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やっと解放されるかと思ったけど、頭を掴んでいた樹の手は頬に移っただけで鼻と鼻がくっつきそうな距離は変わらない。
樹の視線に捕えられたかように俺は目を逸らす事が出来なかった。
「言ったはずだよ。あやは俺の物だって」
手が震える。さっきまでの怒りは何処かに落としてしまったみたいだ。
今はただ、恐怖だけが俺を支配していた。
「なのに、どう言うつもり? 俺が居るのをわかってしてるなら、俺に妬いて欲しいの?」
恐怖で呑み込めないのもあるかもしれないけど、主語が足りなくて要領を得ず、樹の言いたい事が理解出来なかった。
「……なに……が、」
震える声を絞り出し、蚊が鳴くほどの小さな声で俺は聞き返した。そんな小さな声でもしっかり聞き取れたらしく、樹の口からは名屋だよ。とすぐるの苗字が告げられる。
「名屋とベタベタするな。苛つくんだよ。名屋があやの側に居るだけで」
ベタベタなんてしてるつもりはない。すぐるとは席が近いし何より一番の友達だから、側に居るのは自然な事なのに。
そう思ったけど、俺は言葉にはしなかった。
だって意味が無い。俺の意思を主張する事は、火に油を注ぐ結果になるだけだろう。
押し黙っていると、樹の顔がまた近付いて来た。雰囲気からキスされるのだろうと察知出来たけど、抵抗はしなかった。
出来なかったと言った方が正しいのかもしれないけれど。
「……ん、」
程無くして唇に先程と同じ重さが落ちる。先程と違ったのは、その重みは触れるだけですぐに離れた事。
「あやの唇も」
ぼそりと呟いたかと思えば、再び近付き今度は瞼にキスを落とす。
「目も、耳も」
言いながらその箇所にキスをされて、擽ったさに俺は身動ぐ。
そんな樹の行動が止んだのは、首元にキスをされた時だ。
やっと終わったと安堵したのも束の間。樹の手は、制服の上から俺の体をまさぐるように這い回り始めた。
「あやの体は、……全部俺の物だよ」
樹の口元に笑みが作られる。
「制服、着てきたんだね」
何を言い出すかと思えば当たり前過ぎる事。
けど、今までの樹の言動からそんな当たり前過ぎる言葉が、逆に不穏な意味を含んでいる気がした。
「違和感ない? 制服」
樹の言葉に思い当たる節があった。気のせいかと深く気に止めなかったけど、着た時から少し大きく感じていた。
「その制服、俺のだよ」
「……は?」
「あやの事だから無理して学校に来るかなーと思ってさ。……でも流石に制服があんな状態だから、ね?」
「〜っ」
「あやの制服は今朝クリーニングに出しておいたから、帰りにでも取りに行けばいい」
「ぇっ……」
あの状態のを……?!
だって制服……特にズボンなんて、わかる人には直ぐにわかる様な染みが付いてるだろう。とてもじゃないが、恥ずかしくて受取りに行くなんて出来ない。
そんな心情が顔に出てたのか、一応軽く洗ってから。と付け足された言葉に安堵した。
「俺もう一着制服持ってるんだよ。それがコレ」
樹は俺の着ている制服を撫でた。
けど、本当に樹のだとしたらおかしい。俺達の身長差は二十センチ位あるから、俺にとって少し大きい程度の制服は、樹のだとしたら肩幅も丈も足りなすぎる。
そんな事を考えてるのを読まれたのか、樹は言葉を続けた。
「俺、中学終り辺りから急に身長伸びたの覚えてる?」
ああ、覚えてる。中学までは今ほど俺たちの身長差は無かった。それでも、樹の方が大きい事には変わりなかったけど。
高校入る辺りに俺の身長は平均を越す事もなく止まり、逆に樹は急激に成長して、いつの間にか大差を付けられていた。
「高校の制服を仕立てて貰ったのが身長伸びる前でね、入学当初は着れてたけど成長しすぎて着れなくなったから、新しく作って貰ったのが今の制服なんだけど……」
ニヤリと笑ったかと思ったら、急に抱き締められた。
「ねえ、あや?」
耳元で露骨な程低く、熱っぽい声で名を呼ばれる。まるで昨日の夜を思い出させる様なその声色に、忘れ掛けてた腰の痛みが疼き、少し顔を顰めた。
「俺の制服をあやが着ると、こんな風に俺に抱かれてるみたいじゃない?」
「……、」
「でもみたいなんかじゃなくて、本当に俺の腕で一日中抱き締めてたい」
そう喋る樹の俺を抱き締める腕が、先程よりも力を増した。俺はどうする事も出来なくて、ただされるが儘に身を委ねていた。
「あげるよ、制服」
俺じゃ着れないし。と言いながら離れたかと思ったら、いきなり腕を引かれた。
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