For one week | ナノ

13

 
「樹、」
 
 樹の歩調は妙に速くて、更衣室に入ろうとしてる所でやっと追い付いた。

「急にどうしたんだ? 怪我でもしたのか?」

 ドアを開けようとしていた樹の腕首辺りを掴んで問い掛ける。だけど聞こえていないように樹は反応しない。見た目に怪我した様子もないし、……先ほどの言葉通りなのだろうか。

「いくら何でもさっきのは良くない。怪我じゃないなら部活に戻ろ? 俺も一緒に謝るから」

 言ってみるが、樹は変わらず無反応。

「樹、聞こ──ッぅわ!」

 何も答えない樹に詰め寄れば、腕首を掴んでいた手を引っ張られて、更衣室の中に押し込まれた。
 勢いにバランスを崩して倒れそうになって、俺は咄嗟に近くの物にしがみついた。

 ……心臓がばくばく言ってる。

 自分の足がしっかりと地に着いてる事を確認して、ほっとした。まだ心臓は煩いけど、すぐに安定に向かうだろう。
 落ち着いてきて、俺は安堵の息を吐きながら何となしに掴まった物に目を移して、──固まった。
 俺がしがみついていたのは樹の腕。気付いて離れようとしたけど、それより速く樹の手が俺の二の腕を掴み阻む。

「ここで犯されたい?」

 冷ややかな目で俺を見下ろしながら樹は言った。その目付きとよく合う、温かさの籠らない声で。
 頭が追い付なくて反応出来ない。ただ樹を見返した。
 直後。
 二の腕を掴んでいない方の樹の手が俺の中心部を握りこみ、俺は小さく悲鳴を漏らした。
 今日何度目かになる直接的な樹の行動に、何度目かの危機感。
何故か樹は見付かる危険のある場所で、隠れて行動に出る。

「ゃだっ……樹、……駄目だっ」

 声が上擦る。必死に首を振り訴えば、あっさり手が退かれた。
 間が抜ける程呆気なく解放されたから、俺は狐につままれたように放心して動けず。視線だけで樹を見上げた。
 そんな俺を見下ろし、樹は静かに言った。

「帰るよ」





 樹の着替えが終わって、俺達は家路に着いた。
 昼の暖かさが名残る道のりは淡く黄色が混ざり、草花の香りが漂っている。いつもは心洗われる香りなのに、今は鼻腔にきつい。
 樹はずっと無言で、俺も喋らない。話し掛けられる雰囲気じゃなかった。いつになく樹の機嫌が悪い。
 俺は前方から伸びる影に、離れすぎず近付きすぎず、一定距離を保ち歩いた。

 先に家に着いた樹が鍵を開ける。ドアを開くと、身体を横に移動させて振り返り、顎で中へ促してくる。
 俺は足を踏み出そうとして止まり、樹を見上げた。

「あの、いつ……」
「入って」

 なけなしの勇気を振り絞り話し掛けたけど、間髪入れずに言葉で遮られる。

「早く」

 急かす樹の言葉に、諦めて言う通り家の中に入る事にした。

 玄関に足を踏み入れれば背後に響くドアの閉まる重厚な音に、肩がびくりと跳ねる。家に着いた途端何かされるんじゃないかと思っていた。
 だけど心配に身構える俺を他所に、樹は横を通り過ぎて何事もないように靴を脱ぎ始めた。

(……また邪推をしてたのかな……)

 どうにも俺は、物事をネガティブに考えてしまう傾向がある。悪い癖だ。
 呆け気味に樹を眺めてたが、横に倣い靴を脱ぎスリッパに履き替える事にした。

 先導するように二階への階段を上がる樹の後ろに俺も続いた。相変わらず樹は無言で、部屋の前に着けば先程と同じく中へ促すようにドアを開けた。
 不機嫌な樹と過ごさなきゃいけない不安に、自然と対面にあるドアに視線が向く。自分の部屋への里心。

 そうしていたのはほんの一時だったと思うのだけど、

「ぅわっ!」

 背中を強く押され、強制的に部屋に入れられた。
 俺はつんのめり床にぶつかりそうになるのを、寸前で手を付き回避した。けど、フローリングに強く打ち付けた衝撃に、掌全体に痺れが生れる。

 ……地味に痛い。

「ねえ、あや」

 痛みを堪えてる背後に、カチャリと無機質な音と樹の声。その二つは奇妙に折り重なり、耳の奥に残響する。

「やっぱりさ、閉じ込めた方がいいと思わない?」
「……ぇ」

「あやを」
 
 振り返れば、表情をなくした樹が俺を見下ろしていた。

「朝からムカつく事ばっかりだよ」

 溜め息にのせ怠そうに漏らしながら、樹は足を進ませる。

「あやを閉じ込めれば、大方解決するかなーって思うんだ」

 ゆらりとした歩調で着実に距離を縮めてくる樹に、腰が退けて床に座ったまま反射的に後退ってしまった。

 それが癇に障ったのかもしれない。

「俺から離れるな!」

 腹から唸るように樹が怒鳴る。空気までビリビリと震わせる声に、俺は縫い付けられたように身体を硬直させた。
 樹は俺の前に来ると腰を屈め、目線を合わせる。

「離れないって言ったのに、あや、俺から離れてばかりだよね」

 樹の指先が頬を滑るようにひと撫でして、顎をとり俺の顔をあげる。

「ご……ごめ……」
「あやのごめんは、そろそろ聞き飽きた」
「っ……」

 言葉が詰まる。取り繕う言葉が見付からず、困惑してついごめんと言ってしまう。樹は露骨な溜め息を吐いた。

「あやは、痛いのが好き?」
「……は……」
「わざと俺を怒らせようとしてんだよね?」
「……ちが、う……」

 俺は首を振った。違うの? と続く問いに頷けば、樹はふーんと興味無さそうに呟いて顎に添えた手を放し、

「──あ゛っ!」

 俺の前髪を鷲掴みにした。

 


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