14
「なら、朝のはどういう意味?」
怒りの度合いを顕在させるように、髪を引っ張る力は加減ない。髪が抜ける、というより頭皮を剥かれるんじゃないかという痛みに、視界の端が滲んだ。
「あやは、俺があやには釣り合わないって思ってるの?」
意味がわからなくてただ見返してる俺に、樹は続けた。
「俺にあやより合う奴がいるって、どういう意味?」
教室での発言の事を言っているのか。
やっぱり誤解されてる。
「ちがぅ、……あれは……違うんだ」
「何がどう違うって?」
髪の引っ張られる力は緩む事なく、不断の痛みに目の端に溜まった物が溢れて頬を伝った。
「だって……男でっ……兄弟の俺じゃ、人に紹介……出来ない。普通の恋人同士みたいに、……人前で堂々と手を繋ぐ事すら……出来ない」
樹には普通の、一般的な彼女を作って欲しかった。
「俺なんか、っじゃなく……大手を振って並んで歩ける、女の子と付き合って……、……欲しかったんだ」
どんなに俺を好きでも、先を見越せばその方が樹は幸せなんだ。その真意を解って欲しくて、俺は痛みを必死で耐えながら懸命に訴えた。
「ほんっと、苛々する」
「へ……ぅあ──ッ」
ぼそりと呟きが聞こえたと思ったら、掴んでいた髪の毛を放して脇を抱えられ、俺はベッドに投げ飛ばされた。
「〜ぅっ、……たぁ」
布団とスプリングがダメージを緩和してくれて、打ちつけられた痛みは大したことない。けれど投げ飛ばされた勢いに後頭部が壁に当たり、軽く目眩がした。
そんな俺に構わず、樹は続けた。
「要するに、俺に好きでもない女と付き合えって言うのか?」
ベッドの横で俺を見下ろしながら言う。
「俺を女に押し付けて、自分は名屋とヨロシクやろうって腹づもり?」
「……は……?」
何でいきなりすぐるが出てくるんだ? と過る疑問は、続く樹の問いが答えになった。
「教室の前で何話してた?」
「っ、」
まずい。朝の光景を見られてたんだ。
「……何も、……話してない」
「腕、掴まれてたよね」
「挨拶……されただけ。本当だ……信じてくれ。……話しはしてない」
確かに腕は掴まれたけど、一方的に喋られただけで会話はしなかった。だけど樹から見たら『喋るのを最後にしろ』と言う約束を破ったように見えたのかもしれない。
だけどあれは不可抗力だ。
「何を根拠に信じろって言うの?」
それでも、樹にとってそんな理屈は免罪符にならないのだろう。ギッと音を鳴らしベッドに上がりながら、樹は捲し立てるように言った。
「俺との約束は反古するし、あや以外の奴と付き合えって言うし、すぐに他の奴に色目使うし、都合悪くなれば『ごめん』『信じて』って……」
無理な話でしょ、と言う樹に言い返す言葉が見付からず、俺は口を噤んだ。
だけど、浮かぶ疑問符が一つ。
「……いろ、め……?」
なんだ……それ。
いろめって、色目? 色目を使うって、なんだ。
身に覚えのない謂れに、言葉の意味があやふやになる。困惑する俺を他所に、樹は冷めた目のまま言った。
「名屋じゃなくて、菊地? それとも蓮田?」
「……なに……」
「男を知って、俺だけじゃ満足出来なくなった? 男なら誰でもいい?」
何となく察した。前にも同じ質問された事がある。
また誤解されてるんだ。
「樹、待って。俺、色目なんて……」
「またいいわけ。あやの常套手段だよね」
「っ違う、……色目なんて使ったつもりないんだ」
「なら天然? 余計タチ悪い」
「〜っ」
何を言ってもあしらわれる。
気付かない内に疑われる行動をしてしまってたのかもしれないけど、下心なんてない。
どう言えば伝わるかわからなくて、もどかしさに焦燥感ばかり募る。けどその気持ちをぐっと堪え、俺は目の前に腰を下ろした樹を見据えた。
「俺、……樹だけだよ。樹以外とは、しない。……したくない」
出来るなら樹ともしたくないのに、自分の意思で樹以外の人を誘ってするなんて考えられない。
「本当に、色目なんて使ったつもり……ないんだ。気に障る事してたなら、……ごめん。樹だけ、だから」
揺らぎそうになる目線を逸らさずに喋る。少しでも気持ちが伝わるようにと。
声が裏返りそうになって、手も震えた。もう大丈夫かと思っていたけど、まだ潜在的な部分に樹への恐怖心が残っているみたいだ。
だけど懸命に訴えた甲斐あってか、次に聞こえた樹の問いに変化が現れた。
「誓える?」
声から高圧さが無くなって、俺の言葉を聞き入れてくれそうなゆとりが生まれた。苛立ちが静まり始めた兆候かもしれない。
その兆しを逃すまいと、俺はコクコクと必死に頷いた。
「なら、行動で証明して」
「へ……あっ──ゎぶ!」
樹は徐に俺のネクタイに手を絡めると、無遠慮に引っ張る。その力に体ごと持っていかれ、俺は樹の胸元に顔から突っ込んだ。
「〜ぅ゛……っ」
受け身を取れず、鼻を強打。つーんと突き抜けるような痛みがじくじくと広がる。
っ……痛い、半端なく。
あまりの痛みに、やっと止まった涙が再びじわりと滲んだ。
俺は鼻を両手で覆う。どうする事も出来ないから、痛みが去るのを耐えしのぐ為に。
だけど、痛みに悶える俺をお構い無く、冷淡な言葉が耳に届いた。
「舐めて、俺の」
痛みが一瞬で吹き飛ぶ。
それ程の効力ある、二言。
ぎこちなく視線を上げれば、相変わらずの冷ややかな目とかち合った。
「あ、……の……」
「好きなら、出来るよね」
「っ、」
何を。なんて聞く気はない。明確な答えが返ってくるのが恐ろしかった。
多分、予想は合ってると思う。
樹は俺に、フェラをしろと言ってるんだ。
そして拒絶は、樹に対する想いを否定する事になるんだと。
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