僕は毎朝、とある女性と軽い会釈を交わしながらこの通学路を歩いている。
彼女との出会いは、大人2人が、すれ違うのでちょうどくらいの細い歩道。
ある晴れた金曜日の朝だった。
「…ハア」
毎朝、この通りに出ると、だいたい同じ場所にだいたい同じメンツが僕を待ち伏せしている。
特に声をかけてくるわけでもなく、ただ毎日僕の少し後ろを、コソコソと黄色い声を発しながらついてくる。たぶん、同じ大学の子なんだと思う。
そんな毎日にうんざり。なんのためにそんなことするのか、意味がわからないし理解する気もない。
ただ、今日はいつもの日常とは少し違っていた。
「あーー!ちょっと、ごめんねー!」
どいてどいて!と言わんばかりに、猛スピードで目の前から走ってくるスーツ姿の女性。
僕との距離はもう数メートル。
ドンッ、とお互い避けそびれて、僕の着替えやらバレーの用具が入ったスポーツバッグと彼女のバッグが接触。
「わー!ごめんなさーーい!!」
「…はあ」
「本当にごめんなさーーい!!」
嵐のように過ぎ去って行った。
僕の後ろの取り巻きにも、当然少しずつぶつかりながら去って行ったわけで。
取り巻きたちは、怖いとか痛いとか、ブツブツと文句を言っていたが、僕はというと、彼女のパワフルすぎる姿が衝撃的すぎて、ちょっと笑ってしまっていた。
その日の夜。
いつも通り、市民体育館で練習。時間はすっかり遅くなり、閉館時間の22時を回っていた。
「そろそろ帰らないと」
荷物をまとめていると、開け放たれた体育館の入り口から、目の前にある公園のベンチに座っている女性が見えた。
まさか、とは思ったが、朝すれ違ったあの女性に似ている気がする。というか絶対そうだと思う。パンツスーツ姿で足を組んで何してんだろ、こんな時間に。
「あの、今朝の、方ですよね」
僕は帰り道の途中、怪しいと思われそうだけど、居ても立っても居られず、彼女に声をかけてしまっていた。
「え、ええ!?け、今朝ってなに!?私、なんかしましたっけ!?」
「あ、いや、そこの歩道ですれ違っただけなんですケド」
彼女は缶ビール片手に、立ち上がった。
「あ!もしかして、後ろに女の子いっぱい引き連れてた高身長イケメン!?」
「イケメンか、どうかはあれですけど」
「あー!今朝はぶつかってすみませんでした!寝坊してすっごく急いでて!本当に!ごめんなさい!!」
「ちょ!頭上げてください!」
深々と頭を下げる彼女をなだめながら、ベンチに座る。
「さっきまで、体育館でバレーしてた人?」
「ああ、そうです」
「もし良かったら1本どう?」
「ありがとう、ございます」
彼女が指差す袋の中には、缶ビールが何本も入っていた。その中の1本を受け取って、プシュッという音を立ててビール缶を開ければ、乾杯、と一言。
ビール飲めないんだよな、とか、そんなこと考えるより先に、彼女があまりに美味しそうにゴクゴクと喉を鳴らして飲むから僕も釣られてひと口。
「えっと、貴方は何してる人ですか?」
「僕は、大学生です」
「あ、そうなんですね。プロかなんかかと」
ずっと練習見てたらハードすぎてこっちまで疲れた、と彼女は言う。
「そっちは?」
「私は下っ端デザイナー。今日も残業でこんな時間になっちゃって」
「大変ですね」
「君もね」
はあ、と2人同時にため息を着けば、顔を見合わせて笑う。
「今、何年生?」
「3年です」
「あれ?ってことは、21歳とか?」
「ですね」
「私と同い年だ!」
「ほんと?」
「ほんと!」
なんだタメかー!と彼女は1本目の缶を置いて、2本目を開ける。
「じゃあタメ口でいいじゃんね」
「そうだね」
「ねえ、なんであんな後ろに女の子たくさんいたの?友達、ではないよね」
「いや、知らない子なんだけど、毎朝いるんだよ。困るよね」
「えー、それって待ち伏せっていうか、ストーカー?」
ストーカーなんて悪いものじゃないけど、見方によってはそうかも。僕もかなり迷惑してるし。
「私が今度、ガツンと言ってやりたいところだけど」
「やめなよ、危ないよ」
「だよね」
