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「……苛々する」
状況を把握出来ない内に、低い呟きが聞えた。何事かと薄く目を開けば、──途端、目の前に樹の顔が飛び込んできた。
あまりの近さに驚いて目を見開いても、視界に収まり切らない距離。十五センチも離れてないんじゃないか。
圧迫感のある肩は樹の手で抑えられ、俺の身体は壁に押し付けられていた。
急激な変化に頭が追い付かない俺を余所に、樹は口を開いた。
「俺に、彼女を、作って、欲しいの?」
抑揚無い声で一言一言を確かめるように喋る。
……何だか様子がおかしい。
「作らないと、迷惑?」
「……」
「そうなの?」
「…………そ、……だよ」
戸惑いながら返した言葉は、情けない事に小さく掠れた声だった。
俺の返事に、樹は変わらぬ調子で続けた。
「それなら、俺と付き合って」
「……………………は?」
頭が真っ白。
電池が切れた機械のように、思考が働かない。
もう一度付き合って、て言われたけど理解出来なくて、俺はただ呆然と樹を見返した。
「な、……に言っ…」
「俺の彼女になって」
顎を掬われ上を向かせられる。同時に近付いて来る樹の顔。
思考が追付かなくて、その意図を察知出来なかった。
「──ッ」
今まで見た事ない位の至近距離に樹の顔があって、口の自由がきかず、呼吸が出来ない。
俺の唇は、柔らかく温かいモノに塞がれていた。
──樹にキスされてる?
何で樹が俺にキスをするんだ?
だって、俺は男で、樹とは兄弟で。
キスは好きな人にするもので。
でも、俺は樹にキスをされていて…。
急速に変化していく状況に、疑問符がグルグル回って、頭だけ取り残される感じ。
けど、遅れ馳せながら自らの置かれてる状況を何とか理解した。
慌てて樹を押し退けようとするが、肩を押さえられて樹の体と壁に挟まれてるせいか、思い通りの動きは出来なくて。
「ん、……いつっ──んん!」
制止を訴えて口を開けば、見計らったように樹の舌が口内に滑り込んできた。驚いてる暇さえ与えてくれず、樹は俺の舌を絡め取り口内をかき乱す。
「んッ……んふっ、……ん─!」
混乱で冷静な判断が出来ないのもあるけど、何より身体の自由を奪われているせいで、樹のされるまま与えられる刺激を強制的に受け入れさせられる。それを良い事に、樹のキスはより深い物になり口内を貪るように蹂躙した。
上手く息が出来なくて苦しさに生理的な涙が溢れ始めた頃、やっと唇が解放された。
「ん、ふぅ、──っぷは!」
酸欠寸前だったから、兎に角に酸素を求めて荒い呼吸を繰り返した。
「はっ、……はぁ、はー……」
満足出来るだけ酸素を補給し呼吸が落ち着き始めた所で、自分の置かれてる状態を思い出す。
(……逃げないと……)
力が入りきらないけど目一杯の力で樹を押せば、一瞬樹の身体がよろめき腕の力が弛んだ。
チャンスだ、とその隙を突き、俺は樹と壁の間から脱け出しドアに向かった。
「逃がさないよ」
樹と壁の間から脱け出す事は出来たが、すぐに後ろから抱き止められ、逃走は呆気なく阻止されてしまう。
「っやだ! はっ……なせ!」
樹の腕の中で暴れるが、全く緩む気配はない。
体格もあるけど、力が違いすぎる。
「あやは俺に彼女が居ないのが迷惑で、彼女が出来れば嬉しいんでしょ?」
「っそ、……だけど!」
「なら、あやが俺の彼女になってよ」
こんな展開予想してなかった。
俺に彼女になれなんて、絶対おかしい。
「俺はっ、……男だ!」
「それが?」
「っ、……彼女って、女だろ!」
「単なる肩書きだ。どうでもいい」
「っ、」
まともに話しても無駄なのかもしれない。
もしかしてこれも俺への嫌がらせなのか?
「っや、……やだ、嫌だ! 俺はお前のっ、……彼女になんてならない!」
どちらにしても受け入れるつもりは無いから、俺は拒絶の言葉を強くした。
「だからっ、……放せよ!」
「何で?」
「っ……何で、て……」
「あやは俺に彼女が出来ないと迷惑って言った。俺はあやに彼女になってて言ってる」
──ならあやが頷けば、利害一致だ。
そう耳元で囁かれた直後、俺を拘束していた腕の片方が首元に移動して、ワイシャツのボタンを外し始めた。
「ぇっ……な?! なにして……ぅあっ!」
ボタンを三つ外された所で、鎖骨にピリッと痛みが走った。痛みの箇所を見れば、俺の首元に顔を埋める樹の頭があった。
「いつ、き! 何してんだよ?!」
「キスマーク」
「はぁっ?! ──ひぁ!!」
先ほどまでワイシャツのボタンを外していた樹の手は、いつの間にか俺の下半身に移り、服越しに股を撫でる。
「やっ……めろよ! 冗談でも、……やり過ぎだ!」
「俺は本気だよ? ……ほら」
「──っ、」
樹が腰を擦り寄せて来る。密着して感じた熱に、顔が熱くなった。
樹の、勃ってる。
「あやの事考えるだけで、興奮する」
「っ……」
「これからする事を想像するだけでも、イけそうだよ」
遅いのかもしれないけど、今更身の危険を感じた。今更ながら恐くなった。
多分言葉通り、樹は本気だ。
「震えてる。恐い?」
「、……」
「大丈夫だよ、優しくするから」
樹は俺の耳元に囁きながら、股の所に置いてた手を動かし始める。
「……ぃゃ、だ……」
頭を締める恐怖に、不本意ながら涙が出た。恥ずかしいとか、羞恥心に苛まれてる余裕なんて無かった。
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