For one week | ナノ


 
 樹の居る前戸口とは逆の、後ろの戸口から教室を出て保健室に向かおうとした。クラスメイト達が帰って来たのだろう、進行の逆方向からにぎやな声がして、つられて振り返りそうになる。

 だけどその気持ちを押さえ、俺は全力で走った。

 軋む体に鞭打つ行為すら構わない。今は何も考えたくなかった。
 思い出すと痛すぎて、離れない。――さっき見たすぐるの顔が。
 驚いた、少し悲しげなすぐるの顔が、焼き付いたみたいに頭から離れなかった。

 樹に見られてるあの時、触れられる訳にはいかないと思った。
 怖かった。
 でもそれは、すぐるを大事に思うより樹を優先させてしまったと言う事で。

 一番の友達なのに。大切にしたい親友なのに。俺はすぐるを、拒絶してしまったんだ。

 どんなに理屈を重ねても、後悔しても、それが事実だった。





 保健室に着いて最初に迎えられたのは、戸に貼られた紙に書かれて『不在』の二文字。
 その文字通り保健室には先生が居なかったから、俺は勝手にベッドで休ませて貰う事にした。

 皺一つ無い、真っ白なシーツのかけられた二台のベッド。俺は手前のベッドに潜り込み横になる。
 俺しか居ない部屋は当たり前に静かで。

 ──チ、カチ、カチ、カチ。
 
 周りをぐるりとカーテンに仕切られ、一切の視覚情報を遮断されたその場所では、時計の秒針が進むだけが大きく冴えて響いた。

『カチ、カチ、カチ、カチ、』

 頭の中に音を反芻させ響かせる。
 気を弛めると考えに飲まれて、込み上げるモノが溢れてしまいそうだったんだ。

『カチ、カチ、カチ、カチ、』

 ひたすら刻むその音だけに神経を集中させた。

『カチ、カチ、カチ、カチ、』

 今は何も考えたくない。
 全てをなかった事にしたくて、


『カチ、カチ、カチ、カチ、』


 眠ってしまいたかった。




『カチ、カチ、カ──…














 …─チ、カチ、カチ、


 作る、ではなく、聞こえる秒針が進む音。
 夢を見てるんだな、とふわふわした感覚にそう思った。
 
「綾斗」

 聞こえた声は何故だろう。とても温かく懐かしい。目を開ければ穏やかに笑うその人がいて。

「すぐる」

 名前を呼べば、にこりと微笑んだ。
 その微笑みはいつもよりも優しくて、胸の傷を癒すみたいに染みたから、俺はごめんと言った。すぐるは微笑んだまま何が? と返してくる。
 その問いに小さく首を振り何でもないと言えば、すぐるはうんと頷く。

 ああ、わかってるんだなって思う反面。
 何事もなかったのかとも思う。

 そんな都合の良さに今は浸っていたかった。

「そろそろ起きない?」

 言われた言葉に首を振る。

「起きないと帰れないよ」
「……家、帰りたく……ない」
「そっか、」

 少し沈黙の後。それなら、とすぐるは言った。

「俺ん家来る?」

 その申し出に少し考え、小さく頷いた。

「それもいいかも……」

 そう一言残し、俺は再び瞼を閉じた。











「こらこら、また寝ないの」
「──っぇ、」

 グイッ、と腕を引かれ上半身を起こされる。俺の腕を引く腕の先の人物は、さっきまで夢で見てたすぐる。
 腕に微かに生じた痛みに、今は現実なんだと理解した。

「夢から、出てきた……」

 覚めきらない頭で呟けば、まだ寝惚けてる?と笑われながら黒い何かを渡された。反射的に受け取ったそれは俺のショルダーバッグ。
 いまいち状況が呑み込めず、視線をすぐるに向け見詰めた。

「俺ん家来んだろ?」
「……ぇ?」

 …話まで夢から出てきてる。俺まだ夢見てる? 頬を軽く叩いてみれば、微かに生じた痛み。やっぱり現実なんだ。

「……今、何時?」
「三時……半過ぎかな」

 だから帰りの話が出てるんだ。てか、俺六時間近く寝てたのか…。
 まだ目覚めきらない頭でそんな事を考えていたけど。

「やっぱりやめる?」

 お泊まり。と続いたすぐるの言葉に脳が覚醒していった。

 家に帰れば、多分、……昨日みたいに……。

「っ……」

 考えたら身体が震え出した。

「……俺」
「ん?」
「……」

 すぐるは優しいから、それが迷惑だとしても言わないだろう。例え今日それで済んでも、毎日出来る事じゃない。
 それに、そんなんじゃ根本は解決しない事もわかってる。


 それでも、怖くて。

「行く」


俺は、逃げた。



second day end




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