「ヒサが熱出したぁ?」

きつね色をしたホットケーキをフライパンの上でひっくり返しながら、ヨーコは台所に空の薬袋とコップを持ってやってきたリトに向けて言った。

「うん…それに結構高熱で…。今は薬飲んでベットで安静にしてるけど…」
「どうしたんだよ突然。アイツが体調崩すなんて珍しいじゃねぇか」
「わかんない。この前の任務で変な病気拾ってきたのかな…」

リトは袋をゴミ箱に捨て、コップともう片方の手に持っていたラップに包まれた緑色の塊をテーブルの上に置いた。

「ジュプトルの草餅もあるって言ったんだけど、食べたくないって」
「…おいおい、それって相当やべぇんじゃねぇのか?」

アイツ、腹壊しても草餅だけは意地でも食ってただろ。ヨーコはそう言って、フライパンからホットケーキを皿に移す。

「とりあえず僕、病院に行ってケイを呼んでくる!ヨーコはヒサをお願いね!」
「ああ、わかった。なるべく急げよ」
「うん!」

リトはうなずくと、基地を飛び出した。突然相棒が倒れたんだ。心配なんだろう。いや、リトだけじゃない。ヨーコだって、隊長が原因不明の高熱だとなれば不安にもなる。現在任務に赴いている他の3人も、この事態を知ればおやつのホットケーキどころじゃないだろう。

「…粥でも作ってやるか」

好物すら食えないんだ。とても食べてくれるとは思わないけど。そうヨーコが鍋を手に取ったその時。
コンコン、
控え目なノック音。どうやら来客のようだ。

「ったく、誰だよこんな時に!」

新聞の勧誘だったらぶん殴ってやる!
米を入れようとした鍋を一旦置き、ヨーコはエプロンを外しながら玄関へと向かった。





***




(……あつい…)

そこは暗闇だった。目が開かないから当然か。感じるのは浮遊感。眩暈と、吐き気。それから、熱。頭が、身体が、熱い。

『―もう、おしまいですか?』

暗闇から楽しそうに笑う声。背筋が凍りついた。同時に悟った。ここは地獄だ、と。

『もっと、もっと私を――』

瞼の裏に映り込む、青白い手。身体の全機能が"逃げろ"と叫んでいるのに、出来ない。出来るわけがない。でも逃げたい。駆け巡るジレンマ。熱。伸びてくる手が、怖い。

やめろ、
やめろやめろやめろ
やめて


『―――――』


私に触らないで!!


――パシッ、


「……ぁ…」

乾いた音。その音に驚いて思わず目を開ける。温かい布団の中。窓から入り込む太陽の光。身体を起こせばぐらりと傾く視界。そこで初めて、ヒサは先ほどのことが夢だと気付く。

(…また…、……)

それは一定の周期でやってくる。忘れてしまいたい昔の記憶。知りたくなかった"人間"の記憶。ヒサは息をつき、くしゃりと髪をかき上げた。額から溢れだす汗が気持ち悪い。

「すみません、起こしてしまいましたか」
「…ッ!」

突然聞こえた声に、びくりと肩が跳ねる。

「…ぇ……し、シグマくん…?」

ヒサが声のする方へ顔を向けると、そこにはベットの横の椅子に座る愛しいひとの姿があった。

「な、なんでここにいるの…?」
「こちらにお邪魔したところ、体調を崩されたと聞いたもので…」

まだ安静にしていて下さい。熱、下がってないんですから。そう言って彼はヒサに横になるよう促した。そういえば、尋常じゃないぐらい頭がぐらぐらする。熱のせいだったのか。
ヒサは恋人に会えて嬉しい反面、こんな姿を見られて情けない気持ちにもなったが、流石に体調不良には勝てず大人しく横になった。

「そっ…か。わざわざありがと……、…?」

ふと、上から布団をかけ直してくれた手がほんのり赤いのが目につき不思議に思った。床に濡らしたタオルが不自然な形で置かれている。置くというより、投げ捨てたような。上手く動かない頭でそこまで考えて、ヒサははっとする。その光景と自分が見た夢、それから先程の乾いた音が繋がった。

叩いたんだ。
額の濡れタオルを替えようとしてくれた彼の手を。

「あ…ッ!ごめんっ、私っ…!」
「…随分とうなされていましたよ。怖い夢でも見たんですか?」

起き上ろうとするヒサを遮るように、優しく諭すような声がかかる。触れようとしないのは彼女を気遣っているからだろう。ヒサは起こそうとした再び頭を枕に沈めた。

…あのね、さっきコミケに行った夢を見てたの。目当てのサークルの新刊が最後の一冊で、ギリギリ私までが買えるはずだったんだけど、割り込みしてきたひとに取られそうになってさ。それで思わず叩きを…

そう言おうとして、やめた。

「…ちょっと、ね、昔の夢…見たの」
「はい」
「あんまり、いい夢じゃなかったから」
「………」
「…それだけ」
「……そうですか」

これはきっと熱のせいだ。
あの夢を見るのは初めてじゃないのに。いつもは平気なのに。
どうしてか今は、怖くて怖くてたまらない。

「……ね、」
「なんです?」
「手、握ってていい?」
「手…ですか?」

突然の言葉に彼は不思議そうに首を傾げたものの、悪い顔一つせず、何も聞かずに手を差し出してくれた。ヒサは熱で力の入らない小さな手で、その手をきゅっと握った。

この手は跡が付くほど強く掴んだりしない。縄で締め上げることもない。服を裂いたりしない。変な薬を飲ませることもしない。
どこまでも優しくて、大きくて、強くて、大好きな手。

「シグマくん」
「はい?」


…ごめんね。


「だいすき」




大丈夫。
あの頃の私は、もういない






ヒサ/ゼニガメ♀
Σくん/メタグロス♂寄り(背景、)







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