For one week | ナノ

10

 
「……ふ……りょう?」

 聞き慣れないのもあるけど、気怠げな菊地からはイメージしにくい。前世が猫だったと言われた方が納得出来る。
 それ程に不良と言う言葉は菊地と結びつかなかった。

 俺が言葉を飲み込めずにいると、菊地は自らを指差し元ヤンだよーと笑う。
 改めて言われても、まだ信じられない。

「樹をイジメてたの、俺がつるんでた奴らなんだ」
「え……」
「俺、イジメとかねちっこいの嫌いだから見てるだけだったけど、そうとーボコられてたよ」

 話だけでもキツイ。想像しただけで痛々しくて、耳を塞ぎたくなった。

「けど樹さ、全然テイコーしないんだ。殴られっぱなし。それが有り得なくてさ、どうしてか聞いた事あってね。──なんて言ったと思う?」

 どうしてだろう。
 樹に至っては怖くて、なんて理由考えられない。
 答えが出なくて首を捻っていれば、菊地は面白そうに言った。

「理由がないから、だってー」

 ほんと有り得ないよねーと笑う菊地だけど、急に抑揚を落とした。

「けど本当は、おにーちゃんを守るためなんじゃないかなー」
「……ぇ」

 俺を守るため?

「樹の一番はおにーちゃんで、自分自身よりもおにーちゃんが大事だから、──多分、今回みたいにおにーちゃんが巻き込まれないようにテイコーしなかったんじゃないかな」

 少なくても俺はそう思ってる。そう漏らした菊地に、俺は言葉が詰まる。
 菊地は静かに言った。

「おにーちゃんが樹にされたコト、……おおよそ想像ついてる」

 思い掛けない唐突な内容に、俺は目を見開いた。そんな俺の反応は想定内だったのか、菊地は淡々と続ける。

「けっこー酷いことされたでしょ」

 樹の気持ちを知ってる菊地なら、『彼女のあや』が俺だと容易にわかる事。となれば“おおよそ想像ついてる”というのは当てずっぽうで言ってるわけじゃないだろう。
 どう反応していいかわからずにいれば、菊地はでもね、と繋いだ。

「樹はずーっと、おにーちゃんを大切にしてたよ。その証拠に、今回より前に手を出された事はないでしょ?」

 確かに感情をぶつけられたのは今回が始めてで、だから、樹が俺に好意を抱いてたなんて全く気付かなかった。

「大好きな人がすーぐ傍にいるのに手を出さないって、そうとーな我慢だよね〜」

 健全な男ならわかるでしょと聞かれ、俺は視線を地面に落とした。
 凄く忍耐のいる事じゃないかと思う。
 けど、その対象が自分となると、冷静には考えられない。

「個人的に恩義とか他の感情もあって俺は樹に肩入れしまくりで、樹の気持ちを間近で見てきたから、お兄ちゃんの気持ちを蔑ろにしちゃうかもだけどー」

 控え目に、それでも芯を据えた意思を持って、だからねと菊地は切り出した。


「樹の気持ち、汲んであげて」
  
 ◇

 一体何処にそんな力があるのか。

 見た目には細く見える菊地が、蓮田さんを軽々と肩に担いだ。

「菊地、……俺、携帯で、撮られた」

 思い出して訴えた。先ほど光る先で持たれた携帯の存在を。辺りをザッと見回しても見当たらなかったから。
 菊地は蓮田さんを担いだまま近付いて来て、セーフティーマットに座る俺の頭に手を乗せた。

「大丈夫、お兄ちゃんはなーんにも心配しなくていいよー」

 柔らかく俺を撫でる菊地の手が心強くて、俺は頷いた。目頭がじんわり熱くなった。自分で思ってたよりも怖かったのかもしれない。
 菊地は胸ポケットから紙切れを出して、俺に耳打ちをする。それを受け取り、菊地を見上げた。

「ここで待ってて。もう、樹が来る」



 元より人気のない場所。
 自分が動かなければ物音一つしなくて、窓からの光に照らされた埃の舞う様だけが時を刻んでいた。
 緩やかな川に流れる葉のようなゆらゆらした動きに、感覚も乗せられる。俺はソレをセーフティマットに座ったまま虚ろに見ていた。
 その静寂の中に小さな音混じる。
 小さく、だけどどんどん音を上げ、荒々しく大きくなってくる。
 ──地面を蹴りあげ走る足音。
 もの凄い勢いで迫って来るから、意識は一瞬でシフトして俺は身を強張らせた。
 音の向かって来る方向を見てれば、開け放した倉庫の入り口に影が現れ、慌ただしい足音が止まった。
 現れたのは人影。
 逆光の影に顔が覆われているけど、見間違える筈なんてない。

「……い、つき」

「──あや!」

 入り口に居た樹は、俺の姿を見定めると倉庫内の短い距離を駆け寄り、俺を抱きしめた。

「あやっ、あや! ……あやっ、」

 締め付けるように腕に力を込め、俺の名前を繰り返す。息が酷く乱れていた。首筋に感じる樹の肌が湿っていて、汗をかいてるのだと気付いた。しかも結構な量。

 ──猛獣のようでした。
 真咲さんの言葉が蘇る。

 俺を探して、走り回っていたのだろうか。

「大丈夫だよ樹。大丈夫だから」

 自然と樹の背中に手を回し、宥めるように撫でた。──途端、二の腕辺りを掴まれ、勢いよく身体を離される。

「誰に何された」

 真っ直ぐに俺を見る樹。その瞳の奥で、怒りの炎が燃えていた。

「何も、……されてない」
「そんなわけないだろ」

 シャツの襟元を摘ままれ、軽く引っ張られる。

「何もなくて、どうしてボタンがなくなってるんだ」

 答えられなかった。口を噤み視線を落とせば、顔を覗き込まれる。

「何があった」
「……何も」
「あや」

 責めるような呼びかけに、俺は首を振った。

「菊地が助けてくれたから何もなかった」

 その後も続くだろう樹の問いは“何もなかった”で押し通すつもりだった。生憎、質問攻めは慣れているし、そう意志を決めていた。
 なのに質問が変化した。

「なら、誰から助けられたの」

 どう答えていいかわからなかった。
 菊地から樹の気持ちを聞いたから、考えてしまうんだ。俺に危害を加えようとした相手に、樹は何かしでかさないかと。
 だから俺は逃げるように身を縮めるしか出来なかった。



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