1
シングルベッドは一人用の寝具だ。
今まで一人で寝てる時に狭いと思ったり、広過ぎると思った事はなかった。
一人で快適に寝るのに十分に、それでいて無駄のない最小で最適な幅をベッドメーカーの人達が考察したうえの面積なのかもしれない。
そんな一人用の所に二人で眠れば狭いに決まってる。男だったら尚更だ。
なのに何故だろう。本来の広さに違和感があった。
朝起きたら、隣に居るはずの樹が居なくなっていた。
寝起きで朦朧としいるせいか、一瞬自分のベッドと錯覚しかけた。けれど、ぐるりと囲む自分の部屋と異なる、黒系と白系でシックに統一された基調が否定する。
間違いなく樹の部屋で、樹のベッドだ。
「……いつき……?」
どこに行ったのだろう。
呼ぶ声に返答はなく、気配も感じない。
トイレにでも行ったのだろうか? などと考えを巡らせながらふらふらと部屋の中を彷徨わせていた視線は、一つの物に引きつけられた。
樹が制服を掛けるのに使っているハンガー。そこに掛ってるはずの樹の制服が無くなっている。
学校に行くには早すぎる。
時計の短針は七より少し前、長針は十一を指していた。
「ぅ゛ッ……たぁ……」
ベッドから出ようと身体を動かせば、下半身に鈍痛が走った。最近頻繁に味わってる痛みだけど、慣れる事は出来そうもない。痛いものは痛い。
けど今日だけは、痛みに頬が紅潮してしまう。痛みに、と言うより痛みの原因に。
昨日俺は、自ら樹を求めてしまった。
求めて、好きだと、言った。
悲しみに押し潰されそうで、辛くて、気休めでも忘れさせて欲しかった。
樹を好きになれば、全ての苦しみから解放されると思った。
好きだと繰り返せば、現実になるような気がしたのだけど。
(はっずかし……)
思い返せば、なんて醜態晒してしまったのだろうと後悔の一念。
それで何が変るでもないが、羞恥心から逃れるように膝に顔を埋めた。
……消えてしまいたい。
だけど、樹はそんな俺に応えてくれた。俺を気遣い、俺の意志を尊重しながら。
例えそれが樹の望んでた事だからと言えど、あの時の俺には温くて、救いだった。
「…」
久しぶりに見た樹の嬉しそうな笑顔が脳裏に蘇る。胸が高鳴った。
発した言葉は現実にはならなかったけど、芽生えた変化が確かにあった。
痛む下半身に極力負担をかけないようにベッドから抜けて、俺は樹の部屋を後にした。
ドアを開いて左に数歩進めば、一階に続く階段がある。その前で足を止め、俺は微かに眉を寄せた。
変哲もない階段は、二日続けて樹に抱かれた身体には大きな障害だった。
「……よし、」
躊躇う気持ちを深呼吸して和らげる。それから肘の高さに位置する右側の手摺に両手を添えて、意気込み、そろり足を踏み出した。
一段一段確めるようにゆっくり降りる。それでも半身に走る痛みは、唇を真一文字に結び堪えた。
残り一段。
足が着くのと同時、リビングのドアがガチャリと音を立てた。
俺が降りてくるのを見計らったようなタイミングで聞えたその音に、弾かれるように床に落していた視線を向ける。そこに居たのは、黒のスーツをキッチリと身に纏う母さんだった。
俺は無意識に強張らせていた肩の力を抜いた。
「綾斗、……どうしたの?」
変な格好。と手摺で身体を支えた俺の体勢を、母さんは訝しげな視線で見る。俺は慌てて手摺から手を放し、何でもないと笑顔を向けた。
「おはよう、母さん」
「おはよ」
挨拶を返してくれた母さんの目は柔らかな物に変り、訝しさの色はなくなっていた。
◇
「母さん、……樹は?」
その問いを口にしたのは、顔を洗ってから朝食の出されたダイニングテーブルに着いた時。
少し見回ったが、やはり家の中に樹はいなかった。
目の前に並べられた狐色に焼かれたトーストと、ホットコーヒーという相変わらずシンプルな朝食が俺の分しか用意されていなかったから、母さんなら樹の行方がわかると確信を持った。
その判断は正しかったようで、通勤用のショルダーバッグの中身を確認しながら母さんが言う。
「学校に行ったわよ。用事がある、て」
母さんは動かす手を止めず、視線もバッグの中に向けたまま口早に言う。
「樹から聞いてないの?」
「……うん」
俺はトーストにマーガリンを塗りながら頷く。母さんは手を休め視線を俺に向けた。
「一緒の部屋で寝てたのに?」
不思議そうに首を傾げる母さんの言葉に、俺はバターナイフを手から落してしまった。テーブルとぶつかる渇いた音が響く。
「……な……な、」
動揺で言葉が吃り唇が震える。
赤くなればいいのか青くなればいいのか。
頭の中は高揚したお祭りのように、正常さが失われていた。
母さんに俺達の関係がバレてるのか……?
prev / next