For one week | ナノ


 

 肌に感じる風の冷たさに身震いが起きて、我に返った。途端に耳に鳴り出す日曜の喧騒。
 見える景色にすぐるの姿はなくて、涙は止まっていた。
 どれくらい突立っていたのか。
 頬に残る涙の跡は微かに濡れていたから、大して時間は経っていないのかもしれない。

「……戻らないと……」

 目元を拭って、家の中に入った。
 ふらふらと足元が覚束ない。それを無理矢理進ませ階段を登る。泣いたせいか頭が小さく痛み、歩く振動が痛みに拍車をかける。全身が怠くて、本当は何もせずに伏していたかったのだけど。

 頭を占める樹の言葉。

『早く、帰っておいで』

 柔らかく穏やかな調子ではあったけど、あれは命令だ。



 部屋の前に辿り着いて、間を置かずドアを開いた。小さな音を立て開いた部屋の中で、樹はベッド脇に位置する窓の縁に腰を凭れさせ外を眺めていた。

「遅かったね」

 樹は体勢を変える事なく、外に向けて居た視線だけ俺に寄越す。少し機嫌が悪そうだ。
 それは遅かったからなのか、すぐると会ったせいなのかはわからないけど。

「……ごめん……」

 俺は小さく謝った。

 何だか今日は謝ってばかりだ。

「おいで」

 言葉と共に向けられた樹の手招き。拒む気も起きず、導かれるまま入り口の所で止めていた足を、樹と小幅分距離を残した位置まで進ませた。

「泣いた?」

 顔に伸びてきた樹の指が、涙を辿るように頬をなぞる。
 拭いはしたけど今し方の事だ。泣いた形跡が残っているのかもしれない。
 隠す必要性も見付からないから、俺は小さく頷いた。

「それはあいつの為?」
「……ぇ」
「気に入らない」

 吐き捨てるような不満。
 それは俺の感情まで支配したいと及ぶ独占欲の表れだろうか。

「……別れに、涙は付き物だろ」

 言い訳と宥めのつもりでそう言った。

「へぇ、別れたんだ」

 だけど意外、というニュアンスで言われた樹の返答に呆気にとられる。

「……なに、言ってんだ……」
「何が」
「だ、て……樹が、言ったんだろ? 終りにしろって……」

 だから俺は、すぐるに別れを告げたんだ。
 それなのに、なんで。

 なんでそんな関係ない顔するんだ。

「言ってないよ」
「は……」
「俺は喋るのを最後にしろって言ったんだよ」
「……なに……いって」

 ぐらぐらする。
 この感じは凄く嫌だ。

 小さかった頭の痛みが強さを増した。
  
「俺は別れろとは言ってないよ」

 樹の言い方はまるで、俺が勝手に自分の意思でした事だと言外してるようだった。

「けど……だっ、て……」

 別れを告げる以外、どんな手段があったと言うんだ?
 他に樹が納得する方法なんてあったのか?
 俺が早とちりしていたのか?


 ……俺が、間違っていたのか?


 ごめんな。と謝罪を口にした最後まで、すぐるは笑っていた。
 けれど、嫌いになったかと聞いた時、一瞬だけど、悲しみに顔が歪んでいた。

 本当はもっと沢山、俺の言葉に心を痛めていたのだろう。

「……俺、の……ことば……」

 そうだ。
 例え反抗出来なくて、それが樹の誘導によるものでも、すぐるに別れを告げたのは俺だ。
 俺が考えて、口にした。

 俺が、すぐるを傷付けたんだ。

「……ぁ……、……そんな……」

 やっぱり謝るのは俺の方だよ。
 届かなくても、伝えれなくても。

「……ごめ……ごめ……ん」

 それでも謝りたい。

 だけどすぐるはもう居ない。謝るどころか、話す事も許されない。
 膨れる悲しみに止まった涙が再び溢れた。
 悲しみを溶かして涙になるなんて洒落た歌詞があるけど、ならどうして胸を締め付ける悲しみは少しも癒えないのだろう。

