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「腕は縛ったけど……特に何も」
「腕縛ったって、もしかしてSM?!」
「そんな大したものじゃない、ただ抵抗するから……」
「それって無理矢理って事か?」
「樹〜、ダメよ犯罪はー」
脳裏に過る悪い予感は、間違いであって欲しい願いを裏切り現実に色を染めていく。話題は俺……と言うより、彼女のあやと樹の猥談のようだ。
仕方ないとは思う。
そういった話が楽しい年頃だし、何より相手が樹となると興味も倍増するのだろう。
けど、バレてないとは言え当事者としてはかなりキツい。
続きって事は、俺が来る前からそんな話題で盛り上がっていたのか……。
揶揄するような言葉に、樹は笑いながら返した。
「でも昨日はあやからせがんで来たしね」
どんどん体温が高くなって行く。
言い訳をするつもりはないけれど、昨日の自分の言動を酷く後悔した。そんな俺を樹は横目に見ていて。
……絶対、楽しんでる。
「おにーちゃん、どーしたの?」
唐突に掛けられた言葉に頭が追いつかず、二呼吸分間を空けてから顔を向ける。樹の斜め左側、俺の席に一番近い位置に居た菊地が俺を見下ろしていた。
「顔赤いよー、風邪ひーた?」
「へ……あっ」
慌てて頬を手で覆うと、菊地の言葉を裏付けるように触れた肌は熱かった。
戸惑う俺に、菊地は嫌味な笑みを浮かべた。
「もしかして〜、樹の話はおにーちゃんに刺激が強すぎちゃった?」
「ちがっ、……そんなんじゃない」
「じゃあどーして顔赤いのー?」
「……そ、……れは」
菊地の問いに口ごもる。
あやは俺だからです、なんて言える訳もなく。返す言葉が見付からなくて俯いてれば、少し控え目になった菊地の声が聞こえてきた。
「……まさかホントに風邪だったりする?」
からかいの色が消えた声に視線を戻せば、熱を計る為だろう、菊地の手が俺の方に伸びてきた。
後ろめたさから、俺は反射的に目を瞑り身構える。
けれど、その手が俺に触れる事はなかった。
「あまりいじめるな」
視界を開けば、菊地の腕を樹が掴み制している所。樹の顔は先程までの笑みが消え不機嫌に歪んでいる。
さっきまで『いじめ』と言っても過言じゃない事を自分がしてたのに、他人がやるのは駄目なのか。
……その身勝手な線引きが樹らしいのだけれど。
樹の言葉に、菊地は眉をハの字に下げた。
「いじめるなんて、人聞き悪いな〜。おにーちゃんの様子がおかしーから、心配してただけじゃん」
「そんな必要はない」
菊地の気遣いを樹は冷淡に一蹴する。
必要ない、はないんじゃないだろうか。
「でもさー、もし具合悪かったりしたら……」
「必要ないって言ってるだろ」
苛々しているのか、樹の声音は低く荒立ち始めていた。
「樹、そんな言い方しなくても……」
取りなそうと口を挟めば樹に睨むように一瞥され、俺は残る言葉を飲み込んだ。
「そうだよー、樹ってば薄情者ー」
「……なに?」
「だってさー、おにーちゃんの事心配じゃ……」
「兄貴はあやを知ってるだけだ」
「……は?」
話を遮り言った樹の言葉に、少し遅れて菊地は間の抜けた声を漏らした。その声が妙に響いて聞こえたのは、教室内が静まり返っていたからだろう。
急な事態の変化に呆気にとられてる俺に、菊地の横に居た男子生徒が恐る恐ると言った面持ちで話し掛けてきた。
「お兄ちゃん、……樹の彼女知ってるの?」
殆ど放心状態だった俺は、声に対する反射運動で樹から男子生徒へと視線を移した。視野が開けてそこで気付く。先程まで樹に集結していた教室内の視線が俺に移っている事に。
「もしかしてお兄ちゃん、…あやちゃんに会ったのか?!」
男子生徒が身を乗り出し聞いてくる。その行動を皮切りに、樹を取り囲んでいた菊地以外の生徒も俺に詰め寄って来た。
「どこで会ったの? 学校?」
「何年? クラスは?」
「あ! ひょっとして家? 家でしょ!」
「そうか、だからお兄ちゃんの顔赤いのか!」
「えっ……え?」
目まぐるしく浴びせられる質問は、俺を置き去り内容を進展させる。困惑しているのもあるが、家で会ったのと俺の顔が赤くなる関連がわからず俺は言葉を返せずにいた。
一人の男子生徒が厭らしい笑みを浮かべ言う。
「最中の声、聞いちゃったんでしょ?」
意味を理解して、混乱に冷めた頭が再び熱を上げた。聞いたと言うより、どうしたって聞こえてしまう自分の声が脳裏に蘇ったんだ。
「あ……あああ、あの……俺……」
「やっぱりそうなんだ!」
身体中が沸騰したように熱い。頬を紅潮させどもる俺の反応に、推測は勝手に事実と断定され教室内は色めきたつ。
「樹ー、もう少し場所考えろよ、お兄ちゃんにはまだ刺激強すぎるだろ」
「最良の場所だと思うけど」
茶化しながら助言する男子生徒に、樹は事も無げに答えた。他人にバレる危険性の低さで言えば、確かに家は最良の場所に思えた。俺を囲む男子生徒達も定番か、と納得して再び彼女の話題に切り替わった。
「それで? あやちゃんどんな子だった?」
「可愛かった? 誰に似てる?」
期待の眼差しと共に聞かれた。
「……ぇ……と、」
クラスメイト達は固唾を飲み、俺の答えを待つように教室内が静寂に包まれる。
(どんな子も何も、俺の事なんだけど……)
横目に様子を伺えば、樹は頬杖をつき俺の出方を見据えているようだった。
意を決して俺は言った。
「……可愛い、かどうかは……わからない」
下手な事は言えない。否定してしまえば樹の怒りに触れかねないから。
「……けど」
「けど?」
「……もっと合う子が……いると思う……」
卑下はしてない。卑屈にもなってない。
可能性として、素直にそう思う。
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