淀み



白バイのハンドルを握ると、革の手袋がキュッとないた。
平日の昼間の高速道路は比較的空いている。まばらに走る車に目を光らせつつ、流れていく景色を楽しんだ。

距離を保って先輩が運転しているパトカーが着いてくる。
この先輩は高速隊のなかでもかなり若手で、俺と年も近い。配属された当初、俺に一番歳が近く、今まで後輩ポジションだった彼が俺の世話役兼パートナーに任命されたらしい。俺が異例の若さの新人、ということもありその前の若手の新人として気にかけてくれている先輩だ。つまり、年功序列な警察の中でベテラン集団の高速隊の中の弱い存在として同盟関係なのだった。

「前の車、シルバーのホンダ、いくぞ」
無線から先輩の声が聞こえてきた。プレストークスイッチを左手で押して、了解、と返事をする。
ぐんと加速したパトカーは同時にサイレンを鳴らし始める。パトカーと白バイに気がついた遥か前の車が少しスピードを落とした。

「そこのシルバーのホンダ、パトカーに続け!」
マイクで指示をすれば、頻繁に車線を変えていた車のドライバーがチラリとコチラを見た。バチっと交わった視線に違和感を感じる。嫌な予感に眉を潜めて、車の右を位置どって並走した。
その瞬間、車がグッと加速した。思わず車から距離をとる。スイッチを押して計測するまでもない。明らかに法定速度を越している。

ちらりとパトカーを見ると、先輩もグッと加速した。

「不審な車です、注意してください」
「了解」
無線で伝えると何故か少し楽しそうな声が返ってきた。緊急走行は法定速度なんて関係ないが、あの人はスピード狂なところがあるのでは、と時々思う。一緒に乗ってる時に緊急走行する事がないように神に祈った。出来れば兄さんの車にも乗りたくない。

車を追いかけるパトカーに続いて、サイレンを鳴らして追いかける。昼間だからよかったものの、交通量が多かったら洒落にならないな。

風をきる轟音を聞きつつ、ドライバーと目があった瞬間の事を思い出す。警察だと気がついた瞬間、大抵のドライバーは動揺するが、あの動揺の仕方はそんなもんではなかった。血の気が引く、とはあの顔のことを云うのか。
動揺の理由を考えて、ハンドルを握る手に力が入った。刑事ではないが、俺とて警察。ろくでもない妄想に収まればいいが、現実だったら逃す訳にはいかなかった。敢えて言うなら切符も切りたい。思い切り、普段なら出せないスピードで追いかけると直ぐにパトカーが見えた。高速隊の白バイは他と違ってかなりのスピードが出せるのが良いところだ。

サイレンが響く中、パトカーに並走すれば、先輩からの無線が入った。
「警戒しつつ、並走せよ」
「了解」

再びグッとスピードを上げる。車の右後ろについた。

その瞬間、サイドミラーに反射したドライバーの顔が一瞬見えた。血走り異様な光を放つその目を見て、しまったと思った瞬間、シルバーの車体が太陽の光を激しく反射した。左斜線を走っていた車が猛スピードで右に曲がる。タイヤがギャギャギャッと鳴る音が異様に大きく聞こえた。目の前に右車線に飛び出してきた車が迫ってくる。対向車線のガードレールにぶつかる瞬間、車が方向を変えた。

逆走か…!
迫ってくる車を瞬間見た光景に思わず背筋が震える。ドライバーの顔を見て、目的が逃走からすり替わった事にすぐ気がついた。
___"警察"を轢き殺す気だ。

先輩の運転するパトカーと、俺に、血走った目が迫る。狙いを俺に定めたのか、猛スピードで近づいてきていた。研修で見せられた事故の瞬間の映像が脳裏に鮮明に浮かび上がる。まず衝撃、次に宙を舞う四肢、重いものが落ちる音、モノの上に乗るタイヤ、引き摺られるモノ、最後に悲鳴。

___バイクなんて、トンと当てたらすぐ倒れるんだよ。
養成所で言われた言葉が、頭に響いた。いっそ飛び降りようか。一瞬の想像に自分の動揺をやっと自覚する。
衝撃の直前、反射的にハンドルを切った。タイヤ一つ分だけでも車体から離れたかった。命にしがみ付くようにハンドルを握っていた。
頭がとれるかと思うほどの衝撃で、世界が止まる。放り出されたのか、目が覚めるような青空が一瞬見えたような気がした。瞬間、コンクリートに叩きつけられていた。意地だけでグッと体を丸め、意地でも頭を守るためように手を突っ張る。鞠のように弾んで、またどっと落ちる。二回目の衝撃で身体のどこかの骨が折れる音が脳に響いた。止まった息を必死に吸うと、ジンワリと身体中が痛みだす。再稼働し始めた痛覚は衝撃で壊れているのか、動いても動かなくても痛い。痛さで息が吸えない。必死に身体を丸めて、ガードレール脇の草をちぎる様に握りしめて痛みに耐えた。
青臭さに気を逸らそうとしていても時折フッと意識が遠くなる。激痛に怒りすら湧いてきた瞬間、先輩の事を思い出した。
先輩は大丈夫だろうか。生きているだろうか、あのドライバーはどうなったのか。

勝手に降りてくる目蓋を必死にこじ開けると、くすぶる車の陰に空色の制服が見えた。

「……せん……ぱい……」
生きていた。急に安心して、また意識が遠くなる。その瞬間、先輩がこっちに走ってきた。

鬼のような形相で、何かを言っている。もはや音なんて聞こえない。こんなにも冷静な俺に対して必死に口をパクパクと動かす先輩が滑稽に写った。歪み始めた視界に目を閉ざすと、ガッと体を掴まれる。その稲妻のような激痛に身体を丸めた。痛いって。息ができない。
先輩が何か四角いものを手にしている。あぁ、トランシーバーか。どこかに無線で連絡をしている。無線に向かって怒鳴る先輩を見つつ、痛みに怒りを抱えながらそっと意識を手放した。


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