坊は、ひどい。
別にこれと言った事は無いのだけれど、個人的に一番心が傷つく事をやってくるそんなとこが、ひどい。
きっと本人は何とも思って無いのだろうけど、俺からすればこれは一大事なのだ。

だって、可笑しいと思わへん?俺、産まれてからずっと坊と一緒に居るのに俺だけ、名字で呼ばれんねんで。子猫さんやって子猫丸ーて名前で呼んではるし、俺の兄貴やってお父やって、宝生家の女性さん達でさえ名前で呼んではるのに、なんで俺だけ名字なんよ?志摩は亡くなった兄ちゃん含めたら家に9人もおるのに。志摩、なんて総称やんか。

そんな事を思っているなんて坊は知らない。これっぽっちも、欠片も知らない。


「…ぁ、ちょお、志摩」

志摩、志摩、志摩。
なんで俺だけ名字で呼ぶんやろ。――俺て、もしかして信頼されてないんやろか。
じわ、視界がぼやける。零れるまでとはいかないが、目よりも胸がチクチクと痛み、苦しくなる。
それでも悟られまいと、もう馴れてしまった嘘の笑顔をつくる。そうすれば人一倍洞察力の鋭い彼でさえ気付かない、はずだから。

「はい、坊。何ですのん?」
「俺今日塾残るから、子猫と先帰っとってくれ」
「あ、はい解りましたー。何でまた残りはるんです?」
「前の模試で解らんとこあってな。奥村先生に聞いてから帰ろう思て」
「ひえ、放課後先生に勉強聞くなんてどこの秀才さんや!変態や!」
「誰が変態や!!それぐらい普通や!お前はやらなさすぎやねん!」
「俺かてやる事はやっとりますよ!坊は真面目過ぎるんや!変態さんや!」
「志摩コラァ!!もういっぺん言うてみい!!」

いつもどうり何も悟られないように坊を茶化すと、案の定彼は顔を真っ赤にして声を張り上げた。

坊は知らない。俺がこんなにも、坊に志摩と呼ばれる事に執着している事を。
坊は知らない。俺がこんなにも、執着するほど―――坊が好き、だという事を。

そしてそれが伝わってはいけないと言う事を、俺は知っている。


「あ、坊に志摩さんも。こんなところに居ったんですね、もう帰りはります?」

坊に追いかけられて危うく捕まりそうになった時、運良く子猫さんが現れてくれてその場の空気が変わる。
子猫さんの問いかけに、坊がまるで今までの事が無かったかのように淡々と返事をする。

「子猫か。すまんけど俺ちょっと残るから、志摩と先帰っとってくれ」
「そないですか?解りました、ほな志摩さん帰りますえ」
「ほぉい。ほな坊、また寮で」
「おん、また後でな」

いつもと何や変わらない日常会話。

それでも彼の口から発される志摩、と言う言葉は俺の中で引っかかる。それが廉造、だったらどれほど良いだろうか。夢にまで見た、けれど夢で終わっているその言葉。だからって坊に名前で呼んで、なんて頼めるはずもなくて。
これからも俺はその事を抱えて生きていくんだろうなと、感じた痛みと相手への想いはまた、心の奥底に閉まわれていった。




どうしても言えない


(言わなくても良い事だって、ある)


20111015 黒豆
         <祓!>

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