For one week | ナノ


 
 パンを平らげコーヒーを飲み干して、再び時計を見た。七時二十二分。食べるのに随分時間を費していた。いつもの食事速度はそんなに遅くない筈なのに。
 嘲笑が漏れる。
 どんなに意志を強固にしたつもりでも、それが本音なんだな。

 学校は行く。
 けれど少しでも、出来るならほんの少しでも教室に居る時間を減らしたい。

(……ホームルーム終わった辺りに行こうかな)

 妙案に思えた。
 そうすれば少しは教室に居る時間を減せる。授業以外の時間は特に知らしめられるだろうから。すぐるの存在を。学校での自由な時間は全てすぐると共に過していたから。これからその存在を失った現実を痛感させられる。

 俺はその負荷に耐えられるだろうか。

「……考えても仕方ないか」

 選択肢なんてない、耐えなきゃいけないんだ。
 幸い俺の高校は遅刻に対する厳罰制度がないから、遅刻しても担任からのお咎め程度で済むだろうし。

(うん、そうしよう)

 甘えだとしても、せめて今日だけ。
 これから先の学校生活を見越せば、大目に見てくれますよね?

 俺は雲の上でのんびり寝転んでいるだろうカミサマに、そう問い掛ける。いつもは信じていない存在にすら今は縋りたい気分だったんだ。

「取り敢えず、片付けて支度するか」

 空いた食器を持って席を立つ。キッチンに向かい一歩二歩と進み、はたりと湧いた疑問に三歩目を止めた。

(そう言えば、樹の用事って何だろう)

 日直……だっただろうか。
 でも日直なんて大した雑務はない。七時前に家を出るならそれ以外の余程の事に思えるが……皆目見当もつかない。

「……」

 考えを振り払うように四歩目を踏み出した。考えてもきっと答えには行き着かないだろうし、何より今は他に考えなきゃならない事がある。





 校門に差し掛かった所で、校舎の壁面に埋込まれる形に設置された大時計を見上げた。一限目が始まる七分前。教室のある二階に辿り着く頃は二分消費してるだろうか。

「……ほぼ予定通り、」

 家から学校までの移動時間を計算し、ギリギリまで朝のワイドショーを見て時間を潰した甲斐がある。お陰で一分単位で時間を潰すのが、焦れったいものなのだと初めて知った。

(……いや、違うか)

 沸き上がった焦燥感は、時間を潰す自分にだろう。



 
 数える程度の遅刻組が登校する外と違い、校舎の中は一限目までの残り時間を思い思いに過す騒がしさに包まれていた。
 俺の存在すら覆隠す自分勝手な喧騒が調度いい。 
 二階に続く階段を上り終えると、二年A組がある。俺のクラスはD組。廊下の突き当たり、一番奥だ。

「あ、こら速水!」
「──ッぃた!」

 B組を通り掛かった所で声がかかり、頭に衝撃が走る。横に視線を移せば、B組の入口に担任の嘉山小華先生が佇んでいた。
 二十代の若年教師ながら教職に対して熱心で、薄い化粧でも様になる柔らかな印象を与える目鼻立ちに、肩までの長さの髪の清楚な容貌と対照的なサバサバした性格と歳の近さから『ハナちゃん』という愛称で親しまれていた。
 今はどこかのアイドルの追っかけをしてるようで、先日もコンサートに行って来たのだと二・三日興奮気味に喋っていた。

「ハナちゃん、……暴力反対」
「暴力じゃないわ、愛ある制裁よ」

 ハナちゃんは手に持つA4サイズのバインダーを誇らしげに振る。衝撃の正体はこれのようだ。

「遅刻者がなにのうのうと歩いてるの……と言いたい所だけど、最近体調崩してるんだって?」
「……え、」

 大丈夫? とハナちゃんは俺の身体を心配してくる。少し動揺したが、……この展開は覚えがある。

「もしかして、樹に聞いた?」

 ハナちゃんは頷く。
 
「兄想いの弟を持って羨ましいわ。男前だし」

 樹の顔でも思い浮かべているのだろう。最後を強調しながらうっとり話すハナちゃんの姿に苦笑いが漏れる。ハナちゃんは校内でも有名なほどの面食いで、樹が大のお気に入りだった。

「あ、ほらほら授業遅れるから早く教室行きなさい、遅刻は大目にみるから。次は化学よ」

 我に返ったハナちゃんは焦ったように口早に言う。化学の先生は時間に煩いからだ。

「うん、ありがと」

 ハナちゃんの促しに笑顔で手を振り、俺は教室へと足を進ませる。
 ショルダーバッグから携帯を取り出し時間を確認すれば、授業が始まる三分前。俺は歩調を速め、人が疎らになり始めた廊下を進む。
 目的地のD組教室はもう目の前。
 前の戸口は七歩ほどの距離まで縮まった時、教室と対面に設置されているトイレから、二人組の男子生徒が出て来た所と鉢合わせになって。

 無意識に視線が移れば、足が動かなくなる。

「……あ……」

 自分の運の悪さを恨みたくなった。やはり信仰心の欠片もない俺に、神様は慈悲をかけてはくれないのだろうか。

 出て来た二人組の一人は、すぐるだった。

 

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