■ 彼に紅茶を淹れるのが、私の日課です。
◎櫂くんが吸血鬼でパロディ



村人が止めるのも訊かず、迷いの森に足を踏み入れた男がいた。

この男は、村を治める貴族の嫡男に許嫁であった娘を奪われたばかりであった。互いに愛し合って決めた婚姻の約束。それを引き裂かれた娘は泣き濡れ、男は怒ったが相手が貴族では手の出し様がない。更にその貴族の嫡男は女癖が悪く、度々村娘を拐かしては嫌がる娘を犯し、飽きたら捨てるといった非道を繰り返していた。男の許嫁の娘もボロボロになるまでいたぶられ、そして捨てられるだろう。そうして汚された娘を愛せなくなるという事はないが、愛する者の危機に黙って指をくわえている訳にはいかない。だが一介の村人でしかない男には力などあるはずもなかったし、他の村人達も相手が貴族とあっては非協力的である。その現実にうちひしがれた男は、しかし不意にある言い伝えを思い出した。ここからそう遠くない村に吸血鬼伝説があると、以前娘から聞いたことがあった。吸血鬼には魔法が備わっており、代償を支払えばその魔法を借り受ける事が可能となると。男は思った、その力があれば娘を救い出すことができるかもしれないと。
そうして男は藁にもすがる思いで、言い伝えの吸血鬼と契約を交そうと、一日掛けてこの村を訪れたのだった。






森に入って暫く。不気味な静寂を保っていた森が、突如騒がしい気配をもたらした。音は無い。しかし、男は無数の眼に観察されている様に感じて、嫌悪に肌を粟立たせた。こんな森深くでは此方を窺う無数の気配は獣だろう。姿が見えないから、おそらく小型でしかない、此方を襲いはするまい。そう男は無理矢理自身を納得させ、その場から逃げるように足早に歩いた。

その時だった。

「そこのにーちゃん、なにやってんの?」

場違いに明るい声が背後から聞こえた。男が驚き振り向くと、そこには少年がいた。あかるい金髪をした少年は、目を細めて口角を上げ、笑みを浮かべている。それは決して無垢な子供がするような笑顔ではない。世間に汚れた大人の浮かべる厭らしい笑みだった。
男は精神を疲弊させていた。冷静さを欠いていた。常ならばこのような森深くに子供が居ることに違和感を感じ、いぶかしんだだろう。けれども男は、人間の姿に気を緩めてしまった。
「あ、ああ…捜しに来たんだ」
男の吐いた言葉に、少年は一瞬表情を変えた。ああ、またか。そう言いたげな、侮蔑するかお。しかし男はそれに気付かず、興奮を滲ませた声で言葉を続けた。
「この森には吸血鬼が棲んでいるんだろう?」
近辺じゃ有名な噂らしいから君も知っているかな。兎に角その吸血鬼に代償を払う換わりに魔法を手に入れられると。別に俺は魔法なんて胡散臭いものを信じている訳じゃなからな、吸血鬼のくれる『魔法』っていうのは『願いを叶える』ってことだと思うんだ。吸血鬼だって魔法同様胡散臭い存在だがな、そんな吸血鬼伝説があるくらいだ、何らかの形で願いを叶えてくれるんだろうさ。金が欲しい、誰かを殺して欲しい。人が願うのなんてだいたいそんな程度だろ? 欲望と言い換えてもいいな。とにかく、吸血鬼伝説ってのはそうやって欲望を叶えた奴らが流した噂なんだろうさ。
そう一息に言って、男は満足気だった。元よりそういった論考癖のある人間だったのかもしれない。己の内にあった持論を披露できたことが嬉しく、男は興奮を更に高ぶらせていた。
「じゃあさ。そう言うにーちゃんは何を『お願い』しに来たの?」
「恋人を連れ去った領主の息子を殺してやりたい。ああ、そいつを殺して欲しいんだ」
だから、男は気付かなかった。少年は既に男に対する不快感、侮蔑を顕にしていたことを。
「……そっか」
少年の手に、何処からとも無く出した鋭いナイフが握られていたことを。男は、最後まで気付かなかった。





ああ、全く。どいつもこいつも、欲に塗れた人間ばっかだ。殺したい奴が居るなら自分で殺せばいい。奴らは、誰が『願いを叶えてくれる』のか考えたことは無いのか。どんなやつに代わりに手を汚してもらおうと考えているのか。そいつが、どんな思いでいるのか、なんて、考えたことは無いんだろうな。全く、欲深い人間共め。







日の暮れ始めた頃は、動物たちも静かで読書に最も適した時間だと思っている。窓から射し込む日光の下にお気に入りの本を広げ、時折思い出したように、空になったカップに紅茶を注いで、また読書に没頭する。それは、櫂にとって安らぎをもたらしてくれる時間だった。
ふと、コツコツと戸を叩く音がして櫂は顔を上げた。
「入れ」
キィ…と蝶番の軋む音をさせて中に入って来たのは明るい金髪の少年だった。途端充満する血の芳香に、櫂は心の内でひっそりと息を吐いた。本当は少年が入ってくる前、この小屋に近付いてくる頃から彼が血の匂いを纏わせているのには気付いていた。少年が何をしてきたのかも。しかし、櫂は何も言わない。今更何を言ったところで少年はそれを止めないだろうし、櫂も少年の機嫌を損ねたくはなかったから。少年も、櫂がそう考えていることは重々承知しているだろう。櫂が血の匂いに敏感であるのを知っているし、何より永く共に居るのだから相手の思考はだいたい読み取れるようになっていたから。
「紅茶、要るか?」
「勿論要る。櫂の淹れる紅茶は旨いからなー」
櫂は、この平穏がつくられたものであることを知っている。その功労者が誰であるのかも。だから、口に出せない感謝と詫びの気持ちを籠めて、櫂は今日も少年のティーカップに紅茶を注いだ。





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