか。
告白の誘いは後を絶たなかった。
「どいつもこいつも樹、樹ってさ」
「なに、嫉妬?」
「俺だってそんな顔悪くないと思うんだけど……」
頬杖をついてぼやけば、不満ね。とすぐるは解釈していた。
「やっぱみんな樹の方が良いのかな……」
「俺は綾斗の方が好きよ」
「……すぐるに告られても嬉しくなーい」
口を尖らせれば、すぐるは傷心の表情を浮かべて、冷たい! と空々しい泣きまねを始めたもんだから、俺は苦笑い。
「冗談、嬉しーよ。俺もスキ」
ともすれば、すぐるは泣き真似を止めて、ぱっと満面に笑みを浮かべた。いつも思うのだけど、すぐるは人懐っこい犬みたいだ。
「なら俺ら両想いだな〜」
「はいはい、両想いね両想い」
「両想いのチュー」
すぐるは目を瞑り自分の唇を突出し指差した。相変わらずな悪ノリに、俺は堪えきれず吹き出してしまう。
「はははっ、すぐるキモ──」
だけど、後ろから聞こえた派手な音に俺の言葉は掻き消された。何事かと振り向けば、机と机との間に窮屈そうに体を屈める、デカイ奴が目についた。
あれは、樹だ。
見れば足元に筆記用具が四散していて、それを拾い集めているようだった。その様相に音の正体を把握して、驚きに跳ね上がった胸を撫で下ろした。
(……びっくりさせるなよ)
心の中で小さく文句を言って、後ろに捻らせていた身体を戻そうとした時。丁度筆記用具を拾い終わったらしく、樹がゆっくり立ち上がるのが見えて、
「ッ─」
一瞬だったけど、顔を上げた樹と目が合った。
「ちょっとびっくりしたなー」
「……」
「……綾斗?」
ガタッと仰仰しい音を鳴らし、俺は席を立った。勢いに生じた椅子の音に、何人かのクラスメイトの視線が俺に向けられる。すぐるも俺の行動に驚いたのか、目をパチクリと瞬かせている。
「……どした?」
「帰ろう、すぐる」
「は?」
「帰んだよ!!」
ヒステリックに放った呼び掛けに、すぐるは目を見開き戸惑いを見せながら、すぐにああ、と手早に帰り仕度を始めてくれた。
「いくぞ」
「──えっ、ぁ、ちょっ……綾斗!」
支度が終わるや否や、俺は強引にすぐるの手を引いて、大股で教室を後にした。
苛々する。目が合ったのはほんの一瞬だったけど。
確かに、樹に睨まれた。
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