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「それって、あやちゃんと樹はお似合いじゃないって事?」
「……え……?」
「あーあ、お兄ちゃんが変なこと言うから、樹が機嫌損ねた」
「!」
弾かれるように視線を向ければ、樹は俺から顔を背け正面を向いていた。
その横顔は一見無表情。
だけど髪の隙間から覗くひそめた眉が、不機嫌なのだと物語っていた。
「ちがっ……、そんなつもりじゃ──」
直ぐに誤解を解こうとするが、タイミング悪く重なった休み時間終了を告げるチャイムに邪魔をされる。俺の周りを囲んでいた生徒達は、その音を合図にのろのろと自らの席へ戻って行ってしまう。クラスメイト達は良い。誤解されたままでも差し支えないだろう。
けれど、問題は樹だ。
「樹、」
小声で呼んでみるが、聞こえているのかいないのか樹は反応を見せない。めげずにもう一度呼べば、樹は横目に俺を見た。
「さっきの、違うんだ。悪い意味じゃ……」
「授業の準備しなよ。先生が来る」
樹は視線を前に戻し素っ気なく言う。その態度に、不安が煽られる。
「樹、……怒ってる……?」
恐る恐る聞けば、樹はゆっくり俺の方を向いて、
薄く笑った。
それは、何を意味しているのか。
(実はさっきのは演技で怒ってないよ、……て事ならいいんだけど)
流石に都合良すぎる解釈だと考えを振り払った。良くも悪くも取れる笑みは、蟠りばかり残す。
次の休憩時間もその次も、クラスメイト達は気を使っているのか、樹に彼女の話題を振る事はなかった。とりとめのない話題に樹の態度は普段通りで、真意を探る事は出来ない。
一人もやもやと晴れぬ蟠りを抱えたまま、四時間目を迎えようとした時。
「……虎谷が二日酔いで早退しやがりました」
教壇に仁王立ちしたハナちゃんが、青筋を浮かべ四時間目数学担当の先生の不在を告げた。
数学担当の虎谷は、いつも髪に寝癖をつけ、草臥れたジャージとサンダルという怠惰な風貌をした中年教師。粗雑な性格と時折混ぜる下品な発言から、ハナちゃんをはじめとした女性教師や女子生徒達から嫌われていた。
……正直、俺も苦手。
「なので、四時間目は数学の小テストをやってもらいます」
ハナちゃんの唐突な発言に、教室のあちこちから、えーっと盛大に不満の声があがった。
「そんな殺生な〜!」
「ハナちゃんそりゃないよー」
「そりゃないよはこっちの台詞、このテスト私が作らされたんだから!」
居ても迷惑だけど居なくても迷惑な奴! とハナちゃんは鼻息荒く言う。どうやら青筋の原因はこれのようだ。
「簡単な問題ばかりだし成績にも影響ないから、復習程度の軽い気持ちでやってよ。終わったら隣の人と答えあわせして……時間余ったら現代文予習しといてね」
喋りながら最前列にテスト用紙を配ると、ハナちゃんは足早に教室を後にする。
程なくして始業を知らせるチャイムが響いた。
配られた用紙には問題が十五問。大した数ではないけど数学の苦手な俺には難解で、蟠りも重なり握るペンの動きを鈍らせた。
それに、もう一つ鈍らせる要因。
俺は横目に樹を伺い見る。樹は気怠げに頬杖をついてはいるけど、机に置かれた手は軽快に用紙を埋めていた。終わる迄にさして時間は費やさないだろう。
(隣と、答えあわせ……)
窓際の俺に隣は片側しかなくて、必然的に相手は樹になる。怒らせた可能性の高い今、樹と関わるのは凄く気まずいのだけど。
(悩んでも仕方ないか)
溜め息一つ。
腹を括り未だ空欄だらけのテスト用紙に向かう事にした。
目の前の数式はさながらひっくり返したパズルのごとく、式を無くし数字と記号が頭の中で四散する。気が散ってる証拠だ。集中しようと思う程ドツボに填まり、頭の中のピースはより拡散していった。
用紙が一向に埋まらない俺を他所に、時間の経過につれテストを終えたクラスメイト達により教室内が徐々に騒がしくなり始めた。
ハナちゃんの言い付けを守り答えあわせや予習をしている様子は見受けられるけど、私語が飛び交い休憩時間のような騒々しさになっていた。そんな時。
机に何かがぶつかる小さな振動を感じた。
振動の生起した方に目をやれば、俺を覆う影。見上げると、背を少し屈めて立つ樹が俺を見下ろしていた。
「まだ終わらない?」
言いながら樹は机を整える。樹の机は俺の机にピタリと横付けされていた。
「ぁ……あ、ごめっ……今すぐ終わらせる」
俺は早口に言い机に向き直る。早く終わらせないと。そうは思うけど、思いとは裏腹に焦りだけが先立ち集中出来ず、解答はままならない。
……それに。
「教えようか。解き方」
騒がしい教室内でも、さして大きくない樹の声は俺の耳にハッキリ届いた。それ程に狭められた俺達の距離。
「い、……いい。それじゃテストに……ならない」
「復習程度、なのに」
「……けどっ、自分の力で……やり遂げたいから」
頑なな俺の返答に、樹の口元に笑みが作られる。
「そんな生真面目な所も可愛いくて好きだよ」
「っ!」
さらりと言われた樹の発言に慌てて周りを見渡す。クラスメイト達は各々の雑談に夢中らしく、誰一人俺達の話に聞き耳を立ててる様子は見られなかった。
安堵の溜め息を吐いて、樹に向かい口を開いた。
「樹っ、学校でそういう事は……」
「残り時間あまりないけど、終わりそう?」
教室前方の黒板の上にかけられた丸いアナログ時計に視線を移し、俺の言葉を遮り樹が言った。
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