For one week | ナノ


 
 ギシリとスプリングを鳴らし、樹がベッドに上がってくる。
 逃げなきゃ。
 反射的に思いすぐ様行動に移そうとしたけど、投げられた衝撃が微かに残る体は鈍く、たやすく樹に腕を捕えられてしまう。

「! 樹、放──ッぅあ゛!」

 手を振り解こうと抵抗すれば、腕を掴む力が一層強くなった。ギシギシと骨を軋ませるほどの握力が掛かり、折られるんじゃないかという恐怖を覚える力に、冷汗が頬を伝った。
 掴む力を緩めず樹が言った。

「放せばまた、俺じゃない奴の所へ行くの」
「ぅ゛っ……な、……に?」

 痛みに顔を歪ませる俺に、樹は距離を縮めて来ると。

「昨日何人とシた?」

 耳元で囁いた。
 言葉の意味を理解出来ず、俺は樹に疑問の目を向けた。

「なに……言って……」
「それとも一人? 一人とヤッてこんなに帰りが遅くなったの?」
「ちょ、……待ってくれ……」

 何か誤解されてる。

「樹、俺は樹が考えてるような事はしてな──」

 話してる最中に視界が転じた。直後に背中に柔らかな衝撃が走る。目の前には樹が居る。それは変わらない。だけど、樹の背後の風景が先程までと違っていた。
 樹の後ろには毎朝見るモノクロのポスター。

 俺は樹に押し倒されていた。

 樹は薄い笑顔の中で冷やかに俺を見下ろしながら、低い声音で言った。

「言い訳は聞く気ないよ」

 その姿は内に轟く怒りを顕在させているようで、誘発される恐怖に身体が震え出す。
 だけど今は引く訳にはいかない。
 話をするために帰って来たんだから。

「違うっ、言い訳じゃないんだ! 頼む、話し聞い──ん゛んっ」

 懸命に訴えるが、口を樹の手で塞がれ強制的に遮られた。
 樹の笑みがロウソクの炎を吹き消したように一瞬で消える。

「聞えなかった? 言い訳は聞かないって」

 変わらない冷やかな目は、言葉に迫力を宿した。

「震えてる」

 俺の口を塞いだまま、樹はもう片方の手を俺の手と絡ませ口元に引き寄せる。そして寄せた俺の手の甲に軽く唇を這わせながら、視線を俺に戻した。

「怖い? 俺が」

 口を塞がれているから、答える事は出来ない。多分、塞がれてなくても俺は答えられないだろう。
 言葉に代わるよう、体の震えが一層増した。それは絡められた手から樹にも伝わっただろう。
 樹が口元だけの薄い笑みを浮かべた。その笑顔に悪寒が走る。

 樹を心底怖いと感じた。
 
 どうして樹はこんな風になってしまったのだろう。前は本当に仲が良くて、何でも話し合えた。だけど今は俺の言葉に耳を傾けてもくれない。
 微かに開いた指の隙間から、俺は震える声で疑問を向けた。

「……なんで、樹……変わっちゃったんだ?」

 樹は浮かべていた笑みを再び消して言った。

「先に変わったのはあやだよ」

 返ってきた言葉は、疑問を一層募らせる。
 先に変わったのは、……俺?

 意味がわからず混乱してる俺をよそに、樹は続けた。

「泣いても許さない」

 言われて初めて自分が泣いているのを知った。恐怖と悲しみが溢れたのだろう。

「──はっ……んぅ!」

 口を塞いでいた樹の手が離れ、すぐに樹の唇に塞がれる。

「んっ……ゃは! ……んんーっ」

 樹の舌が口内に侵入して、中を激しく掻き混ぜる。その激しは芽生えた恐怖を増幅させるのに十分だった。
 再び腕を捕えられ、体の上に樹が覆い被さっている今の状況では、逃げたくても逃げられない。

「やだ、……んん! たすっ……んぁ!」

 自力ではどうしようも出来ないから、助けを求めた。冷静に考えれば、それは無駄な事だとわかるのだけど。

 求めずにはいられなかった。
 誰でもいい、誰が助けて……。


 誰か……!


「っ、……すぐるっ……!」

 樹の動きがピタリと止まった。それからゆっくり、俺と距離を取って体を起こす。

 すぐるの名前が出たのに意味はなかった。さっき迄近くに居たせいだろうか。ただ顔が浮かんで、言葉に出た。
 それだけなのだけど。

「……また、名屋?」
「っ、」

 それがまずい事だと気付いた時は遅かった。

「あ──」

 樹の大きな手が俺の頬を包み、強引に顔を引き寄せる。上半身だけ中途半端に起き上がる体勢になり、少し苦しい。だけど目と鼻の先に樹の顔があって、苦しさを気にしてる余裕はなかった。

「昨日、名屋の所に行ってた?」

 答えられなかった。どう答えて良いかわからない。
 樹はすぐるの事を良く思ってないから、正直に答えたら火に油を注ぐ結果にしかならない気がした。

「名屋に抱かれてきた?」

 だけどその質問だけには懸命に首を振った。それは否定と共に、前の質問を肯定してしまうだろうけど。
 それでも、これ以上の誤解は増やしたくなかった。


「……ねえ、あや」

 少し間を置いて、口を開いた樹の声は酷く穏やかだった。それはとても、嫌な予感を過らせる。

 樹は口端を上げた。

「名屋が居なくなれば、俺だけを見てくれる?」


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