私がでしゃばったらもっと悪くなりそう、と彼女はイタズラに笑う。
バンッ
「わ!電気消えたってことはもう23時か」
「え、そうなの?」
「そう!23時に体育館全館消灯するの」
「へえ、知らなかった」
「そりゃ知らないか!普通、閉館したらすぐ帰るもんね。私、毎週、花金はここで飲んで帰ってるからね、覚えちゃった」
「こんな遅くまで危なくない?」
「意外と大丈夫だから怖いよね。こんな公園のベンチで酒飲んでる女に話しかけてくる物好きは君くらいだよ」
手慣れたように彼女は、スマホのライトを付ける。
「まだ帰らなくて大丈夫?」
「うん、私いつも日付越えるくらいまでいるから」
「なんか、すごいね」
「そう?こんな女引くでしょ?」
「少なくとも僕の周りにはいないけど」
「え?馬鹿にしてる?」
「尊敬するよ」
クスクスと笑ってしまえば、大学生活のこと教えてよ、と彼女が言うので、履修している授業だったり、学食が不味い日があるとか、バレーのことを聞かれて、するすると話してしまった。
「へえ、大学楽しそうで羨ましいなあ」
「まあそこそこだよ」
「会社員辞めたーい」
「辞めたら」
そう簡単に辞められたら苦労してないよ、ともう1本缶ビールを渡された。
「今の会社は寿退社でしか辞めれないなあ」
先輩は結婚が決まって嬉々として辞めていったよ、私は見込みないけど、と痛々しく笑う彼女に同情なのか、なんなのか、ギュッと心臓が苦しくなる。
「僕、結構、将来有望だよ」
「え?」
「なかなか良い物件だと思うケド」
「えっ、なにそれって、プロポーズ?」
「好きに受け取ってよ」
「君もなかなかのモノ好きだね」
「それはお互い様デショ」
じゃあたまに飲むの付き合ってよ、と彼女と連絡先を交換した。
この日の朝から僕らは毎朝、すれ違うたびに会釈する仲になった。
後ろの取り巻きに気付かれないように小声でおはよう、と言ったり、彼女が寝坊して走ってすれ違う朝は僕が端に避けたり、退屈しない毎日。最近は彼女のおかげでストレスが軽減した気がする。
「"ねえ!月島!これから飲みに行こ!安月給だけど会社員の私が奢るから!"」
「一旦帰って着替えてからでもいい?」
「"なら私も着替えてから行く!駅前集合ね!"」
なにやら怒ってるのか、とにかく興奮している様子で呼び出しの電話。
ベンチで飲んだ以来に、彼女とちゃんと会えるチャンスが巡ってきて正直、浮き足立ってたんだけど。
「えー!月島くん、今ひとり?」
「なにしてるのー?」
最悪だ。
知らない子に話しかけられた。たまに見る顔だから同じ大学の子かも知れない。話したこともないのに良くそんな風に声掛けられるよね。逆に凄いよ君たち。
「蛍ー!お待たせ!ごめんね!」
「…うん」
「えっと、誰?友達?」
「知らない。早く行こ」
あからさまに彼女面で僕のところへ走ってきては、自然な感じで腕に抱きついてきた。
同じ歳だけど、社会人と大学生では出立が違うというか。僕も初めてスーツ以外の彼女を見たけど大人っぽくて驚く。
話しかけてきた子たちもさすがに、居心地悪そうに去って行って、ハア、とため息が出た。
「…助かった」
「良いタイミングだったでしょ!」
「まあまあ」
「あの子たちに、知らない、とか言っちゃって良かったの?」
「実際に知らないし」
そうなんだ、と彼女はまだ僕の腕を抱きしめたままだ。
「ねえ、腕」
「あ、ごめん」
「しかもさっき名前で呼んだよね」
「本物の彼女感を演出してみました」
「良い感じだったよ」
「まあ、私すでにプロポーズされてるし?当然の出来っていうか?」
「じゃあこのまま彼女になってもらっていいですかー」
「いいですよ、そして早めに妻にしてください。今すぐにでも仕事辞めたいんで」
「大学卒業まで、ちょっと待ってください」
「いいよ」
待つから仕事の愚痴しっかり聞いてよ!と彼女は僕の手をひく。
Sweet Escape
このままどこまでも行っちゃおうか
(200220)
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