For one week | ナノ


 
「ここまで来てソレとか、なんだよー。弟君もさぁ、昨日俺の胸ぐら掴んだ勢いどこに行ったんだよー……」

 すぐるは頬杖を崩して机に突っ伏しながら、脱力したような声で言った。その内容に昨日抱いた疑問を思い出す。

「──そうだ、胸ぐら! 胸ぐらを掴んだってどう言う事なんだ?」

 樹がすぐるの胸ぐらを掴んだ、と。一体何がどうなってそんな事に。
 すぐるは伏せていた頭を少しだけもたげた。先ほどよりも低い位置から、恨めしげな垂れ目がジトりと俺を捉える。

「前に言っただろ、名ばかりの傷害事件。あれの共通点は名前に"あや"が入ってる子。このタイミングなら誰でも察しがつくだろうけど、狙いは弟君の彼女のあやちゃん、つまり綾斗なんだ」

 言いながら机を這うように置かれたすぐるの手が、人差し指だけ上げられ俺を指した。
 蓮田さん達が樹を苦しめる為に俺を探していた話の事だ。

「まぁ、女子前提で探してるから見付からないだろうけど、いずれ矛先が綾斗に向く可能性があった。それは弟君もわかってたと思う。ただ犯人の目星はついてなかったのか、もしくは俺も疑われてたのか。実際に綾斗が居なくなって、探す途中に出会した俺に、あやを何処にやったー、って言って胸ぐら掴んで壁にどーん、ってだけだよ」

 すぐるはそこまで一気に喋る。
 大した事じゃないと言いたげにさらりと語られるけど、結構大した事ある内容に感じるのは俺だけだろうか。

 それにもう一つ、気になる事。

「すぐる」

 あの時の顔は鬼の形相だったなぁ。とか今だ独りごちてるすぐるを呼び止める。
 昨日の事を思い出すように宙を舞っていたすぐるの目が俺に戻された。

「すぐるは、……その、……気持ち、悪く……ないのか?」
「? 何が?」

 今さっきまで通常の半分程しか開かれてなかったすぐるの目が開かれる。
 何の事だ。そんな疑問を含んだ通常サイズの眼が、俺に向けられた。
 俺はすぐるから机の上に視線をズラした。

「俺たち、……兄弟だし、……何より男同士、だし……」

 先ほどからすぐるの話の中で、俺たちの関係が当たり前の事のように語られるから、引っかかる。

 兄弟で、男同士でなんて。
 通常では考えられない禁忌の関係。
 当人の俺でさえおかしいって思ってるんだ。
 気持ち悪がられたっておかしくない。
  
 ちょっとの間があって恐る恐る視線を戻せば、すぐるは二度瞬きをした。

「綾斗は気持ち悪いのか?」
「へ?」

 姿勢を直しながらすぐるが聞いて来る。聞いた問いがそのまま自分に返って来たから、間抜けな声が漏れてしまった。

「綾斗は弟君の事気持ち悪いって思ってるのか?」
「え、……樹?」
「綾斗はどう思ってる?」

 俺が、樹の事を。

「え、と……」

 俺は机の上に視線を落とした。表面の木目を目で追いながら思い返す。

 最初はただ、戸惑った。
 何で俺? 冗談か? と事実を受け入れれなくて。
 その後は、怖かった。すぐるが言うように樹に怯えていた。自分の震えを抑えるのに必死だった。
 だけど共に過ごす時間の中に、初めて見る樹が居て。色んな樹を知るうちに、怖さ以外の感情が芽生え始めて居たんだ。

「戸惑ったけど、……気持ち悪いとかは、……思わなかった」

 俺の言葉にすぐるは頷く。

「綾斗はそう思ったんだろ?」
「え? う、……うん」
「それなら、理解できるよね?」

 その問いに首を傾げれば、すぐるは何時もの柔らかな、だけど芯の通った声で言った。

「誰かが気持ち悪く思ったとしても、俺は思わない。綾斗が考えて選んだ選択なら俺は応援するし、もし、助けて欲しいって思うなら出来る限り助ける」

 だから、と続けながらすぐるは再び頬杖をつく。少し低い位置から俺を見上げた。

「一人で悩まないでよ。綾斗は溜め込んじゃうからさ。何があっても俺は軽蔑もしないし、綾斗の事を嫌いになったりもしない。だから何でも話してよ。じゃないと俺、寂しいじゃん。何も出来ないのって、凄く歯痒いのよ」

 唇を尖らせながら拗ねたように言われた。その発言に目元がジワジワして、俺は唇を強く結んだ。

「……ごめん」

 何に対して謝ってるのかわからない、素っ気ない一言。本当は沢山伝えたい事が胸の奥にモヤモヤしてるけど、上手く言葉に出来そうになくて、今の俺にはそれが一杯一杯。
 そんな俺にすぐるは人差し指を向けた。

「だいぶ厳つい。こんな顔」

 そう言ってすぐるは眉間に皺を寄せて目付きを鋭くさせると、口を真一文字に閉じる。背後を許さない某スナイパーみたいな顔だ。
 予想もしてない変顔っぷりに、俺は思わず吹き出した。

「ぶはっ! ブサイク!」
「はあ?! ブサイクとか酷い! 綾斗がしてたのよ」
「えー、俺そんな酷過ぎる顔じゃないし」
「酷過ぎるってなに?!」

 笑いと共に目元から我慢していた涙が零れた。笑い涙かもしれないと思う位、俺は腹を抱えて笑った。

「はは、……ありがと。ありがとな。すぐる」

 ひとしきり笑って、袖で目元を拭いながら言った。こんなに笑うのは久しぶりで、胸の奥のモヤモヤは何処かに吹き飛んでいて、残った気持ちを口にした。

 久しぶりに浸るすぐるとの空気はとても柔らかく心地よくて、俺、やっぱりすぐるとは一緒に居たいなぁ。て思った。

「俺、今度こそちゃんと樹と話すよ」

 例えどんな結果でも。すぐるがそうしてくれたように、逃げないで話そう。
 すぐるは目を細めた笑みを浮かべて頷いてくれた。

 


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