 膨れる感情に胸が張り裂けそうだ。

「ひっく……、ぅ……ぁ──」

 悲しみを消化出来ないでいたら、腕を無遠慮に引かれた。引かれる力に身を委ねれば、覆い被さる形に樹の上に倒れ込む。
 樹はその俺の身体を抱き締めた。

「あや」

 片手で俺の髪を梳くみたいに撫でながら、耳元で柔らかく俺を呼ぶ。

「あいつの事は忘れて」
「……ぇ」
「あやが悲しんでるのはあいつのせいだろ?」

 違う、すぐるのせいじゃない。俺がすぐるを傷付けてしまった事が悲しいんだ。
 その意思を主張したくて、樹の首元に埋まる頭を小さく横に振った。

「でも今あいつの存在はあやを苦しませてる」
「ッ……」

 認めたくないけれど、樹の言ってる事は事実だった。罪悪感だろう。今はすぐるの事を考えるのが苦しい。

「あやを悲しませるだけの存在なら忘れてしまって」
「…」
「あいつより俺の事を考えて」

 樹の抱き締める力が強くなる。

「俺だけを見て、俺の事だけ考えて。俺があいつを忘れさせてあげる」
「……」
「悲しさは俺が埋めるから」

 わかってる。そんなのまやかしだって。

「俺がずっと側に居る」

 それでも辛くて。……苦しくて。
 まやかしや気休めでも樹の言葉は優しく響き、ささくれた心に浸透して行ったんだ。

 だから俺は頷き、縋るように樹の背中に腕を回した。
 
「いい子だね」

 小さく含む笑い声と共に、髪に唇を落とされる。そのまま樹は髪を流れるように下へ移動して。

「それじゃ服、自分で脱げるよね?」

 耳元で囁いた。

 俺はゆっくり息を吐いて呼吸を整える。それから樹の胸元に手を置き、力を加え身体を離してから、小さく頷いた。

「本当、いい子」

 目を細め俺の頬をひと撫ですると、樹は視線だけを向ける。……待って、いるのだろう。俺はのろのろとシャツのボタンに手を掛けた。

 頭の中は冷やしたみたいに落ち着いていた。
 この行動の先に行われるのは、泣きながら嫌だと拒んだ行為だと言うのはわかってる。

 それでももう、どうでも良かった。





 ギシギシとスプリングの音を軋ませるベッドは、俺の心みたいだと思った。
 晴れぬ苦しみを嘆いているのか。それとも、気休めの充足感に歓喜しているのか。
 どちらとも言えぬ悲鳴をあげている。

「ん、ぅ……うぁっ……あ!」

 入り込む樹の熱と質量を感じ、爪先から頭の天辺まで駆け巡る快楽に没頭した。
 この行為は何度目だろう。
 ここ数日だけで、両手で足りない程に繰り返された。

「いい声……あやの声、凄く好き」
「っ〜、」

 幾ら回数を重ねても、情事中に囁かれる言葉に馴れる事は出来そうもない。俺は恥ずかしさを紛らわせるため、樹の首に腕を回し引寄せて肩口に顔を埋めた。

「あや、俺を……、呼んで」

 求められた望みに素直に応じる。そしたら頬に軽くキスを落された。

「好き、て……言って」

 唇を離して、切羽詰まったような声音の要求。

「……す、き……すき、──あ! ……すきっ」

 それにも抵抗なく応じた。

 喋る言葉は言わされているのか。
 音にしてしまえば意志を持ち、まるで自ら言ってるような錯覚を覚える。

 それならば、その方がいい。

「んあっ、……あ、ぁああ!」
「、ッ!」

 奥を抉るような激しい突き上げの後、樹はイッたみたいだ。律動がピタリと止んだ。
 中に注がれた樹の熱を感じながら、俺は乱れた息を整える為に浅い呼吸を繰り返した。耳元で聞える樹の息も上がっている。

 樹は首に絡まる俺の腕を外してベッドに預けると、中に埋めた自身を引き抜こうと腰を引く。

「っ、いつき……待て……」

 その行動を、樹の首に腕を絡めて制止した。
 
「……あや?」

「……も、……かぃ」

 首元に埋めた顔を擡げて言えば、樹にしては珍しくでも、と戸惑いを見せる。

「身体キツいんじゃないのか?」

 ……やっぱりわからない。時折見せる今更な気遣い。
 俺は再び顔を埋めた。

「うめて……くれるんだろ?」

 樹は何か考えを巡らせてるのか。数秒の沈黙の後にああ、と聞こえ、中に収まっていた樹の物が活動を再開した。

 逃げられないなら、いっそこの愛に溺れてしまおうと思った。
 例えそれが背徳な結論でも、否定してしまえば立ち直れないから。

「……いつっ……き」

 突き上げに乱される呼吸を繋いで名を呼んだ。樹は動きを止めず視線を俺に寄越す。俺はその目を見詰め言った。

「す、……き……」

 今度は自らの意思を持って。樹は呆気にとられたように動きを停止させる。だけど一瞬。すぐに目を細めた柔らかな笑みを浮かべると、唇を重ねてきた。

 ああ。何時ぶりだろう、樹のこんな表情を見るのは。
 懐かしさに胸が擽られる。

「ん……、んぅ!」

 入込む舌に自分の舌を絡ませながら記憶を辿ろうとするが、突き上げに思考が遮られ叶わない。

「俺もすきだよ……だいすき」

 それでも耳元で囁かれる言葉は、少しこそばゆい物に変っていた。




Fourth day end
 

 


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