For one week | ナノ


 
 樹は起きてたんだ、俺が起きるよりも前に。それで寝てるふりしてたのか。

「けど、なんで寝てるふりなんか……」

 俺の疑問に樹は笑みを浮かべた。

「待ってたんだよ。あやからの目覚めのキスを」

 親指の腹で輪郭を描くように、樹は俺の唇を柔らかくなぞる。
 樹じゃあるまいし、そんなことする訳ないのに……。
 と、そこまで思って気付いた。
 樹は、樹が俺を想う気持ちくらい好きになれって言った。樹ならするのだろうその行為。

 しなきゃ、いけなかったんだな。

「ごめん……、忘れてた」

 顔色を伺いながら言えば、樹は目を細めた。

「二度は許さないよ」
「っ……」

 笑みを崩すことなく、表情とは相容れない言葉。
 そのアンバランスさが恐ろしかった。

「……ごめん」

 もう一度謝れば、樹の顔が近付いてきて唇を重ねられる。それは軽く触れるだけ。樹はすぐに離れると、俺に背を向け歩き出した。目線だけで樹を追う。

 樹の向かう先は入口。開け放たれたドアに触れられる距離まで近付くと、樹は手を伸ばし軽くドアを押した。
 加えられた力を緩やかに消化しながら、バタンと音をたててドアが閉まる。

「これで満足?」

 樹は振り返って笑みを浮かべた。それは俺が、せめてと望んだ願い。
 その問いが何を意味してるのか。
 作り出された密室が導き出す答えに、俺は視線を足元に落としながらありがとう、と道義上の礼を言う。落とした視界に、肌に付けられた痕が映った。

 昨日これだけの数を付けれるだけしたのに、樹はまだする気なのか……。

 あんな一方的な行為を。

「……いつき、……俺、……身体いたい、んだ」

 反応が怖くて声が震える。拳を握りなけなしの勇気を振絞って、遠回しにしたくない意思を伝えた。

「だから?」
「っ、」
「何が言いたい?」

 聞えた樹の声は冷たく威圧的で、明らかに怒りを含んでいた。
 きっと、俺の真意を知っての怒りだろう。
 心臓がぎゅうっと締め付けられて、早鐘のようにドクドク脈打つ。怖くて樹の顔が見れない。

 窒息してしまったみたいに、俺は言葉を返す事が出来なかった。
 
「俺、あやの望みを聞き入れたよね」

 そう言って樹は指の関節部分でコン、とドアを軽く小突く。

「ならあやも譲歩すべきじゃない?」

 じゃなきゃフェアじゃない。そう雄弁に喋る樹の言葉に、言い返す度胸も論破出来る程の話術も俺にはなくて。
 折れた、と言うより折れざる得なかった。

「……えっ……ちは、……する」

 ほんとはしたくない。だけど拒む事は出来ないし、逃れる術も残ってないから。

「けど、……回数っ……少なくしてほしい」

 俺なりの精一杯の譲歩だった。
 それでもその願いが樹の許容範囲内なのか不安で、足元に落とした揺らぐ視線を樹に戻せなかった。
 樹は今どんな表情をしているのだろう。返答も反応も示さない。

 沈黙が息苦しくて、一秒一秒過ぎる時間が押し潰しそうな圧迫感に変わって行く。
 それを破ったのは樹。

「回数減らせばいいんだね」

 穏やかな声だった。
 驚いて、聞き間違いかと顔をあげれば、いいよと続けられる。

「……ぇ、……ぁ?」

 あまりにもあっさり受け入れられて、驚いたのと拍子抜けしたのとで、上手く理解する事が出来ない。
 ほんとに? と聞けば、本当じゃない方が良いの? と返され、俺は慌てて横に首を振った。

 ……気紛れなのだろうか。

 そう解釈しようとしたのだけど。

「回数減らせば良いだけだよね」

 したり顔で言う樹の言葉が引掛かった。嫌な予感が頭を過る。
 樹は佇んでいた扉の傍らから、緩やかな歩調で俺の方に移動を始める。反射的に後退ろうとしても、後ろの鏡に阻まれもたついてる間に樹は目の前に辿り着いていた。
 見上げれば、笑みを浮かべ俺の頬をやんわりと撫でる。

「一回の時間が長くなるのは、構わないんだよね?」
「──!」

 盲点を突かれた。それじゃ何も変わらない。

「待って、違うんだ……!」

 慌てて弁明しようとすれば、樹の顔から笑みが消えて。

「何が違うの?」

 低い声で疑問を向けてくる。

「ッ……だ、から……俺が言いたいのは」

 俺の声は震えてて、さっきより随分小さい。足も微かだけど震えている。まるで骨の髄まで染みてしまったみたいだ。
 樹の変化に、全身が反応を始めた。
 それでも、引き下がれない。だから言葉を続けようとした時。


 この場には不釣合い過ぎる、軽快な音楽が部屋に響いた。



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