6
「条件がある」
樹が言った。
その先を聞くべきじゃないと直感が知らせる。
だけど聞くしか道はない。
「……な、に」
言葉の先を促せば、樹は自分の身体に絡まる俺の腕に再び手を重ねる。腕を放せ、という事だろう。
樹を引止める必要はもう無い。俺は絡めていた腕を放し、崩れたシャツを直しながら樹から一歩後退さる。
「行ってもいいよ」
樹は背を向けていた向きを百八十度変えて、俺と向い合うと同時に言った。けれど、それは俺の求めた答えじゃない。
「樹、」
先を急かすために名を呼ぶ。樹は微かに笑みを浮かべた。
「ただし今回限り」
「ぇ……」
「これを最後にする事」
「……」
ああ嫌だ。
何でこんな時ばかり、樹の言いたい事がわかってしまうのだろう。
「あいつに言う事あるよね?」
樹の問いに、頷いた。
「──で、無差別に襲ってるように見えて共通点が……」
「すぐる」
話を遮り呼べば、なに? とすぐるは小さく首を傾げた。話を中断させられたのに、嫌な顔一つせず、いつもと変わらぬ笑みで。
何度この笑顔に救われたのだろう。沢山の励ましと、笑顔を貰った。
だからはなむけに。
「どした?」
「……俺、達」
「ん?」
「友達でいるの、やめよう」
せめて、笑顔で告げた。
俺達の間を通り抜ける春風のおとが耳に触る。
沈黙が流れていた。
日曜の朝特有の控え目な喧騒を遮断するほど、纏う空気は重苦しい物に変化していたんだ。
「友達、やめる?」
沈黙を破ったのはすぐる。
「やめて、それ以上の関係になろうって?」
いつもの茶化した調子で聞いてくる。俺は首を振り、その言葉に否定を示した。
「……それ以下、だよ」
握る拳に一層力を込めた。今手を開いたら、掌に爪の形がくっきり刻まれているかもしれない。
「友達になる、知り合う前の関係に戻ろう。……名前すらわからない、他人だった頃に」
冗談じゃないと察したのか、すぐるの笑顔は少し困ったように変わる。
「俺の事、嫌いになっちゃった?」
「ッ、」
ズキリと胸の疼きが増した。
まるで咎めのように、俺の心を酷く痛めつける。理由はわかってる。そんな事あるわけないんだ。
だけど俺は、そうだよと疼きを笑顔で追いやった。俺の返答にすぐるはそっか、と呟き空を仰いだ。
「それは、綾斗が考えて出した答えなんだよね?」
「……そ、だよ」
小さく頷く。すぐるは上に向けていた視線をゆっくり戻して言った。
「じゃあなんで、そんな泣きそうなんだ」
「……ぇ」
すぐるの言葉に沸き上がる戸惑いと焦慮。
「……泣きそうになんか……」
「してないつもりでしょ?」
「……つもり、……て」
「綾斗はこんな話を笑顔でするヤツじゃないよ」
「ッ、」
明かされた種は、酷く間の抜けたもので。
嘘が下手なんだからとすぐるに笑われ、胸元がきゅぅって締め付けられる。
懸命に作り上げた何かが急速に壊れていった。
「〜っ……ごめ、……ん」
謝罪を口にすれば目頭が熱くなり、堰を切ったように視界を暈す物が頬を伝う。
胸の疼きは、より強さを増していた。
これで終りになんてしたくない。
「でも、……っ……むりな、んだ……」
樹が許さない。
逆らう事も逃げる事も、どうする事も俺には出来ない。
自分の無力さが悔しかった。
「ごめん……っごめ、ん……ごめっ」
後戻りも取繕う事も出来なくて、俺はただ馬鹿みたいに嗚咽混じりの謝罪を繰返した。
「泣かないで」
柔らかな言葉と共に伸びてきた手が、俺の目尻を柔らかく拭った。
「わかったから」
伏せ気味の顔を上げすぐるを見る。
「泣かせちゃう位、嫌いなんだよね」
「っ」
違うのに、そうじゃないのに。
否定も出来なくて、もどかしさに一層涙が溢れた。すぐるは困ったように笑う。
困らせたくなんてないのに。
「俺はね、楽しかったよ」
静かに喋り始めたすぐるは、どこか遠くを儚むよう。
「ふっつーに平凡な日常だったけど、毎日が充実してたと思える」
それでも愛おしむように。
「それは綾斗がいたからだって、言える」
少しはにかんだ笑顔を浮かべた。
でも気付いてしまったのは、話の中の俺達の繋がりが、過去の物になっている事。
「だからもし、答えに迷う事があるのなら、いつでも繋げに来てよ」
「……ぇ」
「ここで、俺らの友達関係は、終りね」
告げられた決定的な終止符。
切り出したのは俺の筈なのに、すぐるの言葉は鋭利な刃物となって俺の心臓を抉る。その痛みに涙が壊れたみたいに溢れた。俺は隠すように俯く。
自分の卑しさに吐き気がした。
「それじゃ、……バイバイ」
「〜ッ、」
「それと」
ごめんな。
「……ぇ……」
顔を上げた時、すぐるは踵を返し背を向ける所。微かに見えた残像は笑っていたように思う。
謝りの言葉は、何に対してなのか。すぐるが謝る理由なんて見付からない。悪いのは全部俺なのに。
遠ざかるすぐるの背中に疑問を投げ掛ける。答えは返って来ない。
俺は歪む視界で、後ろ姿を見つめていた。
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