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「……ふ……りょう?」
聞き慣れないのもあるけど、気怠げな菊地からはイメージしにくい。前世が猫だったと言われた方が納得出来る。
それ程に不良と言う言葉は菊地と結びつかなかった。
俺が言葉を飲み込めずにいると、菊地は自らを指差し元ヤンだよーと笑う。
改めて言われても、まだ信じられない。
「樹をイジメてたの、俺がつるんでた奴らなんだ」
「え……」
「俺、イジメとかねちっこいの嫌いだから見てるだけだったけど、そうとーボコられてたよ」
話だけでもキツイ。想像しただけで痛々しくて、耳を塞ぎたくなった。
「けど樹さ、全然テイコーしないんだ。殴られっぱなし。それが有り得なくてさ、どうしてか聞いた事あってね。──なんて言ったと思う?」
どうしてだろう。
樹に至っては怖くて、なんて理由考えられない。
答えが出なくて首を捻っていれば、菊地は面白そうに言った。
「理由がないから、だってー」
ほんと有り得ないよねーと笑う菊地だけど、急に抑揚を落とした。
「けど本当は、おにーちゃんを守るためなんじゃないかなー」
「……ぇ」
俺を守るため?
「樹の一番はおにーちゃんで、自分自身よりもおにーちゃんが大事だから、──多分、今回みたいにおにーちゃんが巻き込まれないようにテイコーしなかったんじゃないかな」
少なくても俺はそう思ってる。そう漏らした菊地に、俺は言葉が詰まる。
菊地は静かに言った。
「おにーちゃんが樹にされたコト、……おおよそ想像ついてる」
思い掛けない唐突な内容に、俺は目を見開いた。そんな俺の反応は想定内だったのか、菊地は淡々と続ける。
「けっこー酷いことされたでしょ」
樹の気持ちを知ってる菊地なら、『彼女のあや』が俺だと容易にわかる事。となれば“おおよそ想像ついてる”というのは当てずっぽうで言ってるわけじゃないだろう。
どう反応していいかわからずにいれば、菊地はでもね、と繋いだ。
「樹はずーっと、おにーちゃんを大切にしてたよ。その証拠に、今回より前に手を出された事はないでしょ?」
確かに感情をぶつけられたのは今回が始めてで、だから、樹が俺に好意を抱いてたなんて全く気付かなかった。
「大好きな人がすーぐ傍にいるのに手を出さないって、そうとーな我慢だよね〜」
健全な男ならわかるでしょと聞かれ、俺は視線を地面に落とした。
凄く忍耐のいる事じゃないかと思う。
けど、その対象が自分となると、冷静には考えられない。
「個人的に恩義とか他の感情もあって俺は樹に肩入れしまくりで、樹の気持ちを間近で見てきたから、お兄ちゃんの気持ちを蔑ろにしちゃうかもだけどー」
控え目に、それでも芯を据えた意思を持って、だからねと菊地は切り出した。
「樹の気持ち、汲んであげて」
◇
一体何処にそんな力があるのか。
見た目には細く見える菊地が、蓮田さんを軽々と肩に担いだ。
「菊地、……俺、携帯で、撮られた」
思い出して訴えた。先ほど光る先で持たれた携帯の存在を。辺りをザッと見回しても見当たらなかったから。
菊地は蓮田さんを担いだまま近付いて来て、セーフティーマットに座る俺の頭に手を乗せた。
「大丈夫、お兄ちゃんはなーんにも心配しなくていいよー」
柔らかく俺を撫でる菊地の手が心強くて、俺は頷いた。目頭がじんわり熱くなった。自分で思ってたよりも怖かったのかもしれない。
菊地は胸ポケットから紙切れを出して、俺に耳打ちをする。それを受け取り、菊地を見上げた。
「ここで待ってて。もう、樹が来る」
◇
元より人気のない場所。
自分が動かなければ物音一つしなくて、窓からの光に照らされた埃の舞う様だけが時を刻んでいた。
緩やかな川に流れる葉のようなゆらゆらした動きに、感覚も乗せられる。俺はソレをセーフティマットに座ったまま虚ろに見ていた。
その静寂の中に小さな音混じる。
小さく、だけどどんどん音を上げ、荒々しく大きくなってくる。
──地面を蹴りあげ走る足音。
もの凄い勢いで迫って来るから、意識は一瞬でシフトして俺は身を強張らせた。
音の向かって来る方向を見てれば、開け放した倉庫の入り口に影が現れ、慌ただしい足音が止まった。
現れたのは人影。
逆光の影に顔が覆われているけど、見間違える筈なんてない。
「……い、つき」
「──あや!」
入り口に居た樹は、俺の姿を見定めると倉庫内の短い距離を駆け寄り、俺を抱きしめた。
「あやっ、あや! ……あやっ、」
締め付けるように腕に力を込め、俺の名前を繰り返す。息が酷く乱れていた。首筋に感じる樹の肌が湿っていて、汗をかいてるのだと気付いた。しかも結構な量。
──猛獣のようでした。
真咲さんの言葉が蘇る。
俺を探して、走り回っていたのだろうか。
「大丈夫だよ樹。大丈夫だから」
自然と樹の背中に手を回し、宥めるように撫でた。──途端、二の腕辺りを掴まれ、勢いよく身体を離される。
「誰に何された」
真っ直ぐに俺を見る樹。その瞳の奥で、怒りの炎が燃えていた。
「何も、……されてない」
「そんなわけないだろ」
シャツの襟元を摘ままれ、軽く引っ張られる。
「何もなくて、どうしてボタンがなくなってるんだ」
答えられなかった。口を噤み視線を落とせば、顔を覗き込まれる。
「何があった」
「……何も」
「あや」
責めるような呼びかけに、俺は首を振った。
「菊地が助けてくれたから何もなかった」
その後も続くだろう樹の問いは“何もなかった”で押し通すつもりだった。生憎、質問攻めは慣れているし、そう意志を決めていた。
なのに質問が変化した。
「なら、誰から助けられたの」
どう答えていいかわからなかった。
菊地から樹の気持ちを聞いたから、考えてしまうんだ。俺に危害を加えようとした相手に、樹は何かしでかさないかと。
だから俺は逃げるように身を縮めるしか出来なかった。
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